失意の船旅②


 徹底抗戦を主張する! と息巻いていた勇と歳三が、青ざめた顔で戻ってきたのは、翌日昼頃のことだった。

「公方様が、大坂を脱したらしい」

「は?」

 集められたさくら達隊長の面々は、揃って驚きの声をあげた。勇は困り果てた顔で続けた。

「今大坂城の中枢は上を下への大騒ぎだ。おれが主戦論を主張するとか、もうそういう段ですらなかったよ。それに、公方様だけではない。殿もご一緒だそうだ」

「殿も? 会津の人たちは? 知らされてなかったのかよ?」

 左之助がいら立ちを隠しもせず言った。勇は口を結び、頷いた。

「事前に知らされていた者はいないらしい。寝耳に水だとこぼしていたよ。もっとも、殿に関しては公方様に逆らえなかったのだろう、と皆好意的に見ている」

「しかし、一体なぜ……。兵はまだいる。公方様自らが指揮を執り、皆で大坂に固まって迎え撃てば勝機はあるはずだろう?」

 さくらの問いに、勇は押し黙った。やがて言いにくそうに口を開いた。

「公方様は……逃げたのだ。我々を置いて。確かに、向こうが錦の御旗を掲げている以上、こちらが賊軍になってしまう。それをどうしても避けたいのだろうという見方が強いが……。おれは……素人考えかもしれないが、思ってしまうんだ。公方様のお力をもってすれば、帝に無実を訴えるなり、こちらの思惑を説明するなり、何かできたのではないかとな」

 重たい沈黙が流れた。さくらは、「励め」と言葉をかけてくれた慶喜のことを思い出していた。あの時は確かに、慶喜は命続く限り仕え、ついていくに足る人物だと思った。それなのに、梯子を外された気分である。だが、今目の前で起こっていることは、何を言っても覆されることではない。それだけは、確かだった。

「……で、これから我々はどうなるのですか?」

 さくらの疑問を代弁するかのように、新八が尋ねた。一見冷静だったが、新八の声には怒りが滲んでいた。

「このまま大坂ここにいても仕方がない。船の準備ができ次第、我々も江戸へ引き上げることになる」

「江戸に帰るんですか。いいですね」

 全員が、驚いて声の主を振り返った。

「総司、寝ていなくて大丈夫なのか」

「近藤先生、いくらなんでも同じ建物にいるんですから、仲間外れにしないでくださいよ。隊長を外れたとはいえ、新選組がこれからどうなるのか、気になるのは皆さんと一緒です」

 総司は飄々と話しているが、明らかに顔色が悪い。さくらをはじめ、皆口々に「戻れ」「寝てろ」と総司を追い返そうとした。だが、総司は歳三の隣にどっかりと腰を下ろした。

「お前、どこから聞いていた。『江戸に帰る』っていうのは、今までみたいに隊士募集のためなんかじゃねえんだぞ」

 諦めたような顔で、歳三が総司を見た。話に入れてもらえたのが嬉しかったのか、総司はにこっと笑顔を見せた。

「そんなのわかってますよ。さっき、たまたま会津の方が話しているのを聞いたんです。大丈夫。徳川様がそんな簡単にやられるはずないでしょう。本拠地・江戸で体制を立て直せばきっと勝てます。それに決戦が先延ばしになるなら私や近藤先生も、元気になって参戦できるかもしれないじゃないですか。好都合です」

「お前は、楽観的というかなんというか……」

 さくらは呆れてため息交じりに言った。が、総司のあっけらかんとした態度に皆少し力が抜けたのも事実だ。今は、起きてしまったことを嘆きあれこれ喚いても仕方がない。

「とにかく、皆で源さんたちの敵を討ちましょうよ」

 ――ああ、そうか。

 さくらは目頭が熱くなるのを感じたが、それ以上は踏みとどまった。

 総司だって、悔しいのだ。鳥羽・伏見あの戦に出られなかったことは、さくら達が前線で、目の前で仲間を失ったことと同じくらい、悔しいのだ。

 歳三も同じものを感じ取ったのだろう。

「そうだな」

 と、口角を上げた。


 まだまだ、戦える。戦ってやる。その思いを皆で再確認し、さくら達は五年間身を置いた西の地を離れる決心をした。

 

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