今日は、ほんとうに暑い日だ。


 家を飛びだしてみると、外は昨日までとは別の世界みたいに暑かった。

 まだ昼まえで、太陽は本気を出していなかったはずなのに、もうこのときでさえ、この夏でいちばん暑かったと思う。


 アスファルトの上を歩いていると、まるで鉄板てっぱんの上を歩いているような気持ちになった。ためしに地面にかがんで手のひらで触ってみると、アスファルトはめっちゃ熱くなってて、ずっと触っているとヤケドしちゃいそうだった。

 私は思った、今日はどこでもおこのきが焼けるって、穴ぼこがあればタコ焼きだって焼けるって。


 そうしていると、サンダルとくつのあいだみたいな、靴底くつぞこがぺらぺらのくついていたのもあって、足の裏に少しだけ熱を感じた。

 その場にじっとしていたら、足の裏がホントにヤケドしちゃうような気がした。もうそれくらい地面はアツアツだった。


 風がたまに吹いたけど、それですずしくなったりはしなかった。だって……ストーブが本気出したみたいな風だったから。

 風がないほうがマシなくらいだった。

 きっと風も、アスファルトの鉄板てっぱんで、ジュウジュウあぶられていたのかも。


 道のわきに立ってる木からは、ほとんどかならずセミの声がして、まるで道路の工事みたいにうるさかった。

 なんとなくだけど、セミたちもあんまり暑くて、いつもより大声で鳴いてるのかなって思った。そう思うとセミたちの声が、『いくらなんでも暑すぎだろー!』『こんなんいつかとろけるわー!』って言ってるみたいに聞こえて、なんだかおかしかった。


 家から、五、六分くらい歩くと『あべこべざか』に着く。ちなみに、私の家から『あべこべざか』とは反対のほうに向かっていくと、けっこうな長さと広さで、たいらなところが続いてる。


 私はそのあたりのことを、かってに『たいらまち』って呼んでいた。


 つまり私は、『たいらまち』のはしっこに住んでることになる。

 まあ、私の頭のなかだけの話だけどね。

 ホントの名前は『川上町かわかみまち』で、私の苗字みょうじとおんなじ名前の町。だけど私は、『たいらまち』って呼び方のほうが気に入ってる。たぶん、自分でつくった名前だからかな?


 いつもは人がいっぱい通ってる『あべこべざか』だけど、暑さのせいなのか今日はぜんぜんだった。


 見かけたのは、ひとりのおばあさんと一匹のイヌだけだった。それも、ただ、チラッと見ただけ。


 おばあさんは家の庭先にわさきで、毛の長い大きなイヌに、緑のゴムホースを使ってずっと水をびせていた。

 イヌは体をぶるぶるして水を飛ばすわけでも、うれしそうにするわけでもなく、ただ、べろをだらーんとたらしながら、ぼーっと空をながめていた。


 くだりなのもあって、私はあっという間に『あべこべざか』を通りすぎてしまった。

 頭のなかはほかのことでいっぱいだったから、記憶きおくに残ってるのは、そのおばあさんとイヌだけだ。まあ、いつも通ってる道だしね。


 ……こうして思い返してみても、カラスにケンカを売られるようなことは、してないはずなんだけどなぁ……。きっと、あのカラスのカン違いだと思う。そうに違いないと思う。


 『あべこべざか』が急すぎるせいであんまり感じないけど、そこから先も、地味じみにずっとくだざかになっている。

 たいらな道もちょくちょくあるけど、えきまではだいたいが坂道だった。


 だから、行きは楽ちんだけど、帰りはけっこうしんどい。


 自転車に乗れば行きはもっと楽で、あんまりペダルをこがずに駅前えきまえまで行けるけど……、……帰りはその代わりに、ほとんどのあいだ全力でペダルをこいでなきゃいけなくて……、私はそれが嫌だから自転車を使わなかった。


 まあ、もとから自転車はあんまり使わないんだけどね。

 使うとしたら、近所にある『スーパー・カワナカス』っていうスーパーマーケットにおつかいに行くときくらい。そこは『たいらまち』のなかにあるから、自転車で行ってもあんまり疲れないの。


 この街は坂とか階段ばっかりだから、自転車で移動するには、やっぱりちょっと不便ふべんなんだよね。それに、スピードが出すぎちゃって危なかったりするしさ。


 『あべこべざか』を過ぎて少し歩くと、お店やバス乗り場や、会社や学校とかがあったりするから、人でちょっとずつにぎわってくる。はずなんだけど、やっぱり暑いせいか、今日はあんまり人がいなかった。

