失意の船旅③

 かくして、新選組や会津藩士をはじめとした旧幕府軍の兵は、海路江戸へと向かうことになった。

 新八ら健康な者は順堂丸に、勇や総司たち負傷者は富士山丸に乗り込んだ。そして、富士山丸には看護役としてさくら達数人の健康な者、また歳三も、今後の策を勇と話し合うためにと同乗した。


 怪我人が集められているだけあって富士山丸船内の雰囲気は暗い。痛みに呻く声もあちこちから聞かれ、さくら達怪我のない者まで気が滅入りそうだった。しかし、飲み込まれてはいけない。むしろ彼らを元気づけなければ、と自らに言い聞かせる。

「大坂城には、月に一度太閤殿下の霊が現れるという小部屋があるらしいんですよ」

 軽傷者を周りに集め、もったいぶって話すのは総司だった。聞いている者たちは手足に巻かれた包帯が痛々しいが、楽しそうな様子である。

「総司、お前は病人なんだから大人しく寝ていろ」

「だって島崎先生、見た目で言ったら私は無傷だし、元気なものですよ。それより、先生も聞いてくださいよ。大坂城にずっといたから、お城の昔話がいろいろと耳に入ってきたんです」

「まったく」

 さくらは溜息をつきながらも、内心では安堵していた。今は物資の補給をするべく一時停泊中で、船酔いで青ざめていた総司の顔にも血色が戻っている。総司の話にぼんやりと耳を傾けつつ、さくらは負傷者の包帯を変えていった。

「山崎、具合はどうだ」

「はは、見ての通りですわ……」 

 船室の端で横になっていた山崎は、虫の息だった。あの時撃たれた傷が化膿してしまい予後はよくない。それでも、さくらは懸命に看病した。できることはなんでもやろうと思った。山崎がいないとなれば、新選組にとっても大きな損失だ。何より、長年同じ仕事に従事してきた、相棒のような存在を、さくらは失いたくなかった。 

「江戸に着いたら、松本先生にもしっかり診てもらおうな。そうすれば、すぐによくなる」

 山崎は僅かに頷いて、蚊の鳴くような声で「水」とさくらに頼んだ。

「水が飲めるなら、大丈夫だな。すぐ持ってくるから、待っていろ」

 さくらは船室を出て、飲み水を取りに行った。


 淀千両松から撤退してきた翌日、大坂城に入る前のことである。

 泰助と共に無事大坂に到着し、八軒家京屋忠兵衛方に身を寄せたさくらは、山崎の安否をいの一番に確認した。

 山崎は、撃たれたその時こそ気丈に振舞っていたが、引き上げてからは他の傷病者に紛れてぐったりと横になっていた。

「山崎」

 呼びかけると、山崎は薄目を開けてさくらを見た。額には濡らした手ぬぐいが置いてある。頬を触ってみると、発熱しているのがわかった。

「あー、島崎先生、無事やったんか」

「私の心配はいい。怪我の具合は」

「はは、私としたことが、少し判断を誤っとったみたいですわ。こないに血ぃ流すなんてなあ」

 確かに、傷口に巻かれた包帯は、赤く染まっている。さくらは、直視できなかった。唇をぎゅっと結んだ。

「本当、珍しいな。お前が間違えるなんて。山崎がいなければ、調役は立ち行かぬ。さっさと治せ」

「治せ……ですか」

 山崎は何か考え込むように押し黙った。やがて口を開き、さくらをじっと見つめた。

「治らんかった時のために、島崎先生には……ありがとうございましたとだけ言うておきます。ほんにいろいろ助けてもらいましたから」

「おい、縁起でもないことを言うな。それに、なんだか気持ち悪い」

「懐かしなあ。最初はなんで女子の下になんかつかなあかんのやってふてくされとったんに。いつの間にやら、同志でもあり、好敵手でもあり、あんたと働くのが面白うてかなわんようになってたわ」

 さくらは面食らった。そんなしおらしいことを言うなんて、山崎らしくもない。だが、茶化すこともできなかった。山崎がぽつぽつと吐露していくのを、胸が締め付けられる思いで黙って聞いていた。

「もう、島崎先生が男だろうが女だろうがそんなことはどっちでもええんです。私がおらんようになっても、頼んますな。そや、この有様に免じて、今までの多少の非礼は目ぇ瞑ってくださいよ」

「それは、治ってから決める」

 山崎は、天井を見つめたまま、弱々しい笑みを浮かべた。

「あんた、ほんまは”さくら”いうんやったな。ええ名前や。今年の桜は見られるやろか」

「何を、弱気なことを言っているのだ。そんな臨終の言葉みたいなもの、聞きたくない。桜なんて、今年も来年も見られるに決まっているだろう。気をしっかり持て」

「はは、それでこそ島崎先生やな。すんまへん、少ぉし喋りすぎたみたいやわ」

 山崎は静かに目を閉じ、すーっと眠りについた。これきり、山崎の容体は転げ落ちるように悪化していった。


 飲み水を携え、さくらは急ぎ山崎の枕元に戻った。

「山崎、持ってきたぞ。飲めるか?」

 だが、山崎は返事をしなかった。

「山崎?」

 さくらは、慌てて山崎の身体を揺さぶった。その拍子に、持ってきた水がこぼれて山崎の指先を濡らした。それでも、指はピクリとも動かなかった。

「ばかやろう……だから、気をしっかり持てと言ったのに」

 さくらは山崎の手をとった。まだ、暖かい。

「こんなことになるなら、言っておけばよかったな。なあ山崎、助けられたのは私の方だ。私こそ、お前には、言いきれぬほど感謝しているというのに。聞いているか? うん。聞いているよな。聞いていないと、承知しないからな」

 総司を囲んでいた隊士たちの笑い声が止んだ。皆何事かと集まってきて、事態を把握し、ある者は膝から崩れ落ち、ある者は涙を見せた。

「山崎さん、お疲れ様でした」

 総司が、優しく声をかけた。 


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