そこは行き止まりだった。


 高いブロックべいに前と左右を完全に囲まれていて、物がいっさいなくて、ブロックべいにも足をかけられるところがなくて、完全に逃げ場がなかった。

 ただかべが高くそびえて、空を小さく切りとっているだけ。なんにもない。でもよく見てみると、突きあたりのかべにはがみがしてあって、そこには、黒いマジックペンでこう書かれていた。



  いちげんさまことわ



 ……誰? いちげんさまって? もしかして……なにかの神さま? と、のんきにそんなことを考えているうち、ふと、私はあることに気がついた。さっきまであんなにうるさかった、『トロッコ問題ささいな問題!!』って声や、車輪しゃりんの音が、まったくしないことに。


 もしかして、私を見失みうしなって遠くに行っちゃったのかな、なんて思っていると、……歌うような不気味ぶきみな声が聞こえてきた。


 私が後ろに振りかえるとすぐに、がりかどからゆっくりとトロッコが姿を現して、ただひとつの逃げ道をふさいだ。

 すぐにこっちに突っこんでくるかと思ったけど、トロッコはただ、車体しゃたいの先を私に向けたままで、少しも動かない。


 私はファイティングポーズをとって、相手をカンサツした。


 トロッコの前の部分は真四角ましかくで、かどの近くにはひとつずつ黒いマルがかれていた。まるでサイコロの『よん』みたい。……なんか、あんまりカッコよくない……ちょっとダサいかもしれない。


 トロッコには、車輪しゃりんじゃなくてタイヤがついていた。

 それも底にじゃなくて横についてる。

 クルマに使うようなやつで、ものすごく大きい。トラックとかに使うやつなんじゃないかと思う。だから、トロッコの乗るとこは地面からけっこう浮いてる。


 ……こうして見ると、あんまりトロッコっぽくない。

 オモチャのクルマみたいな雰囲気だ。


 ……ていうか、なんでタイヤで走ってるのに、『カタンコトン』って音が鳴るんだろう……。もしかして、スピーカーで鳴らしてるとかかな……?


 タイヤを合わせたトロッコの横幅よこはばは、道とほとんど同じくらいで、左右のすきまは、カニ歩きでやっと通れるか通れないかくらい。

 ……走ってこられたら……どうしようもない。……ヤヤ、ヤバいじゃんっ……どこにも逃げ場ないじゃんか……もうあれじゃん……ネズミじゃんか……完全に袋のネズミだ……。……私は、ここで……粉々こなごなになっちゃうんだ…………。


 トロッコからのびるレバーは、ぼうの部分をすべて包帯ほうたいでぐるぐる巻きにしてあった。

 その先っぽには大きな赤いたまがついていて、キレイにテカテカ光っていた。まるでボウリングのたまみたい。

 ……ボウリング……一度でいいから、してみたかったなぁ……。


 トロッコに乗っている白いかげは、もちろん幽霊ゆうれいとかじゃなかった。でもその人は、全身をくまなく包帯ほうたいでぐるぐる巻いていた。まんまミイラだ。……これはちょっとカッコいいかも。


 ミイラ男はさっきから棒立ぼうだちのまま、寝言みたいな感じでなにかムニャムニャ言っていた。声がこもってて、なにを言ってるのかはわからなかったけど、男の人らしいってことだけはわかった。


 じっと様子をうかがっていても、さっぱり動きがなかった。


 もしかしてあのミイラ寝てんのかなとか、そもそも包帯ほうたいで前がよく見えてないじゃないかとか、いろいろ考えたすえ、しのび足で行けば大丈夫なんじゃないかと思って、私はそーっと前に一歩みだした。

 けどその瞬間、急にミイラ男の声が大きくなって、聞きとれるくらいになった。


「……ここで会い、そして百年がつ、……雨の降りしきる山道さんどう、そのさなかの温度計おんどけい水銀すいぎんを天にのばし、百をしめすであろう……、……汗がとまらん……暑い、……このおてんばひめめがぁ……じゃじゃ馬のごとくに逃げまわりおって、……だが、ここはもう大奥おおおくだ、……どこにも逃げ場などありはしない……、……えぇい、覚悟かくごせい、往生おうじょうせい!」


