種明かし②

 さくらにとっては、初めて見る光景だった。海辺に点在している家々は、壁が白や水色などの明るい色で塗られ、窓の形も半円形をしている。

「あれが、異人の家……。家まで建てて、住んでいるのですね」

「異人が憎いか? 最近じゃあ頭ごなしに攘夷だ攘夷だというやつも減ったようだが」

「……私が直接何かをされたわけではありませんし、憎いというのは少し違いますかね。なんというか、率直に言えば、『怖い』かな。けれど、闇雲に斬って捨てようとは思いません」 

 さくらは以前松本良順から聞いた話を思い出していた。攘夷とは、単に西洋人を追い払えばいいというものではないと。異国のことを学び、力をつけ、長い目で見て日ノ本を守れればそれでよいのだと。

「あいつらだって人間だ。食べるし、寝るし、笑う。そんなこと、ちょっと会ってみりゃあすぐわかるんだがな。よし。弥平、港の方に行くぞ。この姉ちゃんが潜りこめそうな西行きの船があるかもしれねえ」

「待ってください。そんな簡単に潜りこめる船なんて……」

「なあに、この辺りには誰かしら知り合いがいるからよ。なんとかなるだろ。とにかく行くぞ。あんたは野盗に襲われて身ぐるみ剝がされたところを俺たちに助けられたってことにしておけ」

 横浜は、さくらにとって初めての土地。今はつべこべ言わず、信じてついていくのがよいだろう。わかりました、とさくらは頷いた。


 三人は、丘を降りて街中に入った。人通りの多い目抜き通りを足早に進んでいく。善吉曰く、裏道をちまちま行くより、近道をサッサと行った方がいいだろ、というわけで。今日で何度目になるのかわからぬ「本当に大丈夫だろうか」という不安を飲み込み、さくらは黙って歩いた。

 状況が許すなら、ゆっくり街を見て歩きたかった。先ほど丘の上から見た珍しい建物は、目の前で見るとより興味をそそる。中はどんな風になっているのだろう。だがもちろん、入って見る余裕はない。

 さくらにとって物珍しいのは街並みだけではない。すれ違うのは、本物の異人。自分たちと見目形が違うのだと話には聞いていたが、初めて見た彼らの姿は新鮮な驚きをもってさくらの目に飛び込んできた。異様に背が高い者、恰幅のよい者。鼻は高く、目の色が青色、灰色、茶色など様々だ。髪の色も、薄い茶色や金色など。だがそこまで恐怖心を抱かせるようなものでもなく、なるほど異人も人間なのだと、先ほど善吉が言っていたことが腑に落ちるような気がした。

 いろんな格好の人々が行き交っているとはいえ、さくら達三人はやはり目立つようだ。怪訝な目で見られていることに、気づかないわけにはいかなかった。そしてとうとう

「そこの者ら」

 と、役人風の侍に声をかけられた。新政府軍の者が着ているあの黒い装束ではなく、普通の和服。奉行所か何かの人間だとすれば完全な敵ではないだろうが、関わらずに済むならそれに越したことはないだろう。こんなところで「島崎朔太郎の脱走」が知られれば、まだ間に合うからと流人船に乗せられるのが関の山だ。最悪、この場で斬り捨てられるかもしれない。

 聞こえなかったふりをして進もうかとさくらが考えたのをよそに、弥平が侍の声掛けに返事をした。

「はあ、我々のことですか」

「見ない顔だな。どこへ行く」

「少々……知人のところへ」

「そこの……女子? は何だ。奇妙な格好で」

「ああ、ちょいと酷い目に合ったようでして」

 さくらは小さくうなずくと、顔を見られないように俯きがちに弥平の背に隠れた。

「酷い目とは? 野盗か? どんな奴らだ」

「覚えてねえみたいでしてね、まあ、とにかく、お構いなく」

「そういうわけにはいかない。近ごろ野盗や破落戸の類には手を焼いているのだ」

 面倒な者に捕まってしまった。こんなところで無駄な正義感を出されてもありがた迷惑である。さくらは顔をしかめた。走って振り切るか。だが失敗した時のことを考えると危険である。もっと面倒なことになるのは明らかだ。その時だった。

「お前、善吉か?」

 侍の背後から来た男が目を丸くしてさくら達を見ていた。

「おお、やはりそうだ! 弥平もいるではないか! 二人ともこんなところで何してる」

「せ、関口先生!」

 善吉と弥平が声を揃えた。さくらは目線だけを上げて関口と呼ばれた男を見た。髪型は歳三がしていたような、髷を切り落とした短髪であったが、ぴしっと手入れの行き届いた羽織と袴を身にまとっている。

 関口先生なる男が突然登場したことにより、役人風の侍は狼狽の色を見せた。

「せ、先生……⁉」

 侍の促すような視線に、関口は答えた。

「うむ。拙者は語学所教授方、関口伸吾せきぐちしんご。この者らは拙者の古い知り合いだが、取り込み中であったか?」

「ご、語学所の方でしたか! ええと、この……方々が、少々道に迷っているように見えましたゆえ……」

「そうか。それは大義であった。だが拙者が請け負うゆえ、心配はいらぬ。行くぞ」

 有無を言わさぬ様子で関口は踵を返し歩き始めた。さくら達は慌てて後を追った。

「関口先生。ありがとうございました。助かりました」

 善吉が丁寧に礼を述べ、関口は笑顔で頷いた。

「まさかこんなところでお前たちに会うとは。あの場ではゆっくり話をすることもできぬでな。拙者の屋敷に案内しよう。して、その女子おなごは?」

「実は、少々訳ありでして……」

「そうか。まあ、見るからに普通の女子ではないな」

 関口は、楽しそうに目を輝かせてさくらを見た。



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