近藤勇奪還作戦②


 半日歩いて、さくらは板橋宿に到着した。ここで再び相馬から連絡を受ける予定だったが、待てど暮らせど音沙汰がない。あの嘆願書を新政府軍が受理し、やましいことがないのだと認められれば今頃解放に向けた動きがあってもおかしくないのだが。何か不測の事態が起きたのではないだろうか。

 歳三たちに文を出して知らせようかとさくらは考えた。だが現状をただ報告しても、いたずらに不安をあおるだけだ。もう少し情報を集めようと、さくらは普通の旅客として適当な旅籠に滞在することにした。

 町の人の会話に聞き耳を立てたり、変装用の着物や小間物を買い足したりして過ごすこと三日。 相変わらず進展も何もなく、さくらは板橋の宿場町をただふらふらと歩いていた。この近くに勇はいるはずなのだが、詳しい場所はわからない。町中には、ちらほらと新政府軍の人間が行き来している。さくらは顔が割れているはずもないのに、こそこそと俯きながら彼らとすれ違った。そして、これ以上無暗に出歩くのは損こそあれ得はなさそうだという結論に至った。やはり一旦ここまでの状況を歳三に報告しよう。さくらがそう決意し、旅籠に戻ろうとした時のことである。

「聞いたがかえ? 今度脇本陣に移送されてきた大久保ちゅう男、ほんまは新選組の近藤やったちて」

「シッ。もちろん知っとる。あまり大声でその話をすな」

 さくらは思わずよろめいてしまった。怪しまれないように、人気のない路地裏に身を隠し、息を整える。

 ――何故だ。ばれたのか? 本当に?

 経緯はわからないが、大久保大和が近藤勇だと、新政府軍に知られてしまった。そう考えれば、相馬が急に連絡を寄越さなくなったのも頷ける。おそらく、敵に新選組の使いであると知られ、ひょっとしたら今頃……。

 悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡った。少なくとも、こうなったからにはタダでは返してくれないだろう。向こうにとってみれば、仲間のかたき、しかもその親玉ということになるのだから。

 勇たちが今どういう状況に置かれているのかまるでわからず、これでは歳三に文を送るどころではない。まずは「脇本陣に移送されてきた」という言葉を頼りに、さくらは周辺の様子を探ることにした。


 脇本陣には立派な門が構えられていた。昔から見慣れていた佐藤彦五郎の住む日野宿本陣より少し規模の小さいつくりのようだが、敷地が広い事には変わりなく、全体像はよくわからない。

「さて、ここからどうするか」

 さすがに真正面から突破するわけにもいかない。何かこっそり侵入できる裏庭などがないかを確かめる必要がある。敷地の周りをぐるりと回ってみようと少し歩き出すと、新政府軍の者とすれ違った。

「おい、女。こんなところで何をしている」

 早くも声をかけられてしまった。相手は二人。ひょろっと背の高い男と、ずんぐりとした小柄な男。二人ともあのとがった笠のようなものを目深にかぶっており、表情はうかがい知れない。

 さくらは男たちをまじまじと見た。ここで動揺する素振りを見せれば、怪しまれる。

「ああ、ごめんなさいねえ。こんなところにも新政府? とやらのお役人さんがいるなんて知らなくて。なぁに、ちょいと道に迷っまったもんで。あっちでもないこっちでもないってうろうろしてたんですよ。そうだ、ちょうどいい。お役人さん、旅籠の谷岡屋さんってご存知? どっちに行ったらいいかさっぱりわからなくて」

 男たちはじっとさくらを見た。

「その旅籠は知らんが、ここを突き当たって左に曲がりゆうと大通りに出る。そこからなら探せるのじゃあなかか」

「ああ、そうだったんですか。いやだねあたしったら。自分がどっから来たのかもわかんなくなっちまって。やれやれ、歳は取りたくないもんですね。それじゃ、ありがとうございます」

 さくらはにこやかにお礼を言うと、踵を返した。

 内心、ほっと胸をなで下ろしていた。この場は切り抜けられた。しかし顔を知られてしまったからには今後やりづらくはなるだろう。次の一手を考えねば。

 ひとまず言われた通りの大通りへ向かっていると、背後から声をかけられた。

「待て、女」

 さくらは聞こえなかったふりをして歩き続けた。彼らとこれ以上関わる必要はないし、関わってもろくなことはない。しかし、そう簡単に事は運ばなかった。

「お前じゃ、女」

 再び声をかけられたが、なおもさくらは無視した。何か怪しまれている。走り出すべきか。だが、今着ている女物の着物では、走ったところでたちまち追いつかれてしまうだろう。考えているうちに、男たちはさくらのすぐ背後まで迫っていた。そして、がしっと腕を掴まれた。

「お前、ちいと手を見せてみい」

「なんです、いきなり。人を呼びますよ」

 振り向き、男たちを睨みつけ、さくらはあくまで宿場町で道に迷った町人の女性を演じたが、手を見られてしまえばもう誤魔化せないだろうと、悟っていた。

「やはりのう」

 以前さくらが女の姿でいた時、長州の桂小五郎と遭遇したことがあった。のちに、桂はさくらの手を見て、普通の女ではないから警戒せよと仲間内に話していたことがわかった。さくらの手には、無数の竹刀だこや、傷がある。

「もういいですか。急いでるもんでね」

「この手、どうしたがじゃ。説明できるゆうなら、放してやってもよいが」

「手? 別にこんなの、炊事洗濯やってりゃ普通ですよ」

「これは相当刀を扱っておらんとつかん傷じゃ。そうじゃ、ついでに」

 男は、ぐいとさくらの袖をまくった。

「ほう。鉄砲もやるときたか」

 さくらの腕には、一筋のやけどの跡がある。銃の扱いを訓練した者であれば、たいがい最初は加減を誤り、熱くなった銃身で大なり小なりこのようなやけどの跡が残るものだ。

「女でここまでやるとはのう。儂らぁが知る限り、そがいな女はひとりしかおらん。そいつは、新選組におる女じゃ」

「新選組? いやだねえお役人さん、いったい何を言ってるんだか」

「しらばっくれるな。とにかく、怪しい者は詮議するというお達しが出とる。女とて容赦はせんぞ」

「ちょっと、何するんだい。放せ、放しなよ!」

 さくらは抵抗したが、首筋にすっと脇差を突き付けられた。

「これ以上抵抗するならば、斬る」

 さくらは観念した。今は、大人しく従うほかない。


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