迎え、西へ②
さくらはまず、八軒家京屋忠兵衛のもとを訪れた。新選組が大坂に出る時、定宿にしていた船宿だ。
主の忠兵衛はさくらの姿を見て幽霊だとでも思ったのか、腰を抜かして驚いていた。全身煤だらけのみすぼらしい姿はなおさら
「驚かせて申し訳ない。忠兵衛さん、ご無沙汰しております」
「しし、島崎はん、薩長に捕まったて……」
「実は」
と、さくらは改めて事の経緯を説明した。
「そ、それで京に行かはるんですか。はあ、えっと、どないしましょう」
「まずは、この姿をなんとかしたい。風呂をお借りできませんか」
「それはもちろん構わしまへんけど」
港にいた時は日が沈むかという頃合いだったが、すでに外は真っ暗だった。今から出歩くのは危険だからとなんやかんやで一宿一飯の世話になり、忠兵衛の口利きで朝一番の伏見へ出発する船に乗せてもらえることになった。さくらはここへ立ち寄ったことは決して口外せぬようにと念を押し、丁重に礼の言葉を述べた。
***
京の町は、あの頃のままに見えた。伏見の方はまだ四ヶ月前の戦の爪痕がそこここに残っていたが、市中の方は実際に戦場となったわけではなく、行き交う人々にも笑顔が見られる。以前と変わらぬ日常を送っているようだ。
かつて巡察していた区域を歩いていると、不思議な感覚に襲われた。このまま屯所に行けば、山崎が、源三郎が、勇が、出迎えてくれるのではないか。歳三に町で見聞きしたことを報告した後は、総司に呼ばれ稽古に参加して。斎藤も、新八も、左之助も、道場で汗を流している。そんな日常がそこにはあるのではないかという錯覚。
けれど現実は、ひとり、身を潜めるように歩いている。
——歳三は、どうしているだろうか。
ぼんやりと、さくらは思いを馳せた。
『俺の傍を離れるな』
歳三は、かつて確かにそう言った。さくらもその心づもりだった。
流山で別れたあの日、さくらは勇を連れてすぐに合流できると思っていた。歳三も、同じ気持ちだったはずだ。それなのに、あれよあれよと遠く離れた京の地へ来てしまった。
会いたい。会って、このひと月何をしていたのか聞きたい。話したい。
けれど今は、女々しいことを考えている場合ではない。勇と源三郎を、連れて帰らなければいけないのだ。大丈夫、絶対にまた会えるとさくらは自分に言い聞かせ、とある場所を目指した。
見慣れた暖簾を見て、さくらはほっと息をついた。ここはタミの髪結処。大坂では忠兵衛を頼ったが、京で頼れるのはここしか思い浮かばなかった。さくらはおそるおそる店の中を覗き込んだ。幸い、タミは店頭に出ていた。
「いらっしゃいまし。どちらさん……さ、さく」
さくらがシーッと指を立てたので、タミははっと口元をおさえた。あたりを見回して他の客がいないのを確認すると、「こっちや」と別室に案内してくれた。
「さくらちゃん? ほんまに? なんや、薩長の人らぁに捕まったて瓦版で見たえ?」
昨夜忠兵衛が見せたのとまったく同じ、化けて出たのかとでも言いたそうな顔で、タミはさくらに座るよう促した。さくらは腰を下ろし、会話が漏れないよう小声で答えた。
「いろいろあって逃げてきたんです。すみません。ご迷惑になるので長居はしません。ひとつだけお聞きしたくて。近藤勇の首は、いつどこに晒されますか?」
「そんなら、近藤はんが打ち首になったいうんは、ほんまなん? ほら、瓦版もたまぁに間違うこともあるやろ。今度のもそういうのやったらと思てたんやけど」
顔を曇らせるタミに、さくらは横に首を振った。
「間違いではありません。目の前で見たわけではありませんが、実際に近藤の首を落とした方と話をしました」
「そないな……むごいことするわ……」
「私は、せめてと思って、首を取り戻しに来ました」
「えっ⁉」
と、声を上げたタミは、しまったとばかりにまた自分の口を塞いだ。それから、声音を落として「首……取り戻すて。本気で言うてはるの?」と怪訝な顔をした。
「はい。そのために京へ来ました」
「せやけど……」
「お願いします。何かご存じでしたら、教えてください」
タミは心配そうな顔でさくらを見、「少し、待っててな」と部屋を出て行った。やがて一枚の紙を持って戻ってくると、さくらに手渡した。瓦版だ。去る四月二十五日に勇が斬首の刑に処され、首は今月の八日から十日まで三条河原に晒されると書いてあった。
「八日。あと四日か」
「それやったら、この部屋このまま使てええよ。他に味方の宛はないんやろ? 変装が要るなら手伝うし。文出したり御用向きもあるやろ」
「お気持ちは嬉しいですが、そういうわけにはいきません。私を匿ったとなれば、このお店にも危険が……薩長のものに詮議を受けるやもしれません」
「そんなん、新選組の皆さんがお得意さんにならはった頃から覚悟しとりましたけど、今までそんなことになった
「けれど、あの頃とはもう」
「これ以上言うたかてうちの気は変わらへんえ。大事なお客さんのお世話するのも、
毅然とした様子で言うタミに、さくらは笑みを漏らした。正直なところ、非常に助かる申し出なのは間違いない。
「タミさん……ありがとうございます。この御恩は忘れません」
さくらは、深々と頭を下げた。
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