ふたり、東へ②

 旅籠の中に入ると、真っ赤な紅を引いた女中がしなを作って現れた。

「あら、左近さこんさん。おかえりなさい。その方は?」

「おう、偶然昔の知り合いに会ってな。ちょいと積もる話もあるからよ。こいつ、少しの間俺の部屋で休ませてやっていいか?」

「ええ、構いませんけど」

「ありがとな」

 左之助はニカッと笑うと、自室の方向をくいっと顎でさし、さくらについてこいと合図した。さくらは遠慮がちに女中に会釈すると、部屋までついていった。


「さて、状況報告と行こうか、島崎さん」

 左之助は、どっかとあぐらをかいて座り、いたずらっぽい笑みを浮かべた。さくらが背負っていた行李を物珍しそうに見ている。

「……先に、左之助の話を聞かせてくれないか。お前が新政府に寝返っていないとも言い切れぬ。だいたい、とはなんだ。さっき女中にそう呼ばれていたが」

 さくらは、自身の左側に置いた刀をちらと見やった。いざとなれば、昔の仲間といえど斬るしかない。こんなところで会えたのは、本当に偶然なのかという疑念もあった。

「おお、さすがは諸士調役。確かに、俺は裏切った身だもんな。よし」

 と言って、左之助は膝をぽんと叩いた。

「左近ってのは偽名だよ。なかなかいい名前だろ? 俺だってそれなりに有名人なんだからな。念のためだ。で、どっから話すか。あの別れた後だな。請共隊って新しい隊を立ち上げたんだ。市川ってやつ、新八っつぁんの昔からのダチって、ほら昔一回だけ会ったことあるの覚えてないか? 近藤さんの襲名披露の時に一緒に来てた」

 さくらは、顔をしかめて記憶の糸を手繰り寄せた。新八と一緒にいた市川という男のことは覚えているが、顔はぼんやりとしか思い出せない。

「いたな」

 と、ひとまず答えた。

「そいつよ。芳賀はがって名前に変わってたんだが一緒にやることになってさ。けどまあ、早い話が俺は馬が合わなかったんだよ。で、隊をやめて京に戻ることにしたんだ。おまさと茂の顔を見に行こうかと思ってな。二人目も産まれてる頃だし」

 左之助の表情を見るに、嘘をついているようには見えなかった。

「けどよ、ここまで大変だったんだぜ? 新政府軍のやつらがうじゃうじゃいるし。あのトンガリ野郎どもめ」

 さくらはクスリと笑みを漏らした。左之助は左之助だと、「調役の勘」が告げていた。念のため窓の外をちらりと見やった。新政府軍の者が集まっているような様子はない。左之助が寝返っているとしたら、すでに包囲されたり突入されていたりしてもおかしくないだろう。

「わかった。殿。あなた様を信じましょう」

「おっ。わかってくれた?」

 左之助は嬉しそうな笑顔を見せた。さくらは、刀を右側に置き直した。

「それで、島崎さんは?」

 聞かれて、さくらは再度周囲に誰もいないかを確認した。隣の部屋や廊下で聞き耳を立てている者はいなかった。

「話すと長くなるが」

 と前置きし、さくらは声音を落として話し始めた。左之助たちと別れてからここまでに何があったのかを、かいつまんで。すべての話を聞き終えた左之助は、目を丸くし間抜けな顔をしていた。

「じゃあ、その行李には、近藤さんが……?」

 おそるおそる、さくらの傍らにある行李を指さした。さくらは「そうだ」と頷いた。

「まずは日野の彦五郎さんのところに行く。皆がどうなっているか、何かしら情報が集まっているはずだ」

「そっか。うーん」

 左之助は何か考え込むように腕を組み、目を閉じた。

「俺も行く」

「行く……とは?」

「島崎さんが、ひとりでここまで戦ってきたんだ。俺だけ呑気に抜けられるかってんだ。それに、二人だったらいろいろ偽装の幅も広がるだろ。姉弟とか、どっかのご内儀と下男とか、夫婦とか。おっと、夫婦は冗談でも嫌だよなあ。心に決めたお相手がいるんだし」

 左之助はニヤリとした目でさくらを見た。

「自分で言っておいてなんだ。そりゃあ、お前にはおまささんがいるんだから、夫婦を装うなんて嫌だろう」

「まったく、つまんねえなあ、島崎さんはよ」

「こんな時に面白いもつまらないもないだろう。だが……本当にいいのか? 家族に会いたくはないのか……?」

「まあ、家族に会うのは戦が一区切りついてからでも遅くはねえだろ。とりあえず、日野までは一緒に行こうぜ。その先は、土方さんたちの本隊と合流するのもさすがに気まずいしアレだけどよ」

 その言葉に甘えていいのか迷ったが、この状況においては左之助が協力してくれるというのは非常にありがたかった。さくらは、左之助の提案を受け入れた。


 それからさくらは武家の奥様風を装い、左之助は従者の男に変装した。二人は浜松を出て、東海道をひたすらに歩いた。時勢が混乱しているゆえか、関所の守りも手薄で楽に通過することができた。男装して一人で旅をするよりも、怪しさが軽減されるのか、二人は特段問題なく旅を続けることができた。

 そして、ようやく――

「着いた」

 日野宿本陣、佐藤彦五郎の邸が見えた。ここまで来れば、ひと安心できる。

「左之助、ありがとう。本当に、いくら礼を言っても足りないくらいだ」

 さくらは深々と頭を下げた。背負った行李の重みがのしかかる。勇も、同じ気持ちだろうか。

「いいんだよ。ほら、俺、ああいう別れ方しちまったから、少しは罪滅ぼしっつーか、な」

 左之助はバツが悪そうに頬を掻いた。

「俺はここまでだ。じゃあ島崎さん、達者でな」

「えっ、ここでか⁉」

「これ以上一緒にいたり、彦五郎さんに会ったりしたら、なんだかほだされちまいそうだからよ。俺は新選組とは別の道を行くって決めたんだ。今回の旅は、島崎さん個人に協力したってだけのことだし、長居は無用! おまさ達にも早く会いたいしな」

 にしし、と笑って手を振ると左之助は踵を返して歩き始めた。あまりに唐突だったためにさくらは面食らって何も言えず突っ立っていたが、ハッと我に返った。

「おい!」

 大声で名前を呼ぶのが憚られたために乱暴な呼び方になってしまった。まずかったかと思ったが、左之助は振り向いてくれた。

「本当にありがとう! 達者で! いつか、また会おう!」

 左之助はニッと笑うと、再び手を振った。それからは振り返らずに歩いていく左之助の背中を、さくらは見えなくなるまで見つめていた。

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