失ったもの②
三月六日・正午。想定よりも早く、甲陽鎮撫隊は新政府軍と激突することになってしまった。現在地は勝沼・
「永倉隊は岩崎山、原田隊は柏尾口、山口隊は菱山、島崎隊は後方を固めてくれ!」
勇が激を飛ばした。一応、事前に話し合っていた陣形と大差ない指示だ。事は一刻を争う。ただならぬ緊張の中、それぞれが持ち場についた。さくらは山口と名を改めていた斎藤と共に、後ろから回り込めるよう山道を進んだ。
「前列隊、前へ、後列隊、弾込め!」
さくらは自分の隊として編成されている男たちに指示を出した。しかし、彼らの動きは鈍い。女が一隊の指揮を執っていることを受け入れきれていない新参者も多かった。まったくなんで俺たちが、こんなところで、とぼやく声も聞こえる。さくらは小さく溜息をつき、同じ隊に編成されていた鍬次郎の肩を叩いた。
「今だけでいい。隊長を代わってくれ」
「どうしたんすか、いきなり」
「私の指示では動くものも動かぬ。皆に理解を求めている暇もない」
鍬次郎は、唇を噛んだ。悔しそうなその顔が、さくらにはありがたかった。
鍬次郎の指示を受けた者たちは、弾を込め、物陰に隠れながら様子を伺い、敵に向かって銃を放つ。パン、パン、と乾いた音が響くが、命中率はいまひとつだ。
歳三の援軍は間に合わなかった。そして勇のハッタリは、多くの兵に見破られていた。戦意を失った者たちはすでにどさくさに紛れて勝沼宿から逃げ出しており、兵の数は半減していた。このままでは、もたない。
弾薬は、あっという間に尽きた。そもそも銃の扱いに慣れぬ者も多く、無駄に弾を失ってしまったことも大きかった。対して敵は、もちろんあの鳥羽・伏見でも使用した最新式の銃火器を使いこなしている。こちらも同等かそれ以上の装備・技術がなければもとより不利な状況なのだ。しかし、次に出された勇の指示は。
「皆、刀を持て! 敵陣に斬り込むんだ!」
さくらは耳を疑った。
「白兵戦なんて、ダメだ。私は局長に談判してくる! 鍬次郎、ここは任せたぞ」
「はは、さっすが島崎先生。局長に真正面から物申せるやつなんて他にはいませんよ。こっちは任してください」
さくらは鍬次郎に礼を言うと、陣の中心に向かい、勇に声をかけた。
「大久保隊長、刀で戦うのは無謀だ。これ以上は、いたずらに兵を失うだけになるぞ」
「なんだ。島崎君、持ち場に戻りなさい」
勇は、さくらを見ずに言った。地図とにらめっこして、何かに取りつかれたように、あっちに何人、こっちに何人、とぶつぶつ言っている。眉間に皺を寄せた険しい顔は、別人のようだった。
「勇!」
「ここで退くわけにはいかんのだ。敵だって、弾切れを起こす瞬間はあるだろう。そこを衝けば――」
「源兄ぃはッ! それで死んだんだ!」
ようやく勇がさくらを見た。ハッとしたような顔をしている。いつもの勇に戻った、とさくらは不思議な安堵感を覚えた。
「……そうか。そうだな」
勇は、悔しそうに唇を結んだ。
この柏尾での戦いはわずか一刻で決着が着き、旧幕府勢力による甲府接収は失敗に終わった。
甲府城を押さえた新政府軍は、そこを拠点にまもなく江戸へと攻め入ってくるだろう。甲陽鎮撫隊としては、それだけは絶対に食い止めないといけない。
「日野で、体制を立て直す。多少はおれたちの顔が利いて兵が集まり、勝機が見えるかもしれない」
勇は、どう思う? とさくらに相談を持ち掛けた。
「ああ。今打てる手としては、最善だろう」
現時点において、死ぬことは完全な無駄死にである。皆それぞれ己の身を守ることが最優先。敵に見つからぬよう少人数ずつに分かれて日野で落ち合おうと勇は全員に指示を出した。こんな指示の出し方をすれば、事実上脱走を容認したことになる。仕方のないことではあるが、再び集合する頃には何人残っているやら、先が思いやられた。
さくらと勇は、わずかな手勢を連れて東へと逆走した。
皆の前では気丈に振舞っていたが、さくらの目に映る勇は、かなり意気消沈していた。甲府の主になるという野望はついえた。しかも、ひどい負け方をした。援軍は来ず、寄せ集めの兵はほとんど使い物にならず。
「惨めだなあ、さくら」
ぽつりと、勇がつぶやいた。
「池田屋に攻め込んだ時、こんなことになるなんて、誰が想像しただろうな」
池田屋。さくらにはそれが随分と昔のことのように感じられた。あの頃とは、変わってしまった。何もかも。
「勇。とにかく今は、戦うしかない。私たちには、それしかないのだから」
さくらの言葉に勇は大きく頷いた。少しでも多くの味方が無事に日野へ着きますように。さくらは、祈るしかなかった。
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