私のパパは、私が生まれるまえに死んでしまった。


 だから私は、パパに一度も会ったことがない。

 私にとってパパは、写真のなかの人で、ママの話してくれるお話のなかの人で、もとからいなかった人で、昔の人。


 もしもパパがいなかったら、私はこのに生まれてこれなかったわけだけど、その実感じっかんが、私にはあまりなかった。いくらパパの話を聞いてもさ……歴史れきし授業じゅぎょうを聞いているようにしか思えないって感じで。


 誰かの大発明だいはつめいのおかげで便利べんりなかになったとか、おサルさんたちのがんばりがなければ、いまの私たちはなかったとか、キョウリュウが寒さにギブしたおかげで、ほかの動物たちがのびのび生きられるようになったこと、ひどい戦争せんそうのあとの反省はんせいのおかげで、いまの平和な暮らしがあること。

 そういう昔の出来事できごとと、私にもパパがいたって事実とを比べてみても、私が受ける感じはそこまで変わらなかった。


 ひどい話だなって自分でも思うけど、こういうのは自分じゃどうしようもないよ。

 私がパパに無関心むかんしんでいることが、ママにとって悲しいことだって、私は確かに知ってる。

 だけど、それでも、わからないものはわからないよ、感じる感じは変えられない。


 私のパパは、私が生まれるまえに死んでしまった。


 それも、私が生まれるちょうど一日まえに。

 あともう少しってところで、私とパパは、顔を合わせることができなかった。


 物心ものごころがつくまえで、私の記憶きおくに残らなくても。その次の日に死んじゃうとしても。ひと目でも、一瞬でも、顔を合わせられたならよかったのに。絶対ぜったいにそのほうがよかった。そうすれば、ママの心は少しだけかるくなったはずなのに。


 ママは、いつもそのことをやんでいる。「たしかに顔は合わせられなかったけれど、それでも少しのあいだ、あなたとパパの人生は重なっていたんだから」、なんて強がりを言ってごまかすけど、ママの顔はやっぱりどこか悲しそうだった。


 パパは、クルマの事故じこで死んでしまった。

 でもそれは、事故じこというにはものすごく地味じみだったらしい。

 クルマと衝突しょうとつしたとか、人をひいちゃったとか、そういうのじゃなくて、電信柱でんしんばしらにほとんど自爆じばくで、それも、かるくコツンと、ただ、車体しゃたいがほんのちょっとへこむくらいにぶつかっただけ。


 ママは、私が生まれてくるのが、ものすごく不安だったらしい。初めての子どもで、ママはそれでなくても心配しいだから。


 ちゃんと生まれてくれるかとか、逆子さかごだったらどうしようとか、ちゃんと息をしてくれるだろうかとか、病気を持ってたりしないだろうかとか、学校でいじめられたりはしないかとか、ちゃんと結婚けっこんできるだろうかとか、DV男ディーブイおとこにホレたりしないだろうかとか、いい人生を送ってくれるだろうかとか。


 私からしても心配しすぎって思うくらいだから、パパはずいぶん困ったんじゃないかなぁなんて私は想像するけど、ママが言うには、パパは包容力ほうようりょくのある人だったからまったく問題なかったらしい。包容力ほうようりょくって言葉はよく聞くけど、私はいまだに、これだ! これが包容力ほうようりょくだ! ってピンときたことがないから、よくわかんないけど。


 ママが言うには、パパはあんまり気にしない男だったらしい。

 悪くいえば鈍感どんかん、よくいえば動じない人だったとか。心配しいなママの言うことだから、ホントかなーって感じだけどね。


 小さいころ、私はあるときテレビを見ていて、なかには結婚けっこんしない人がいるって知った。

 そのときまで私は、大人はみんな結婚けっこんしてるんだと思っていた。

 なんか、大人になるとみんな自動的に結婚けっこんするんだ、みたいに思ってたんだよね。


 それで私は、ふと気になって、ママに「なんでママは結婚けっこんしたのー?」って聞いてみた。

 そんで、ママはいろいろと長ーい話をしてくれたんだけど……、私は、ママがやたらとうれしそうに話すのが気になっちゃって、その話の内容をほとんど覚えていなかった……。


 でもこの言葉は覚えてる。……なんか、言い方があれだなーって思ったから。


「あんまり鈍感どんかんだから、こっちからこくってやったのよ」だってさ。


 やっぱ言い方がちょっとなーって思うけど、ママがうれしそうだったから、そこまで気にならないけどね。あれかも、私もどっちかというと気にならないほうかもしれない。もしかすると私の心は、パパ似なのかも。顔はめっちゃママ似だけどね。


 そんなパパだったんだけど、ママといっしょに暮らすうち、心配しいがちょっぴり移っちゃったみたい。


 ……私が生まれてくるってなって……、……『いないいないばあ』の練習れんしゅうとかしてたらしいから……。まえに私はなんどか見たことがある、ママがこっそりかくりした写真を。……『ばあ』だけの写真……。……『ばあ』だけ見せられてもなあって感じだけど……。


 そんなわけで、ママとパパは、私が生まれてくるのを、『よしっ、もうこれで完璧かんぺきっ! いつでも生まれてこーい!』って受け止めるために、あれこれと準備をしてくれたらしい。

 物をそろえたり、育児いくじの本で勉強したり、ふたりで子育ての仕方を話し合ったり。

 ママのことだから、やりすぎなくらいに、それも、先の先のことまで考えたんだろうなって思う。

 そうして、これで完璧かんぺき確信かくしんしたママとパパだったけど、ひとつだけ抜け落ちていたものがあったんだって。


 それはベビーカーだった。


 ……まあ、赤ちゃんが生まれたって、そんなにすぐお散歩さんぽに行けるわけじゃないから、そのときに買えば充分じゅうぶんなわけだけど、そこはママ。

 どうしてもそれが気になって、心配になってしまった。


 ママはもう、それがどうしても気になって、気になって気になってしょうがなくなっちゃったんだって。

 ベビーカーを買わないと、私が生まれてこれないんじゃないか、くらいにママは思ったらしい。ほんとうに心配しすぎ。ママはお守りとか好きだから、それに近いような感じに考えていたのかもしれない。つまり、おまじないみたいに。


 いまでもそうだけど、たまにママは外出がいしゅつのついでに、私をつれて神社じんじゃやおてらに行ったりする。

 そしてそこで、けっこうな確率かくりつでお守りを買うから、家にはお守りがたくさんある。私はあまりそういうのを信じないけど、……これだけ買えば少しは効果あるかも……って思うくらい、たくさん。


 そんなママだったから、ベビーカーを買わないと、すべてが台無しになってしまうような気がしたのかも。ほかが完璧かんぺきだからなおさらね。

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