種明かし①
さくらは、一か八かの賭けに出ていた。トミからもらった折り鶴の羽に「一緒に逃げませんか」と小さな文字で書いていた。水夫を味方につければ、どこかの折で逃げ道が開けるのではと思ってのことだ。
さくらが斬りかからないのだとわかると、善吉と弥平は気が抜けたように「はああ」とへたり込んだ。
「驚かせて申し訳ない。あなた方が本当に話に乗ってくれるのか、味方してくれるのか見極めたかったもので」
「肝が冷えましたよ。本気でこのままお陀仏かと」
弥平はやれやれとばかりにさくらを見、続いて岸の方に視線を向けた。まだかろうじて高木の姿が見える。
「あの人、死んじゃったんですか?」
「太腿の傷だけです。死ぬかどうかはわかりませんが、命を拾う可能性は十分あるでしょう。……だから、あなたは気に病まなくて大丈夫」
さくらは善吉の方を見た。善吉も、呆然とした顔で高木の方を見ていたからだ。自分が止めを刺してしまったのではないかと心配しているのだろう。
「あんた、いってえ何者なんだ」
善吉が怪訝な目でさくらを見た。
「あれ、もしや詳しくはご存じないのですか」
さくらはきょとんとして答えた。弥平が頷いた。
「新選組の関係者だってことくらいしか」
「俺はてっきり飯炊き婆みたいなもんかと思ってたんだ。それがあんな大立ち回りするからよ……」
「婆……! わ、私は、新選組諸士調役兼監察方筆頭、兼一番隊隊長代理の島崎朔太郎です!」
二人はぽかんと口を開けてさくらを見つめていた。
「なんだかよくわかんねえが、隊長代理ってことは偉いのか……? つうか、朔太郎って」
「ちょっと善吉さん、立派なお武家様じゃないですか! こんな無礼な態度、斬り捨て御免と言われてもしょうがないですよ!」
慌てた様子の二人に、さくらはクスっと笑みをこぼした。
「態度なんて、どうでもいいですよ。お二人は私の恩人なのですから。……さて。どうしましょうねえ。今思えば先ほど岸に寄せた時にあのまま陸路で逃げてもよかったか」
「あんた、その格好で闇雲に逃げるつもりだったのか」
「野盗に襲われて身ぐるみはがされたとでも言えば漁村で着るものくらい調達できますよ」
「そんなにうまく行くかね。だいたい、どこまで行くつもりだ? 新選組は、散り散りになったと聞くが」
「……京に、行きたいと思っています」
「京だと!?」
善吉も弥平も驚きの声を上げた。さくらは真剣な表情で頷いた。
「近藤勇の首が、京に運ばれ三条河原に晒されると聞きました。私は、近藤の首を取り返しに行きます」
勇の最期の頼みはこれなのだと、さくらは解釈していた。たとえ思い込みだったとしても、首が晒されそのまま薩長の連中に取られてしまうのは耐えられない。阻止しなければと思っていた。それに、敵の目をうまくかいくぐれば見知らぬ寺に置いてきた源三郎も一緒に帰れるかもしれない。なんとしてでも、黙って島流しにされるわけにはいかなかった。高木を排除したことで、第一関門は突破したといえるだろう。問題は、この後だ。
「善吉さん、弥平さん、協力してくれませんか。もちろん、最後までついてきて欲しいとは言いません。あなたたちを危険なことに巻き込むつもりはない。それこそどこか適当なところで下ろしてもらえれば……」
「すでに巻き込んでおいてよくそんなことが言えるな。適当なところなんて、簡単に言いやがって」
「でも善吉さんは半分自分から巻き込まれたようなものじゃないですかぁ。あの見張りを船酔いさせたのも善吉さんがやったんでしょう?」
「え? 弥平さん、どういうことですか……?」
「善吉さんほど海を知り尽くした男が、あんな波風の強いところわざわざ通りませんよ」
「そ、そうだったのですか……⁉」
「ふん、買いかぶるな。とにかく、こうなったからには乗りかかった船だ。ちょっと考えさせてくれ」
善吉は、それだけ言うと黙り込んでしまった。何を考えているのかが気がかりだったが、話しかけづらい雰囲気を醸し出していたので、さくらは黙って海を眺めた。
聞きたいことは山ほどあった。
そもそも、善吉と弥平は何者なのか。異国に行ったことがあり、榎本を知っているという。しかも、水夫としての腕も一流のようだ。この二人こそ実はかなり「偉い人」なのではないだろうか。
そして、今さくら達はどこへ向かっているのか。高木を突き落とした海岸からは、すでに大分遠ざかっている。この小さな船で京まで連れていってくれるのだろうか? そんなことができるのだろうか?
この計画はやはり無謀だったかもしれない。後悔の念が頭をもたげた頃、船は大きく右に曲がった。
「着くぞ」
善吉がやっと口を開いた。さくらは善吉の顔を覗き込むように、船首の方に身を乗り出した。
「どこですか?」
「横浜だ」
「よ、横浜って、当初の予定と変わらないじゃないですか」
「京に行くんだろ? 一旦横浜で準備するのが一番だ。心配するな」
やがて、船は人気のない砂浜に着岸した。近くに小さな崖があり、その先にはうっそうとした森が広がっている。
「ここを抜ければ、直接横浜の街中に出られる。とりあえず、これでもかぶっておけ」
そう言って、善吉は自分の着ていた半纏と、手ぬぐいをさくらに差し出した。さくらは短く礼を言って受け取った。下ろしていた髪を簡単に結い上げほっかむりをし、半纏を羽織った。白装束についた高木の返り血は、すっぽりと隠れた。
さくら、善吉、弥平は、不安定な凸凹道に時折足を取られながらも、森の中を進んでいった。本当にこの先に横浜の街があるのだろうか。何も見ずにずんずんと先を行く善吉に、さくらはついて行くのがやっとだった。
半時ほど歩いただろうか。景色が開けて、さくらは今自分が小高い丘の上にいることを知った。眼下に広がっているのは――
「わあっ……!」
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