迎え、西へ③


 それからさくらはタミの店で雑用を手伝いながら、つかの間の穏やかな時を過ごしていた。

 本当は今すぐ、首が晒されてしまう前に取り戻したかったが、向こうがどこに隠しているのか皆目見当がつかず、断念した。よしんばわかったとしても、ひとりで相対して大丈夫かどうか、確証を得るまでには至らなかっただろう。そもそも、調査をするにしろ碌に外出できる状況でさえなかった。

 今、市中の治安維持を担っているのは新政府の者たち。かつてさくら達がそうしていたように、「不逞の輩はいないか」と目を光らせながら、あの黒い装束を身に着け往来の真ん中を闊歩していた。主力部隊は江戸の方に向かっているだろうから、おそらく今京に残っているのは末端の寄せ集め。それでも、用心に越したことはない。外出は必要最低限にとどめなければならなかった。


 長いような短いような日々が過ぎ、とうとう勇の首が晒される日がやってきた。さくらは旅人の男性を装い、笠を深くかぶって出発した。行先は、三条河原の高札場。かつてさくらが左之助や鍬次郎らとともに狼藉者を捕まえた場所だ。そこに勇の首が晒されるとは、なんと皮肉なことだろう。

 町の人たちが、勇のことを話しているのが聞こえてきた。

壬生浪みぶろの親玉、とうとうお縄になったんやなあ」

「そういや、近頃静かになったんは壬生浪がおらんようになったからか」

「何いうとるんや。むしろうっとこの方は荒くれもんが大きな顔で歩いてるさかい、困ったもんやで」

 約五年間、京の治安を守るために活動してきたが、これが最終的な町人の評価か、とさくらは複雑な気持ちになった。感謝しろというつもりはないが、ひとつくらいは市井の人々の役に立ったはずだと思いたい。そうでなければ、勇は浮かばれない。

 やがて、人だかりが見えてきた。

 ――あそこだ。

 バクバクと、心の臓が高鳴るのがはっきりとわかった。額や手に、玉のような汗が浮かぶ。袖で拭いながら、さくらはゆっくりと歩を進めた。

 人々の視線の先を、さくらも見据えた。

 そこには、変わり果てた姿の勇がいた。

 とても直視できるような光景ではなかった。それでも、見なければいけない。叫びだしそうになるのをこらえようと思い切り唇を噛むと、つー、と血が流れた。

 勇の両隣には、見張り番が一人ずつ立っていた。どちらにせよ、今この衆人環視の中で事を起こすわけにはいかない。自分に言い訳をして、さくらは踵を返した。今は、状況を受け止めるのが精いっぱいだった。


 それからさくらは、高札場が見えるぎりぎりの距離に筵を敷き、乞食に扮した。幸い、暖かくなっているからか似たような人影もちらほらと見える。隠れ蓑としてはもってこいという環境だ。

 傍らには、風呂敷に包まれた行李がある。さくらはそれにもたれるようにして、じっと高札場を見つめていた。動くための、好機を見極めたい。

 一口に首を取り戻す、といっても、事はそう簡単ではなさそうだった。まず、勇の首は釘でしっかりと台に打ちつけられていた。外そうとしてまごついてしまえば、隙だらけになってしまう。それに、二人の見張りの力量がどの程度なのかが読めない。手練れなのか、ただのお飾りなのか。だが、前者であると想定すべきだろう。昼間は人だかりがあり、無関係な者たちを巻き込む恐れがある。ならば夜、と思ったが、この界隈は祇園や四条の大通りも近く、夜になっても人通りが絶えることはない。

 勇の首は、三日三晩晒されるという。さくらは、見張りの気が緩むであろう最終日を狙うことにした。


 ***

 

 亥の刻(二十二時頃)の鐘が遠くから聞こえてくる。

 さくらは、旅装束のまま三条大橋の橋脚の陰に隠れていた。暗闇に十分目を慣らし、町の明かりと、わずかな月明りも手伝って、二人の見張りの姿をとらえるのは難しいことではなかった。

 彼らが話している内容も、はっきりと聞こえた。長州から出てきたばかりの者たちだろう。西国の訛りが強い。

「やーっと終わりかあ」

「でけえこと(大袈裟)じゃったなあ。近藤の首なんか盗るやつぁなんておらんじゃろ」

「わからんぞ。案外のことじゃが、幕府方の残ったやつがおるかもしれん」

「まあともかく、早よ帰ろう。うう、不気味じゃのう」

 二人は、勇の首を台に固定していた釘を抜くと、首桶に入れようとした。今だ。

 ザッと川原の草を踏みしめる音に二人が気づいた時、さくらはすでに抜き身を構えていた。

「な、なんじゃお前は……!」

「その首をこちらに寄越せ。大人しく従うのであれば命は取らぬ」

「お、女……⁉ いや、男か?」

「どうする。首を渡すか、渡さぬか」

「渡すわけがなかろう!」

 二人も、刀を抜いた。台の上に無造作に置かれた勇の首が、こちらを見ている。右側に立つ男が、先に動いた。さくらは身を低くして迫りくる刃を交わすと、下段から振り上げるようにして男を斬り捨てた。

「おのれ……!!」

 すぐさまもう一人が向かってくるのを目の端でとらえると、さくらは返す刀で袈裟懸けに一刀浴びせた。

「な、なにもの……じゃ……」

 信じられないといった顔でそう言い残し、男はその場に倒れた。

 さくらは刀を収めると、すぐさま勇のもとへ駆け寄った。頬に両手を添え、丁寧に包みこむようにして持ち上げた。

 月明りに照らされた勇は、穏やかに笑っているようにも見えた。

「勇、待たせたな。一緒に行こう」


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