迎え、西へ①
旧幕府軍艦「翔鶴」は、さくらが以前乗った富士山丸に引けを取らない大きさの、立派な船だった。
「この大きな船を、動かしている人がいるのですよね」
感心しているさくらに、「何を当たり前のこと」と善吉がぶっきらぼうに答えた。
善吉の言う通りだ。当たり前のこと。しかし、あの富士山丸での船旅の際、そのことに思い至らなかった。さくらはなんだか少し恥ずかしくなった。
「行くぞ」
善吉と弥平の後ろにぴったりと張り付き、さくらは船の入り口に向かった。
水夫というのは、誰よりも早く船に乗り込み出航の準備をし、誰よりも遅く降りて船の状態を確認するのだという。さくらにとってこれは好都合だった。目的地に着くまで船室や甲板まで一歩も出なければ、新政府軍の者たちに顔を見られなくて済む。さくらは久々に男装し、水夫に紛れて大坂を目指す。
船内に入ると、先に来ていた数人の水夫が、ぎょっとした顔で三人を見た。
「ぜ、善吉さん⁉ それに、そっちは弥平か⁉」
「無事だったのか! 今までどこで何してた」
「どっかで野垂れ死んでるのかと思ったぞ」
彼らは、善吉と弥平が新政府軍に連れ去られる前まで共に働いていた旧知の仲間だそうだ。善吉は「いっぺんに言うなよ」と呆れて見せたが、表情からは再会を喜んでいるように見てとれた。
「そいつは?」
当然、さくらが何者なのかと問われた。
「関口先生の使いだ。大坂で降ろすことになってる。けど、上のお偉いさんには内密にしてくれ。公私混同と知れたら何を言われるかわからんからな。なに、タダとは言わねえ。着くまでは雑用、手伝いなんでもござれだ」
「勝五郎です。よろしくお願いします」
さくらはぺこりとお辞儀をした。皆、善吉の説明をすんなり聞き入れ、特にそれ以上追及することなく持ち場についた。
「勝五郎、とりあえず炭入れ、火起こしを手伝え。蒸気船の基本だ」
演技のはずだが、善吉の顔は弟子を指南する親方といった様子で、とても演技には見えなかった。さくらは「承知ッ」と返し、本当に水夫としての仕事に参加することとなった。慌ただしく準備をしているうちに、船がガタンと大きく揺れた。出航したのだ。
さくらが案内されたのは、
そして三日間の航海の末、翔鶴は補給のため大坂の港に停泊した。さくらは錨を下ろす作業には参加しなかったが、「どん」と鈍い音が船内にも響き、無事に着岸したのがわかった。
「よし、外の様子を見てくる。弥平、勝五郎、ついてこい」
あらかじめ口裏を合わせておいた通り、善吉はさくらと弥平に声をかけた。乗客用の表の出入り口ではなく、水夫たちが使う裏の出入り口から三人は船外へ出た。
久々の外だった。すでに夕焼け空が広がっている。心地よい潮風が吹いていたが、ゆっくり味わっている場合ではない。三人はすぐに船尾の陰になる場所へ移動した。
「いいか。大坂の港に着いた。島崎さんはここから京へ行け。武運を祈る」
「善吉さん、弥平さん、本当になんとお礼を言ったらいいか……ありがとうございます」
「……帰りは、本当にいいのか」
善吉は心配そうな顔で言った。さくらが無事に勇と源三郎の首を取り戻したとして、二つを背負ってその後どうするか。関口の邸で今回のことを話し合った中で、その話題が出た。さくらは、いったん江戸に戻り、そこから新選組が向かった会津を目指すという計画を打ち明けた。翔鶴がまた大坂や紀州を通過する時に乗せることもできるぞと善吉から提案がされたが、丁重に断った。
「今度は、怪しげな荷物を持って乗り込むのです。他の水夫の皆さんにも隠し通せるかわかりませんし、万が一新政府軍に露見すれば、すべてが水の泡。私なら、大丈夫ですから。お気持ちだけ、ありがたく頂戴します」
善吉と弥平はぐっと唇を噛んだ。やがて、善吉は「そうか」とつぶやいた。
「なら、無事に目的を果たしたら、関口先生のところへ文を送ってくれ。そうすれば、いずれは俺たちも目を通せるだろ」
「はいっ……! 必ず、無事をお知らせします。本当に、ありがとうございました。善吉さんも弥平さんも、道中ご無事で!」
さくらは足早に港を離れた。振り返ると、夕闇にまぎれすでに善吉と弥平の姿はなかった。
遠くに、町の明かりが見える。吸い寄せられるように、さくらは歩いた。このあたりのことは知っている。京ほどではないが、何度も巡察や任務で来た場所だ。
だが今回の任務は今までとはまったく違う。さて、どうするか。まずは晒されてしまう勇の方をなんとかした方が得策か。源三郎のことも気にはなったが、さくらは先に京へと向かうと決めた。
――こんなに早く、また来ることになるなんて。
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