私は、駅前えきまえにある『たたき食堂しょくどう』っていう定食屋さんを目指した。


 そこへはなんども行ったことがあった。


 値段ねだんが安くていろんな種類の料理があって、しかも、どれを食べてもすんごいおいしいから、外でごはんを食べるときはそこに行くことが多かった。

 ママとよく行くし、友だちともたまに行く。

 けっこう人気のお店だからか、知ってる人ともよく会う。


 こないだなんてすごいビックリしたよ。だって、となりにすわっていたおじいさんをよく見てみたら、校長先生だったんだから。


 校長先生ってなんかすごそうな感じがするから、高級こうきゅうレストランとかにしか行かないのかなって、私はなんとなくそう思っていた。

 いつもスーツっぽい服着てるしね。

 でも、そのときの校長先生はアロハシャツと短パン姿で、まるっきり別人みたいだった。


 校長先生はまごといっしょだった。

 高校生くらいのおねえさんで、からあげをくれたりしてやさしい人だったけど、……私はそのおねえさんに、めっちゃイタズラされた……。

 くすぐられたり……おはしかくされたり……お水にお塩を入れられたり……。

 校長先生はそれを、すんごい恥ずかしそうにしながらおこっていたっけ。


 私はそれを見て、校長先生も人なんだって思った。


 ……いや、人じゃないなんて思ったことないけど……、……なんていうか、しんせきのおじさんとかと、そんなに変わらないんだなって、そう思った。

 学校で見てたすごそうなのは、もとからじゃなくて、ちゃんとしてるからなんだって、がんばってるからなんだって。


 それからの私は学校で、校長先生の話をまじめに聞くようになった。

 まえは、……ちょっとひどいけど……、朝のニュースを聞いてるくらいにしか思ってなかったんだけど、いまは、しんせきのおじさんがしゃべってるって、そう思いながら聞いてる。


 校長先生だけじゃなくて、『たたき食堂しょくどう』では、いろんな人の意外ないちめんが見れておもしろい。そうじゃなくても、知ってる人を見つけるだけでテンションがあがる。

 だから『たたき食堂しょくどう』はお気に入りの場所だった。


 そんなわけで、地獄じごくみたいに暑いなかだったけど、私はごきげんだった。冷やし中華のこともあって、絶好調ぜっこうちょうだった。


 どれくらいかっていうと、かってに冷やし中華のテーマソングをつくって、鼻歌を歌っちゃうくらいに。いつもは駅前えきまえまでに休憩きゅうけいをはさむんだけど、それもなしなくらいに。


 お腹がへってきてたし、テンションもあがってたから、私はいつもの六倍くらいの速さで歩いていた気がする。それはちょっと言いすぎかもだけど、気持ち的にはそれくらいだった。

 そんなふうなら、あっという間に『たたき食堂しょくどう』に着きそうなもんだけど、じっさいには、そうはならなかった。

 道の途中で、私は、思わぬ足止めをらってしまったから。


 しかも、いちばん食べたくないもののせいでね。


 私は、街に流れる大きな川に沿う、土手どてを歩いていた。

 この川は、ここからずっと遠くの山のなかで生まれて、たくさんの街を通ってこの街まで流れてきて、この街を真っ二つにって、それからまたいくつかの街をめぐって海にたどり着く、らしい。

 じっさいには見たことないからよくわかんないけど、近所にあるみちえき看板かんばんにそう書いてあったから、たぶん間違いないんだと思う。


 川はちょうど駅前えきまえのほうにのびていて、ここを通るとけっこう近道になる。

 だけど、川の近くだから風が気持ちよくて、それに木陰こかげがたくさんあるからすずしくて、夏はついついのんびり歩いちゃうから、そうならないことも多い。でも、疲れないしいやされるから、この道はサイコー。


 アスファルトの道だけどクルマが通れないようになっているから、ここを通ると、かならずと言ってもいいほど散歩さんぽやジョギングをしている人とすれ違うけど、やっぱり今日は、あんまり暑いせいか誰もいなくて、私は道をひとめだった。


