局長の災難➀


 約一年と少し前、こうは近藤勇に身請けされ、新選組の屯所にほど近いこの妾宅に囲われていた。

 新選組はどんどん大きくなっている時期で、その局長ともなればいつも多忙で。一緒に過ごせる時間は決して多くはなかったけれど、妾宅にいる勇はいつでも孝を思い、慈しんでくれた。他にも妾やら馴染みの女やら、そもそも江戸に正妻もいることは承知していたが、そんなことを気にしていては妾は務まらない。

 妾宅にいる間だけは、自分が一番なのだと思えれば幸せだった。こんな生活がいつまで続くのかはわからなかったけれど、できるだけ長く続いて欲しいと思っていた。

 その願いがとうとうむなしく潰えたのは、年の瀬も迫ったある日のことだった。

「伏見奉行所に屯所を構えることになった」

 勇は、無念とでも言いたげな顔でそう告げた。

 今、この妾宅では勇の愛弟子であり新選組の一番隊隊長・沖田総司を匿っている。病身の彼も、共に伏見へ行くという。

「おれはもう、ここに通うことはできなくなるだろう。この家は残していく。好きに使ってくれて構わない」

「そないなこと……家だけ残されたかて困ります。うちは……」

 ダメ元で、孝は縋った。意味がないことはわかっていた。妾宅に籠もりきりの生活でも、時勢が着実に動いていることくらいわかっていた。その渦中にいる勇をどうして引き止められようか。

「今まで、世話になった。……達者で」

 それが、別れの言葉だった。ある程度は覚悟していたが、こんなにも突然に訪れるとは思わなかった別離の時であった。


 勇も総司もいなくなってから数日。孝は今後の身の振り方もわからずぼんやりと妾宅で過ごしていたが、この日招かれざる客がやってきた。

「近藤局長と沖田先生はいらっしゃいますか」

 と問うは数人の男たち。一見すると柔和な笑みをたたえていたが、その目は笑っていないことに孝は気づいた。

「どちらさんどすか」

 冷静にたずねた。男たちは、新選組の四番隊の隊士だと名乗った。 

 孝は目を見開いた。胸のうちにくすぶる違和感。嫌な予感が、当たらないで欲しいと願った。

 新選組は皆伏見に向かったはずなのだ。何か用事があって市中に隊士がいたとしても、ここに勇や総司を訪ねて来るはずがない。二人の不在を知っているはずなのだから。

 この男たちの正体は。二人の命を狙う刺客かもしれない。

 ――そうや。勇さま、いうてはった。薩長の人ら、大勢手にかけたって。この前は、昔の仲間も。いろんな人らから、恨み買うとるやろうって。

「……ここにはおりません」

「いないだと……? さては女、居留守を使っているな」

 その口調から、本性見たり、と孝は確信した。予感的中だ。男たちのぎらぎらとした目に気圧され、孝は一歩後ずさりした。だが、怯むわけにはいかなかった。

「嘘やと思うんでしたら、中を検めてくださって構しまへん。どうぞ、ごゆるりと」

 どうせ、家の中は空なのだ。気の済むまで探せばいい。孝は男たちを中に入れてやった。ずかずかと奥まで入っていくのを見届けると、孝は踵を返して往来へ出た。

 とにかく、どうにかして勇に知らせなければ。その一心だった。

 だが知らせるといってもどこに行けば、どうすれば伝えられるのか、孝には宛てがなかった。不動堂村に構えた屯所にはもはや誰もいないと聞く。それでも、他に思いつく場所がない。縋るような気持ちで、孝は旧屯所の門をくぐった。


***


 戦が始まるぞ。

 そんな噂が、市井の人々の口に上っている。あながち間違いではない。薩長は武力行使をしてでも徳川を滅ぼしたいと思っているようだが、正面切って戦端を開けば賊軍扱いとなる。だから、みずからは仕掛けない。

 この状況を利用し、将軍慶喜は幕府内の主戦派をなんとか抑えていた。

 両者睨み合いながらもギリギリのところで均衡を保っている。それが、十二月中旬の京都であった。

 大多数の新選組隊士は伏見奉行所へ詰めたが、さくらと数人の一番隊隊士は不動堂村の屯所に残り、荷物の整理をしていた。

 何しろ、この数日間で上から言われるがままに大坂に行き、伏見に行き……。隊士たちはほとんど身一つで移動していた。不動堂村に残された武器弾薬など、今後使えそうなものがまだたくさんある。そして、様々な文書も。もし倒幕派の人間に奪われては新選組の内部情報が筒抜けになってしまう。さくらはこの文書の仕分けを一任されていた。伏見に持って行くもの、この場で燃やしてしまってよいもの、取るに足らぬゆえちり紙代わりにしてもよいもの……。

 内容を一瞥してはそれぞれ選別していく。骨の折れる作業だったが、やるしかない。

 しばらく続けた後、一人の隊士がさくらを呼びに来た。表に見知らぬ女が来て、勇と総司に危険が迫っていると繰り返し訴えているらしい。さくらは慌てて門前に出た。

「お、お孝さん!?」

 さくらは目を丸くした。孝は、知った顔が現れたことにとにかく安堵したようで、ほーっと息をついた。

「島崎はん、よかった。まだおったんですね。実は……」

 孝は、妾宅に刺客がやってきたという顛末を淡々と話して聞かせた。さくらは背筋がぞっとするのを感じた。少し日がずれていたら、勇はともかく総司は真正面から彼らと相対することになっていただろう。総司が簡単にやられるとは思えないが、病の身に数人がかりで襲われては、絶対に大丈夫とは言い切れなかった。

「お二方は、今どちらに? 早よう知らせんと……」

 さくらは孝の肩をたたいて落ち着くように諭した。総司はすでに伏見にいる。他の隊士も大勢一緒だから心配はいらないだろう。勇の方は、二条城で開かれている幕府お偉方との合議に参加している。巨漢の隊士・島田魁しまだかいをはじめ数名が護衛として行動を共にしているゆえ、こちらも無防備ではない。

 とは言え、倒幕派にとって総司はもちろん、勇は「憎き新選組の親玉」としてことさらに恨まれているだろう。坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺の疑いもいまだ晴れてはいない。刺客が並々ならぬ執念を見せれば、どうなるか。

「すぐに二条城に使いをやろう」

 さくらは側にいた隊士に伝言を頼んだ。護衛を増やせれば増やし、念のため目立つ道は避け身なりも町人を装うなどして敵の目を欺くようにと。

 どこから襲ってこられるかわからないうえ、短時間でそこまで万全の対策ができるかも疑問だが、とにかくやれるだけのことをやるしかない。 

 しかし、さくらの心配むなしく、勇にこの報が伝わることはなかった。逆に知らされたのは、勇はすでに馬上、伏見に向け市中を離れたということだった。

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