失ったもの➀

 甲陽鎮撫隊は駒飼こまかい宿まで進軍した。甲府までの距離はあと五里ほど。順調に行けば、一両日中には甲府城に到着できるだろう。ここで、勇を筆頭に十数人が集まり軍議を開いていた。敵と相対したらどうするか、配置や戦略を話し合う。しかし、途中で驚くべき報が入ってきた。軍議の場に慌ただしく入ってきたのは、先行して甲府の様子を偵察していた大石鍬次郎だ。

「大久保隊長! 至急軍備を! 薩長軍が、すでに甲府城に入ったことを確認しました!」

 その場が、一瞬凍り付いたような沈黙に包まれた。勇が青ざめて、口を開いた。

「大石君。……それは、本当なのか?」

「間違いありません。昨日の時点ですでに兵の大半が甲府城に到着している模様。敵陣の兵の数は、ざっと千を超えると思われます」

「おいおい。こっちは半分くれえっきゃいねえんだぞ」

 狼狽の様子を見せたのは、まとまった人数を配下として引き連れ合流した弾左衛門だんざえもんという男だった。それを皮切りに、場がざわつき始めた。皆隣に座る者とああでもないこうでもないと議論を繰り広げる。もはや、収拾のつかない事態になっていた。

「皆、聞いてくれ!」

 勇の一喝で、場は再び静まりかえった。

「とにかく、進むしかない。東の地を知るのはこちらだ。城に入ってしまったのなら、追い出せばいい。西からはるばるここまで来ている軍だ。疲れ、油断。こちらが隙を突く機会はまだある。皆、とにかく少しでも多くの弾薬を運び出せるよう準備してくれ」

 待ってください、と新八が手を挙げた。

「先ほどまで話し合っていた作戦はいったん白紙ということですか。人数でいえば劣勢はこちらです。闇雲に突き進んだところで勝ち目はないのでは」

 図星をつかれたように、勇は押し黙った。

「……完全に白紙、というわけではない。少し考えさせてくれ。内藤君」

 勇は、歳三についてくるよう促して、別室へ引っ込んでいった。そして勇はさくらにも一瞬目配せをしたが、何事もなかったかのような素振りを見せた。

 おそらく、さくらも呼びたかったのだろう。だが立場上、副長である歳三とは裏で込み入った話をすることができても、他の幹部と同格であるさくらを、特別に呼ぶわけにはいかない。

 二人が何を話し合っているのか、残されたさくら達には想像するしかなかった。その場は再びざわつき始め、皆今後どうすべきかについて持論を展開した。しかし最終決定権は勇にあるわけで、結局は空虚な雑談として終わった。

 そしてしばらくの後、勇は笑顔を浮かべ、部屋に戻ってきた。

「やはり、このまま持てるだけの武器を持ち、進軍しよう。先ほど一報が入ってな。会津の援軍が猿橋宿まで来ているそうだ。内藤君が、迎え、道案内のために一旦離脱することになった。少し編成を組みなおすことにはなるが、皆すぐに武具や兵糧の支度をしてくれ。戦況は必ず好転する!」

 承知、と皆は声を揃えた。しかし勇の表情から、「何かを隠している」とさくらは察した。三々五々準備に向かう者たちを尻目に、勇、歳三と三人だけで話せるようさくらは少し離れた場所に連れ出した。

「会津の軍勢は何人規模だ」

 さくらの問いに、勇はぐっと口をつぐんだ。

「ハッタリなのだろう。援軍が来るなどというのは」

「……これは皆の士気に関わる。特に、弾左衛門殿の一隊には、今そっぽを向かれては困る。すまん、何も言わないでくれるか」

 ほぼ白状した勇に、さくらは反論しようとしたが歳三が制した。

「俺が必ず援軍を連れてくる。嘘を真にしてやる」

 そう言われてしまえば、さくらにはもうどうすることもできなかった。実際、今この状況で皆の士気を保つには、援軍が来るから大丈夫だと発破をかけるほかないのだ。士気さえあがれば、数では劣勢だったとしても、突破口が開けるかもしれない。だが、危うい。こんなやぶれかぶれと言われても仕方ないような作戦で、兵も、武器も、無駄に失うことになったら……。

 そんな胸のうちに燻ぶる不安を、さくらは口にすることはできなかった。勇も歳三も、さくらに言われずともわかっているはずだ。だからこそ、歳三が本当に援軍を連れてくることに、賭けるしかない。

「そうと決まったら島崎君も、支度をしてくれ」

 勇が事務的な口調で告げた。さくらは頷き、踵を返した。


 この日は日も暮れようとしていたため、先へ進むのは翌日へと持ち越された。新政府軍は、すぐそこまで来ている。

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