 道を少し歩くと木陰こかげエリアになる。土手どてのそばには桜の木がたくさん並んでいて、どれも葉っぱをうじゃうじゃさせていた。


 緑の葉っぱのあいだから日光がしこんで、キラキラかがやいて、すごくキレイだった。

 どんなに歩いても、どこから見上げてもそうだったから、太陽がでっかくなったように感じた。それなのにひんやりすずしいから、なんだかあべこべな感じ。


 太陽はいつもくらいの大きさなのが、いちばん熱くなれるのかなぁとか、ぼけぇーっとそんなことを考えながら私は歩きつづけた。


 そのあいだ、ずっと上を向いたまま歩いていたせいか、私はなんども、『おっとっと』ってなって転びそうになった。しかもけっこうな距離を『おっとっと』って移動していたはずだから、もしいつもみたいに人がいたら、誰かにぶつかっていたかもしれない。

 ひとめ~って感じがして、私はそれが、ほんのちょっぴり楽しかった。


 桜の行列を抜けると、日光がじかにふりそそいできて、どっと汗が出た。

 それに、カミナリを近くで見たときみたいに、目の前が一瞬明るくなって、その次の一瞬には、まるで、世界が突然夜になったみたいに、あたりが暗くなった、ように感じた。きっと、急に明るくなって、目ん玉がビックリしちゃったんだね。


 目がなれてくると、今度は私がビックリしちゃった。


 世界はこんなに明るいんだったっけ、って。見える色すべてがくって、いつもの景色に、かさりしたみたい。だけど絵とは違って、うにゃうにゃ動いていた。暑すぎるせいで、遠くの景色がれていたの。


 それから、土手どての道の先に、あれができていた。


 逃げていく水たまり。


 あれっておもしろいよね。

 どんなに追いかけても逃げちゃって、ぜったいに追いつけない。

 確かにれてるように見えたのに、そこへ行ってみても地面はかわいてて、それでもう水たまりは遠くにいて、知らん顔してるんだから、まるで生きているみたい。


 ホントに不思議な水たまり。


 私はあの水たまりが大好き。


 だけど私はあれの名前がわからなかった。

 だからそれを知りたくて、誰かに聞こうと思ってるんだけど、私はいつも、そのことをいつのまにか忘れてしまっていて、けっきょくいままで、あれの名前はわからないままだった。


 だから私はとりあえず、あれのことを、『水たまりもどき』とか『水たまりの幽霊ゆうれい』とかって呼んでいた。

 でも、あんまりしっくり来なかった。

 だって、移動したり消えたりして、ただの水たまりよりずっとすごそうだし、幽霊ゆうれいなら、逃げるんじゃなくて、後ろから追いかけて来そうだもんね。


 景色のゆらゆらと、水たまりが逃げるのをじっと見ていたせいなのか、一瞬めまいがした。

 まさか熱中症かなとも思ったけど、大丈夫そうだった。足元を見ながら歩いていると、めまいはすぐにおさまったから。


 でも、家を出てからなにも飲んでなくて、のどはカラカラだった。

 自販機じはんきを見かけたらジュースを買おう、いや、冷やし中華にそなえてミネラルウォーターにしとこうかな、なんて考えていると、どこかから声が聞こえてきた。


 高くて楽しそうな声。

 まるでコトリの鳴き声みたい。


 声のするほうに目を向けてみると、川の手前の河原で、近所の子ども会なのか、大勢おおぜいで流しソーメンをしていた。

 べつになにか特別なこともないはずなのに、私はそれに目をうばわれてしまった。

 足止めをらったっていうのは、ちょっと違うかもね。だって、私は、自分で足を止めたから。らったっていうより、自分で食べたんだから。


 あんなに見るのも嫌だったソーメンだけど、『流しソーメン』っていうのに、私は心をうばわれて目を離せなくなってしまった。

 ちっちゃいころに、なんかいかやったことがあって、どれも楽しい思い出だったから。


 これはたぶん、『なつかしい』って気持ちなのかもしれない。

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