再起を図る➀


 薩長の軍は鳥羽・伏見での勝利で満足したわけではなかった。慶喜東帰の報を受けて、こちらに軍を進めているという。新選組がこれから仕切り直して薩長を迎え撃つには、とにもかくにも兵と、金がいる。江戸に戻ってきてからの約一ヶ月、勇と歳三はそれらを集めるのに奔走していた。同時に、勇は幕府御典医・松本良順まつもとりょうじゅんの元をたびたび訪れ、肩の傷の治療を受けていた。まだ刀を振ったりすることはできないが、経過は順調だという。


 さくらは、合間を見て義母・キチの住む家に足を運んでいた。

「お父上は、穏やかな最期でしたよ」

 父・周斎の位牌に手を合わせるさくらの背後から、キチは優しく声をかけた。

「よかった。本音を言えば、もう少しだけ待っていてくだされば、と思わずにはいられませんが……。大往生ですものね」

 くるりと後ろに向き直ると、キチはさくらに微笑みかけた。

「それにしても、まさかあなたが本当に幕臣になるなんて。取り立てて器量よしというわけでもないのに、一体どんな手を使ったことやら」

「人聞きの悪い。私は正々堂々、将軍慶喜公に今までの働きぶりを認められたのです」

 わかってますよ、とキチはすました顔でお茶をすすった。

「……とても、喜んでいましたよ。その報をあの人に聞かせてあげられただけで、十分。こんな孝行娘はそうそういやしません」

 義母上ははうえ、なんだか丸くなりましたね。言おうとして、さくらは飲み込んだ。口に出せば、この人はへそを曲げてしまうだろう。代わりに、ニッと笑ってみせた。

「ご安心ください。私たちは必ずや、薩長のやつらを打ち負かしてみせますから」

「有言実行なさい。それで、お父上の墓前に報告してあげて」 

 やはり、丸くなった。とうに隠居していたとはいえ、今までは近藤周斎の妻として多かれ少なかれ重圧に晒されていたのかもしれない。キチの柔和な笑みを見て、さくらは大きく頷いた。 


 ***


 この頃、新選組は鍜治橋に屯所を構えていた。勇と歳三が寝起きしている部屋に行くと、さくらは目に飛び込んできた光景に唖然とした。

「歳三……!? なんだ、その格好は」

 歳三は、西洋人のような恰好をしていた。あの特徴的な髭はないものの、富士山丸で出会った榎本武揚にそっくりであった。上下黒の服に身を包み、髪も後ろをばっさりと切ってしまっている。 

「別に、この方が動きやすそうってだけだ。薩長のやつらみてえで癪な気もするが、この着物があいつらの勝因のひとつだってんなら、俺は取り入れる」

 さくらはぼーっとした顔で上から下まで歳三を見た。今までとがらりと変わったいで立ちに目が慣れないが、これはこれでアリだと思う。似合っている。

 やがて、勇のにやにやとした視線に気づき、さくらは咳払いした。

「まったく、そのように一式揃えてしまって一体いくらかかったんだ。ただでさえ、隊士への手当やら兵糧の用意やらで出費がかさむというのに」

「さくらぁ。そんなことはどうでもいいじゃないか。なぁ? 他に言うことはないのか? なぁ?」

 勇は、完全に楽しんでいる。ここまでバタバタしていたせいですっかり忘れていたが、この男は歳三とさくらの祝言を画策していた男である。妙な静けさも手伝って、今三人きりで同じ部屋にいるのが急に気まずくなってきた。

「ふん、馬子にも衣裳とはよく言ったものだな」

 さくらは吐き捨てるように言うと、さっさと部屋を出て行った。


「しまった」

 キチの家に行ってきたのだと勇に話そうと思ったのに。勢いで何も話さず出てきてしまった。勇と歳三には「で、何しにきたんだあいつ」と言われていること請け合いだ。

「……またそのうちでいいか」

 諦めて、さくらは稽古場に向かうことにした。基本的な剣術の稽古に加え、銃火器の扱いもより一層練習しなければならない。だが、さくらの頭に思い浮かぶのは稽古の内容よりも、先ほどの歳三の姿であった。今までの歳三がもう見られない寂しさと、あの洋装姿を勇のいないところでじっくり見たいという気持ちがないまぜになって、なんだか胸がきゅうと締め付けられるような心地がした。いい歳をして、今更、こんな気持ちになるなんて。さくらは自嘲した。

 稽古に、集中せねば。今は時を浪費している場合ではないのだから。



 

 

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