局長の災難②




 勇は竹田街道を南下し、伏見奉行所に向かっていた。

「薩長のやつら、もはや我が物顔でしたね」

 島田が溜め息混じりに言った。市中には、一見してわかりづらいものの薩長の人間がかなり大勢出入りしている。調役の経験ももつ島田は、道ゆく侍がほとんど敵方の者であることにいち早く気づいているようだった。

 状況は、まるで変わってしまったのだと思い知らされる。特に長州の人間などは京に出入りすることすら禁じられていたというのに。今はなぜか、勇たちが追われるようにして市中を脱している。

 勇は力なく笑い、馬上から島田を見下ろした。

「島田君、これからだ。公方様のご英断を待とう。必ずや薩長の力は抑えられると、おれは信じている」

 幕府は今、薩長討つべし、と鼻息荒く主張する主戦派と、今こちらから攻めれば相手の思う壷だという慎重派で真っ二つに分かれている。

 勇としては、武力によらない形でできるのであればそれでもいいと思っているし、戦わなければ仕方がないのならもちろん戦う覚悟はできている。将軍・慶喜はどうするつもりなのだろう。一度だけまみえた慶喜の顔を、勇はぼんやりと思い浮かべた。

 その時だった。耳をつんざくような、乾いた音が響いた。次の瞬間、勇は右肩に強い痛みを覚えた。撃たれたのだ。と、わかった時に一瞬気を失いそうになったが、手綱を握る手に力を込めた。絶対に、落馬するわけにはいかない。

 馬は、驚いて暴れ出した。それでも勇は懸命にしがみつき、島田たちが「誰だ、どこだ」と騒いでいるのを背中に聞きながら、一気に伏見の方角へ駆けた。 

 なぜ。誰が。最初に考えていたのはその二点だったが、次第に勇は背筋がぞっとするような、言い知れぬ不安感に襲われた。

 ――おれの腕は、どうなるんだ。……治るのか?

 治らなかったらどうしよう、悪くすれば、死ぬかもしれない。

 死への覚悟はできているつもりだったが、差し迫った危機として考えると身が震えた。残される仲間・さくらや歳三たちの顔が脳裏に浮かぶ。

「うっ」

 馬がやや大きな石を踏んだらしく、奇妙な揺れが痛みを誘発した。勇は左手で傷口を抑えつつ、手綱を握る右手にはより力をこめた。程なくして、伏見奉行所が見えてきた。


***


 さくらは大慌てで伏見に向かい、途中で島田たちの姿を見つけた。

 傍らには、馬丁の亡骸があった。さくらは、全身の血の気が引いていくような思いがした。

「い、勇……局長は!?」

「近藤局長は、狙撃されました」

「なんだって!? それで……!?」

「馬に乗ったまま、伏見の方へ……。無事に追っ手を撒いて安全なところに行けているかどうかは……」

「とにかく、局長が向かった方に追うぞ。途中で行き会えるかもしれない」

「はいっ!」

 道中、さくらは島田から事の詳細を聞かされた。後方から狙撃された勇は、肩に怪我を負った様子だったという。銃声から程なく、刀や槍を持った刺客が飛び出し、乱闘になった。馬丁が斬られたのも、その時だという。

「突然のことで全員の顔をしかと見たわけではないのですが……刺客のうちの一人は、阿部でした。間違いありません」

 阿部というのは、先月の戦いで仕留め損ねていた御陵衛士の一員だ。伊東らの敵討ちだと考えれば、彼らがこうした行動に出るのも頷ける。だからといって到底許せることではない。

「やはり、あの時取り逃がしすぎたな……。今更あれこれ言っても仕方ないが……」

「しばらくは警戒が必要ですね。ただ、とにかく今は局長の安否が心配です」

「ああ。無事だとよいが……」

 息を切らせながら、さくら達はようやく伏見奉行所にたどり着いた。


「お前たちか。局長なら今、奥で手当てを受けている」

 出迎えた歳三からその一報を聞き、まずは命があったことにさくらも島田も大きく安堵の息をついた。しかし、出血量が多く予断を許さない状況だという。

「とにかく、今後のことを話し合う。島田、井上さんたちを呼んできてくれ」

「承知」

 島田が去ると、「こっちだ」と歳三はさくらについてくるよう促した。さくらはふわふわとした足取りで奉行所の奥へと入っていった。

 勇の身に万が一のことがあったらどうしよう。新選組は、どうなってしまうのか。それをこれから話し合うのだとわかっていても、否、そもそも勇がそんな簡単にどうにかなるはずがないと自分に言い聞かせても、気持ちは落ち着かない。

 さくらの震える右手を、大きくてごつごつした手が覆った。

「サク」

 顔を上げると、歳三が思ったよりも近く、さくらはどぎまぎした。いつの間にか奥の部屋に着いていた。合議をするのに適した広い部屋だったが、今は二人以外に誰もいない。

「しっかりしろ。俺たちが動揺したら、それこそ新選組は立ち行かなくなる。勝っちゃんなら大丈夫だ。あっさりと死ぬような男じゃない。それは俺たちが一番よくわかってることだろ」

 歳三の顔は、青白くなっていた。さくらの手を握るその手は、ひんやりと冷たい。歳三も、同じ気持ちなのだ。さくらはもう片方の手をそっと重ねた。

「歳三の言う通りだ。私たちが、しっかりせねばならぬな。勇だって、きっと治る」

 握る手に力をこめたその時、襖ががらりと開く音がした。

「ああ、トシさん、さくら、もう来てたんだな」

 源三郎が、わずかにニヤッと笑った気がした。さくらはパッと離した手を見られていたのか否か、恐ろしくて聞くことなどできなかった。


 話し合いの末、勇は御典医・松本良順のいる大坂へと移すことになった。療養中の総司も一緒にだ。これより、新選組の陣頭指揮を執るのは歳三ということになる。

 落ち込んでいる場合ではない。歳三が勇を支えたように、自分が歳三を支えていかねば。さくらは、忙しなく動く歳三の背中をじっと見つめた。

 局長を欠いたまま、新選組は慶応四年・正月を迎える。

 

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