「今日は月末げつまつだろうがあー!!」

 スーツの人は、トドメの一撃いちげきって感じで叫んだ。


 あ、もしかして、これで終わりかな? なんて思ったけど、ぜんぜん違った。叫ぶだけじゃ気持ちをおさえられないのか、叫ぶのに合わせてジタンダまでみはじめた。「月末げつまつ月末げつまつ」言いながら、右足をおおきくあげて、なんどもなんども、ずっとずっと。


 声に比べたら、ジタンダの音は地味じみで小さい。

 ここは体育館とかじゃなくて、地面はかたいアスファルトで、いてるくつも、ゲタとかじゃなくて普通のくつだから。

 動きのわりに鳴る音はすごく小さい。かわいてて、ぜんぜんひびかない。足音が少し声をはったくらいな感じ。


 だけど、あんなことして、痛くないわけがない。あんまりおこってて、痛みを感じないのかもしれないけど、きっと、あとから痛くなるに決まってる。


 あのままだと、足がダメになっちゃうんじゃないかって思った。それに、あんなに叫んでいたら、いつかかならずのどをおかしくしちゃう。


 ……おまわりさん呼んできたほういいのかな……?

 でも……、余計よけいなことすんじゃねぇ!! っておこられたらどうしよう……。

 ……うーん……いちおうスーツ着てるから……ふだんはちゃんとした人なんだと思うし……たぶんだけど……。……くつもピカピカだしさ……。


 こないだ見たテレビで言ってたからね、『人を見るときは、その人のいているくつを見なさい』って。くつをきれいにしてる人はちゃんとしてる人が多い、とかなんとか。


 ……でも……どうなんだろ……まえにママからりて読んだ雑誌ざっしには、『高くていいくついておけば、ほかがいい加減かげんでもなんとかなる。異性いせいをゲットするには、まずはくつから!』みたいなことも書かれてあったし……。

 ……よくわかんない……。


 スーツの人がいているくつは、新品しんぴんなのかみがいたばかりなのか、夕日でって、黒く光ってツヤツヤしていた。


 爪先つまさきがまるっこくて、ゴツゴツして重そうで、値段ねだんが高そうで、そしてなにより、……めっちゃ頑丈がんじょうそう……。


 きっと、こういうのを出来心できごころっていうんだと思う……。いや……がさすってほうが合ってるかも……。


 私はあることをひらめいた。


 クルミをスーツの人の足元に転がしてやれば、クルミがれるんじゃないかって。


 ……これならいけるかもしれない、いまならいけるかもしれない! ……でも、これはいけないこと……。スーツの人に、めっちゃおこられるかもしれないし、……最悪さいあくたたかれそうな気もする……。


 ……でもそれ以上に、……スーツの人はクルミをんづけても、まったく気がつかないんじゃないか、とも思うんだよね……。……わ、私ってサイテーだ…………。


 でも私は、まよったすえ、やることにした。……それでいいのか、私……、と思わないこともなかったけど、きっとこれが『最初で最後のチャンス』なんだって、なんとなくそう感じて、まよいはきれいさっぱり消えてしまった。


 私は地面に転がるクルミをひろいあげ、しのび足で坂をのぼって、スーツの人と少し距離をつめた。


 そして私は、ひとつ深呼吸しんこきゅうをしてから、クルミを勢いよく転がした。


 とくに意識したわけでもなかったけど、私は、ボウリングの転がし方をしていた。

 投げ終わりのポーズを決めたまま、私はあることに気がついた。『私、生まれてから、一度もボウリングしたことないじゃん』って。


 クルミは少しカーブしながらも、まるで吸いこまれるように、ちょうどスーツの人の足元に転がっていった。


「よしっ! ツーアウトっ!」


 そう言いながら私は、無意識に、空を見上げておおきくガッツポーズをしていた。バカみたいにおおげさに。

 ……自分の思いどおりになったのが、そんなにうれしかったんだね、私……。ていうかツーアウトじゃなくて、ホントはストライクだしさ……。

 てか、ガッツポーズをしたのは、生まれて初めてかもしんない。たぶんだけど。


 サイコーにうれしいとき私はいつも、むねの前で両手を組んで、ぎゅーっとにぎりしめながら、かかとをちょっぴりなんどか浮かせて、少し上下じょうげに動くくらいだからさ。

 自分ではそれが普通だと思ってたんだけど……、こないだ友だちに、「なんかさ……ノノのそれって、なにかの儀式ぎしきみたいだよね」って言われて、ものすごくきずついたっけ……。


 うわそらにそんなことを考えていると、あたりに突然『バンッ!!』っていう音がひびいた。それは『よ~い、ドンッ!』のピストルみたいにすさまじい音で、めっちゃ耳にきて、ちょっとのあいだ私の耳は「……キーン……」って言ってた。……うう、耳が地味じみに痛い……、鼓膜こまくがやぶれるかと思ったよ……。


 ……あと、なんだかコゲくさい。


 スーツの人を見ると、そのまわりで、ほそくて白いけむりが何本かれていた。

 けむりをたどって視線を下に移してみると、そこには、れて真っ二つになったクルミのからが転がっていて、そのあいだに、まんまるいクルミの中身が、どっしりと腰を落ち着けていた。


 大きなからに入っていただけあって、中身もめちゃめちゃ大きかった。

 すごい存在感だ。まるでこっちをドヤ顔で見ているみたい。なんかもう、『クルミの食べるところの王さま』って感じ。

 栄養えいようがありそうで、複雑ふくざつなかたちで、脳ミソみたいで、……なにより、すんごいおいしそうだった。


「やった! やったよ、カラスさん! やったねっ!」


 クルミから目を切って、カラスさんのほうに振りかえろうとした瞬間、なんだかやけににぶい『――カショリッ――』って音が聞こえた。


 嫌な予感がして私は、またクルミのほうを見た。けど、クルミの中身が見あたらない。その代わりに、クルミの中身があった場所には、スーツの人の右足が置かれていた。なるほど。それじゃあさっきの音は、スーツの人が、クルミの中身をんづけた音だったんだ。


月末げつまつ! ……月末げつまつ月末げつまつ! 月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ! 月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ月末げつまつ……、月末げつまつ!!」

「ああ! ちょっとやめてえ! ストップ、ストップ! やりすぎだよっ!!」


 スーツの人は、どんなに私が声をかけても止まらなかった。というよりそもそも、私の存在に気がついてさえいないみたいで、ただひたすら「月末げつまつ月末げつまつ」言いながら、ジタンダをみつづけた。


「……ぅ……うわぁ……粉々こなごなだぁ……」


 クルミは、中身も、そのからも、すべてこっぱみじんになってしまった。


 私は絶望ぜつぼうを感じた。


 気がつくと、私は知らないあいだに、その場に腰をおろしていた。ぺたんこずわりだった。


 日が沈みかけているとはいえ、いまは夏。それなのに、アスファルトはやけに冷たくて、まるで、真冬の体育館のゆかすわっているみたいだった。


 スーツの人はしばらくのあいだ、たぶん九分くらいあばれつづけていたけど、まるで電池が切れたみたいに、突然その動きをめた。

 それからは、ずっと下を向いてうなだれて、放心状態ほうしんじょうたいって感じで、……なんだかそれは、見ているだけで元気がなくなるような、しょんぼりした姿だった。

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