失意の船旅➀
さくら達がなんとか大坂城に引き上げると、すでに二番隊を率いた新八、同じく四番隊の斎藤、五番隊の左之助が到着していた。
「そちらは、無事のようだな」
三人の顔を見て、さくらは安堵の息を漏らした。
「聞いたぜ、源さんのこと」
普段は明るい左之助が顔を曇らせている。つられるように、さくらの気持ちは再び落ち込んでいくようだった。
「すまぬ。私の力不足で、連れ帰ることができなかった」
「誰のせいでもありません。これが戦なのだと、割り切るしかないんだと思います。……ところで島崎さん、こんな時ですが、さらに悪い話が」
「なんだ新八、できればもう悪い話は聞きたくないが……」
とは言え、聞かないわけにもいかない。新八が告げたのはさくらにとって驚くべき報。旧幕府軍の、全面的な敗北だった。
「負けた……?」
さくらはじっと新八を見つめた。「負けた」と口にしても、現実として受け入れることは到底できなかった。確かに、千両松での敵の猛攻はすさまじかった。源三郎を失う程に、新選組は劣勢だった。しかしそれはあくまで局地的なもので、全体として幕府が負けるはずはないと思っていた。兵力では、明らかに幕府が勝っているのだから。
「はい。新選組だけでなく、見廻組や会津の兵も、皆ここまで退却してきていると」
「そんな……」
ここで斎藤が、「島崎さんは、見ましたか?」と尋ねた。何をと聞き返すと、斎藤は言いにくそうに口を開いた。
「錦の御旗です。俺たちの隊は、薩長の軍が掲げているのを見ました」
「錦の御旗?」
「はい。それで幕府軍は一気に戦意喪失してしまったと。淀藩が寝返って、それに続く藩も出てきているのだとか。とにかく、いまや薩長が官軍で、こちらが賊軍ということになるらしいです」
「なんだって……!? それは、勇……局長は、知っているのか?」
斎藤が頷いた。さくらはいてもたってもいられず、斎藤たちに現況を教えてくれたことへの礼を述べると、勇を探しに行った。
勇は、中庭に面した廊下で歳三と立ち話をしていた。すぐ隣の部屋には傷病者が集められており、呻き声や看病する者たちの忙しない足音で落ち着かない場所だった。
「ああ、さくら。……聞いたか?」
まるで葬式にでも参列しているかのような顔をしている勇に、さくらはこくりと頷いた。
勇は城内を歩き回れるくらいには回復していたものの、大坂城には方々から情報が入るために一喜一憂していたせいで、まったく気が休まらなかったという。
「さくらは見たのか? 錦旗」
「いや……だが、斎藤たちは、見たらしい」
「そうか」
「なぜだ。公方様……慶喜公が、帝に仇なすはずなどないではないか。幕府の軍が賊軍だなんて、そんなことあってたまるものか!」
声を荒げてみても、虚しくなるばかり。ここで勇に当たり散らしても何にもならないことは重々わかっているが、気持ちのやり場がなかった。何かの間違いだと、誰かに言って欲しかった。一時は長州の方が賊軍として
「……本当に、ふざけてやがる」
静かに、だが明らかな怒気をはらんで、歳三が言った。
「薩長の……あんなやつらにコケにされて、このまま引き下がれるかよ」
「おれも同じ思いだ。だから、直談判に行こうと思う。トシ、ついてきてくれるな」
「ああ。もちろんだ」
この日はすでに日も暮れようとしていたため、勇と歳三は、明日の朝一番で慶喜、もしくは慶喜に近い者に徹底抗戦を説こうと意気込んだ。
***
その日の夜のことだった。大坂の港に、一隻の船があった。
船の名は、開陽丸。オランダで造られた最新式の軍艦で、幕府にとって海上軍事力の要となるものである。そこに今まさに乗り込もうとしているのは、誰あろう、
「上様。誠に……このまま行かれるのですか」
問うたのは、会津藩主・
「ここまで来てまだ世迷言を申すか。……はは、世迷言を申しているのは余の方であるな。わかってくれ、
慶喜とて、罪悪感がないわけではなかった。大坂には、いまだ抗戦を主張する幕臣が多いのはわかっている。彼らにしてみれば、自軍の大将たる慶喜が、江戸に逃げ帰ったと映るだろう。それを否定するつもりはない。だが、これ以上血を流さぬ方法は、他にないと思っていた。
脳裏に、以前対面した三人――二人の男と、一人の女――の姿が浮かんだ。
「そなたは、幕臣として最期まで余のために働くと誓えるか」
こう尋ねた時、女は答えた。
「この命続く限り公方様のため、日の本のために働く所存にございます」
――ああいう目をした者たちを、まだ死なせるわけにはいかぬ。
慶喜、容保、他わずかな側近を乗せた開陽丸は、静かに大坂の港から離れていった。
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