 クルマはちらほら見かけたけど、いつもより数がずっと少なかった。セミばっかりがうるさくて、街の人は暑くて元気がないみたい。


 まるで、世界がセミに征服せいふくされちゃったみたい。

 それで人類じんるいはあと少しで絶滅ぜつめつ、みたいな感じ。


 それでも、耳をましたり遠くをながめたりすると、人の気配が感じられた。


 遠くで聞こえる赤ちゃんの泣き声。

 なんかね、めっちゃ、かなしそうだった。でもさ、どうしてかなしいのかは、泣き声だけじゃ、やっぱりわかんないよね。


 私はふと、こんなことを考えた。赤ちゃんだったなら、ほかの赤ちゃんの泣き声をきいて、どうして泣いているのか、わかったりするのかなぁって。


 おっぱいがほしいとか、あつくて死んじゃいそうとか、ママに会いたいとか。


 こんなに暑いのに、どこかでバーベキューでもしてるのか、建物の並ぶその向こうに、ほそくて白いけむりがあがっていた。


 いまはだんぜん、お肉よりも冷やし中華。あ。でも。あれは食べたいかもしれない。


 トマトを焼いたやつ。


 あれなら食べたい。まえに一度食べて、それですごいビックリしたよ、私、あまりのおいしさに。

 かたちはそのままトマトなのに、もうトマトじゃない別のものだよ、あれは。

 熱くて、なんだか甘くて、トロトロで。

 またいつか食べてみたいな。


 空を見上げると、米粒こめつぶみたいな飛行機がゆっくりと飛んでいて、真っ青な空を、白い線でなぞっていた。


 なんかあれってリアルじゃないよね、まるで神さまのイタズラみたいだよ。


 あれに人が乗ってるなんて、なんか信じられない。


 ていうか私は信じないことにしていた。

 じっさいに自分で飛行機に乗ってみるまでは、あれはトリの一種なんだって思っとこって、そう決めていた。

 近くで飛行機が飛んでるのを見たなら、その考えが変わるかもだけど、ここらには空港くうこうがないから、しばらくのあいだ、あれは私にとってトリのままだね。


 幼稚園ようちえんのなかのブランコがひとりでに、風だけじゃそうならないくらいに、ゆらゆらとれていた。


 きっと誰かが、ブランコに乗るのにきて、どこかに行っちゃった、そのすぐあとなんだ。私はそれを見たんだね。すれ違いだ。


 きっと私も、ほかの誰かに、気配だけを感じさせているんだろうな。


 ここにさっきまで人がいたな、とか、ついさっきまで、誰かが、ここでなになにしてたんだな、とか。いろいろさ。


 急にまた、どこかから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。


 さっきよりも近くで泣いているみたい。その言葉がはっきり聞こえる。 

「 おぎゃあ んぇあぁ 」って。

 それが三回くらい続いて、それでそれきり、あとはなにも聞こえない。


 声のしていたほうに目をやると、大きな病院が間近に迫ってて、私のことを見下ろしていた。


 病院の屋上では、あわい色のたくさんの洗濯物せんたくものが、音をさせないでパタパタと風になびいていた。


 色の抜けたピンクや青や黄色、それから、白色。


 生まれて初めて思った、白色も色が抜けるんだーってね。まるで、水にかした白みたい。あんな色、初めて見た。


 なんだか白色の赤ちゃんって感じがしたよ。


 だってさ、まわりの色たちに巻きついてじゃれたりしてさ、甘えているように見えたんだもん。


 かすかに遠くの遠くから、りの音みたいな『 カン カン カン 』って音も聞こえた。でもそれは私の思い違い。


 だってぇ、ここら辺に線路は走ってないからねぇ。


 キツツキなんかが、道端みちばたの木をカンカンやってたのかもしれない。たぶん。


 私は歩くのが好きだな。自転車も風が気持ちよくていいけど、景色があっという間に流れていっちゃうのが、ちょっともったいないなって思っちゃう。


 だから私は、歩くのが好き。

 ホントをいうと大好き。

 そのなかでもとくに、夏に歩くのが好き。


 明るいせいか、目に映る景色がはっきりしていて、まるですべての景色がさ、「ねぇ、こっち見て」って言っているみたいじゃない?


 暑いのは嫌なんだけど、こうして景色をながめていると、だんだん暑いのが気にならなくなって、ときたま感じなくなっちゃうくらいだもん。

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