束の間の帰郷②


 さくらは草鞋を脱いで部屋に上がり込むと、総司の傍に腰をおろした。

「勇も歳三も皆元気で先に会津に行っているぞ。私だけ、少し野暮用で一度戻ってきたのだがな。それにしても、江戸は暑いな」

 さも、会津から来たのだと言わんばかりにさくらは手をパタパタと振ってみせた。

「やはり会津は涼しいですか」

「うん。汗ばむこともなく、過ごしやすいぞ」

 会津に行ったことなどないのに、いつまでごまかせるだろうかと内心ヒヤヒヤしていたところに、里江が入室してきた。さくらはほっと胸をなでおろした。

「さくら様! 大変ご無沙汰しておりました」

「お里江! 久しぶりだなあ! すっかり大人の女らしくなって」

 ニヤニヤと笑うさくらに、里江は小さくなって「いえ、そんな」と謙遜した。

 

 さくらは里江の淹れてくれたお茶を飲みながら、総司たちが話す近況に耳を傾けた。気持ちのよい風が吹き、穏やかな時間が流れる。この一か月の怒涛の出来事が、嘘のようである。

「……それで、沖田様は最近ここによく迷い込んでくる猫を気にかけてらして」

「そんなところにいたら斬ってしまいますよ、なんて声をかけるんですけどね。平五郎さんのところにも出入りして半分飼われているみたいなものだし、本当に斬るわけにはいきませんが」

「嘘。そこの刀をじーっと見ていることもあるのですよ」

 と、里江は総司の枕元に架けられている二本の刀を見やった。

「やだなあ。さすがに罪もない猫を斬ったりしませんよ」

 総司はふふっと笑みを見せた。軽口をたたく元気は残っているようだとさくらが安心したのもつかの間、総司は激しくせき込んだ。里江が慣れた手つきで背中をさすり、水を飲ませた。総司は息を整えながら、心配いらないとばかりに微笑んでみせた。

「宇都宮は、激しい戦になったんですか。最後に土方さんに会った時、宇都宮に行くと言っていたから」

 さくらは「そうだな」とつとめて無表情で答えた。宇都宮では戦があったらしいということしか知らないが、勇もさくらもそこへ行ったことにしなければならない。

「勇はだいぶ刀も使えるようになってな。もっとも、実戦の指揮は歳三がとっていたが。倍ほどの兵力差だったのに、善戦したよ。ただ、一旦退いて会津で体制を立て直した方が得策だということでな。皆で北上した」

 もっともらしく話せただろうか。総司の顔を見ると、「そうですか」と笑っていた。

 

 四半時を過ぎると、総司は体を起こしているのも辛そうな様子になってきた。さくらは、暇を告げた。

「それじゃあ。総司、死ぬなよ。会津で待っているからな」

「ええ、必ず行きますから」

 さくらは草鞋を履き、立ち上がった。里江が「そこまでお見送りいたします」とついてきた。


 総司に声が聞こえないであろう距離まで来ると、里江が遠慮がちに切り出した。

「さくら様。その……文に書いてあったことは本当なのですか?」

 里江には事前にすべての経緯と「総司には絶対に言うな」という旨を記した文を送っていた。勇の死、さくらが一度は流罪となったものの、辛くも逃れたこと。里江には、俄かに信じがたいことだろう。

「お前に嘘を書いても仕方がない。だが総司には、嘘をつき通してほしい。つらい役目をさせてしまってすまないな」

「とんでもないことでございます。沖田様には、一日でも長く、心穏やかに過ごしていただきたいですから。本日は、お越しいただいてありがとうございます。あんなに楽しそうな沖田様の顔を、久しぶりに見ました」

 そうか、とさくらは里江に笑いかけた。

「引き続き、頼んだぞ。総司も昔のことは気にせず、里江に心を開いているようだし」

「そ、そのようなことは」

 里江の顔が、俄かに赤らんだ。さくらはニヤリとした笑いを崩さなかった。

「なんにせよ、ありがとう。久々に心が温まったような気がする」

「それなら、ようございました……」

「さあ、そろそろ総司のところへ戻らねば、怪しまれてしまうぞ」

「はい……あの、さくら様」

「なんだ」

「必ず帰ってきてくださいましね。歳三兄様と一緒に。里江はいつまでもお待ちしております」

「うん。歳三も、連れて帰ってくるよ」

 里江は本当に大人になったものだな、とさくらはしみじみしつつ、千駄ヶ谷を発った。

 さくらが総司と相まみえたのは、この日が最後であった。








 


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