近藤勇奪還作戦➀
勇が出立すると、本陣に残っていたわずかな隊士に歳三からの指示が出た。新選組はいったん解散を装い、少人数に分かれて会津を目指す。各々の判断で、手段を問わず、とにかく生きて会津に行くように、と。やがて高台で訓練していた隊士らにも一報は伝わり、新選組は再び全員で集合することなく、散り散りになった。
そしてさくらは、歳三から別の指令を受けていた。
「大久保さんの様子を見てきてくれ。それで、隙があれば助け出してくれ」
歳三の真剣な眼差しに、さくらは目を見張った。副長から、諸士調役に与えられた、極秘任務だった。
「承知」
さくらは大きく頷いた。これは、今までで一番、重大かつ難易度の高い任務なのではないかと思った。それでも、だからこそ、絶対に成し遂げなければならない。
さくらは久々に女物の着物に身を包んだ。年相応に見える慎ましい鶯色の袷。島田髷を結い、薄く化粧をするとひとり歩き出した。まずは、勇が越谷でどのように扱われるのかを見極める。事と次第によっては、力づくで、敵と差し違える覚悟で、勇の救出を試みる。
宿場町の少し手前で、さくらは道端の茶屋に立ち寄った。ここで歳三が寄越す使いと落ち合うことになっている。縁台に腰掛けていると、さくらの斜め後ろに町人風の男が静かに座った。
「お初さまですね。これを」
男の声は、勇の小姓も務めていた相馬主計のものだった。お初というのはさくらが変装、潜入調査をする時によく使う偽名だ。あらかじめさくらがどんな服装をしているか知らせていたため、相馬は確信をもった様子でさくらの手元に書状を差し出した。
「ありがとう」
さくらは短く言って書状を受け取った。相馬が緑茶を注文している間に、中身に目を通す。内容としては、勝海舟の署名が入った嘆願書を無事にもらえたこと、ただ念のため引き続き相馬とは別行動にて勇を追うようにということが書いてあった。そこまでは、歳三からの伝言である。余白には相馬の字で書き足しがあった。それは、勇たち一行が越谷から板橋までさらに移動することになったようだということだった。
さくらは周囲に人気がないのを確認し、小声で「板橋、どういうことだ」と尋ねた。相馬も声を殺して答えた。
「わかりません。とにかく、私は嘆願書を持って板橋に行ってきます」
相馬は出された茶をぐいっと飲み干すと、「では」と短く挨拶して先に出発していった。さくらはその背中を静かに見送った。なぜ板橋に行くのかわからないというのが不安を掻き立てたが、ひとまず、勝海舟の嘆願書がもらえたことは良い知らせだ。逸る心を落ち着かせ、さくらも先を急いだ。
***
板橋宿に到着した勇はとある男と対峙していた。男の名は、
越谷で、有馬が神妙な面もちでこう言った。
「渡辺という者が、京で
勇の全身から血の気が引いた。絶体絶命とはまさにこのことだ、と思った。だが、動揺を悟られぬよう勇は困り顔を演じた。
「はあ、近藤勇ですか。あいにく、私は京には行ったことがありませんでして。他人の空似でしょう」
「ふむ。そうやのう、渡辺は何年か前に一度京へ行ったきりじゃち言うとるし、そうかもしれん。じゃっどん、疑わしいこつはハッキリさせんといかん。これから、板橋に行く。そこに、昔新選組におったという者がおる」
誰だ、いや、どうする、どうすれば。勇の頭の中は真っ白になった。
まだだ。ただのハッタリという線も残っている。だが、「近藤勇」を名指しし、板橋にわざわざ移動すると言っている以上、その可能性は低そうだ。勇にはもう、状況を好転させる策は浮かばなかった。
そうして板橋に連れてこられ、今に至る。
「どがね? 見覚えはあっと?」
有馬が加納に尋ねた。ここで嘘をつき、勇を庇ったところで加納には何の得もない。現に、加納が勇に向ける目には、憎悪が込められていた。勇のことを、
加納が、ゆっくりと口を開いた。
「はい。この男は……」
「加納君。どうしてここにいるのかはわからないが、苦労をかけたね」
加納は目を丸くした。勇は柔らかな笑みを浮かべ、頷いた。
――さくら、トシ。すまない。
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