 そこで言葉を切ると、ミイラ男は両手を組んで、私のほうに腕をのばした。よく見ると、右手をピストルのかたちにして、その底に左手をそえていた。

 そして、ミイラ男はその格好かっこうのまま叫んだ。


次回じかい最終話さいしゅうわ……、『おまえは、ここで死す!』」

 私がなんかヤバいぞと思っていると、ミイラ男は続けて、ピストルをつまねをしながら、「ドカーンッ!」と言った。


 ……え? ……ドカーンって……それは大砲たいほうなんじゃないの……? ピストルはバキューンじゃあ……? と心のなかでツッコミながらも私は、いよいよヤバいと思って、けっこうな勢いであとずさりした。

 後ろがブロックべいだってことをすっかり忘れてて、私はそのまま、頭の後ろをブロックべいに思いきり、『ガンッ!』とぶつけた。


 よかったことに舌はまなかったけど、奥歯おくばが『ガチッ!』ってなって口のなかがめっちゃ痛いし、それより、頭がれそうなほど痛かった。

 ……なんだか……、……目の前がますます暗くなって……少しだけ世界がれてる……。……痛すぎ……、……し、死にそう……。


 でも、そんなこと言っていられない。私は涙目になりながらも、またファイティングポーズをとった。

 すると、ミイラ男は「だが待て」と言った。


 なにが……? なにを……? 誰が……? 私はわけがわからなくて、ちょっと首をかしげた。


 それに反応したのか、ミイラ男は急に『気をつけ』の姿勢しせいになった。

 そして、背筋をのばしたまま両手をむねの前にもっていくと、すべての指をピンとのばしながら、両方のこうを私に向けて、「待てと言ってるだろ、さっきからなんどもなんども……」と、……あきれたような声でそう言った……。


 ……いやいや、いっかいしか言ってないし、それに、『待て』っていうなら手のひらを向けるもんじゃあ……? って私が混乱こんらんしていると、ミイラ男はまたしゃべりだした。なんだか、声をやさしい感じに変えて。


「まぁ楽にしたまえ。……ワガハイだって人間のはしくれだからさ……、ただひとつのなさ発動はつどう

 …………このでなにか、思い残したことはありませんか? なんでもいいんです……。あれがしたかった……あれを食べたかった……あのとき、ああしていればよかった……あんなこと言うんじゃなかった……思いやりがなかったな……ひどいこと言っちゃったな……あの人にあやまりたかった……もっとやさしくいるべきだったな……もう一度あの人に会いたかった……こんなことなら、ちゃんと、ありがとうって言っておけばよかった……。

 なんでもいいんです。いちばんの思い残しを、ひとつだけ聞かせてください」


 私が黙ったままでいると、ミイラ男は腕をおろして叫んだ。


「はやくのべるんだ! はやくぅ!! 時間は無限むげんだあ! だけどな……いくらいっぱいあっても、おまえはそんなに持てないんだよ……。……だからぁっ! はやくしろ! おまえの時間は有限ゆうげんだあ!!」

「し、知らないよぉ……! よくわかんないけど……、やりたかったこと……? それもひとつだけ……? そんな、そんなの、決められないよ……!」

「いいから…………はやくのべろっ! 考えずに感じたまま言えばいいんだ! それがホントのおまえの気持ちだ!

 考えた気持ちは……、誰かの気持ちだ、つくられた気持ちだ、遠慮えんりょした気持ちだ、やさしい気持ちだ。……それは大切な気持ちだけどな……、ワガハイが聞きたいのはそんなのじゃない!

 おまえのホントの気持ちを吐き出せ! いますぐつまみいした道草みちくさを吐き出すんだっ! のべろー!! のべるんだあっ!!」

「……なんで……そんなこと、言わなきゃいけないの……?」

「どうしても言わぬなら、ワガハイが代わりに言ってやるぞぅ?」

「そ、それはなんかイヤあ!」

「じゃあ言うんだ! おまえのホントの気持ちを!」

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