生きる①


 さくら、相馬、野村は、勇の死に目に会えなかった。三人は一つの広い座敷牢に入れられ、「近藤を助けに行こうなどとゆめゆめ考えるでないぞ」と釘を刺されている。実際、見張番がにらみを利かせており、この期に及んでそんなことができるはずもなかった。助命嘆願が本当に聞き入れられるのかわからない以上、さくら達はいよいよ自分の番だとその時を待つのみである。

 やがて、ひとりの男が座敷牢の前にやってきた。勇の首を斬って落とした横倉喜三次その人であった。横倉は膝をつき、さくら達の目を見据えた。

「近藤勇殿、見事なご最期にて、相果てもうした」

 三人は、息を呑んだ。本当にもう、勇はこの世にいないのだとはっきり告げられた。さくらは震える手を止めようと、正座する自分の膝を指が食いこまんばかりに強く握った。

「相馬主計殿、野村利三郎殿。両名は放免となった」

 それを聞いて、さくら達は胸をなでおろした。命さえあれば、折を見て歳三たちに合流できるだろう。問題は、さくらの名が呼ばれなかったことだ。

「島崎朔太郎殿」

 横倉は淡々とさくらの名を呼んだ。

「そなたは、流罪とすることに相成った」

 そう来たか、とさくらは唇を噛んだ。死罪の次に重い罰だ。やはり、「わけもわからずついて来ただけ」で相馬や野村の助命が罷り通ったのとはわけが違う。だが、裏を返せば敵方もさくらを「勇に次ぐ新選組の重要人物」と認めたことになる。さくらは、わずかに笑みを浮かべた。

「承知つかまつりました」

「島崎先生!」

 相馬と野村が声をあげた。

「心配するな。とにかく命までは取られないのだ。薩長の皆さんには感謝せねばな」


 相馬と野村は、それぞれ出身藩の藩邸に送られることが決まった。さくらは船が出るまでの数日間、そのまま座敷牢に残った。

 ——島流しとは、どんなものだろう。

 考えてはみるものの、具体的にはまったく想像できなかった。結局はなるようにしかならない。フウ、と諦めのため息をついたところで、足音が聞こえてきた。

「おねえちゃん」

 トミだった。さくらは笑みを漏らした。こんな時、無邪気に笑うトミの存在が、心あたたまる、ありがたいものに思えた。

 しかし、トミの顔はたちまち残念そうに曇った。

「おねえちゃんもいなくなっちゃうの?」

「……どうしてそう思う」

「お武家さまも、おにいちゃんたちも、いなくなっちゃったから」

 さくらはいたたまれない気持ちになりながらも、「トミ」と優しく呼びかけた。

「大丈夫。皆、家に帰っただけだ。私も、もうすぐここを出ることになる」

「おねえちゃんまで?」

「心配するな。私も、家に帰るだけだ」

「お家はどこなの?」

「遠い……遠いところだよ」

 トミは今にも泣きだしそうな顔をしつつも、折り鶴を差し出してきた。

「この前のは少し不格好だったけど、今度は上手に折れたよ」

「そうか。うん、きれいだ。ありがとう」

 トミとは、それきりとなった。さくらはもらった折り鶴を大事に袂に入れておいた。 


 出航の前日、横倉が様子を見にやってきた。

「近藤殿は立派な御仁であった。あの日、そなたらの助命を懇願する姿は、心から同志を想う、誠の侍そのものであった。すまぬ。それなのに島崎殿を放免できなかったのは、私の力不足だ」

「そんな……横倉様のせいではございませぬ。命を助けていただいただけでも、ありがたき幸せにございます。けれど、ひとつお願いが。紙と筆をもらえませぬか。郷里に辞世の句を送りたいのです」

「辞世の句……?」

「近藤が残していたというので私もひとつ詠んでみようかと思いまして。死ぬと決まったわけではありませんが、流罪となればどちらにせよ郷里へ便りを出せるのは最後でしょう」

 横倉は険しい顔をして「承知した。手配しよう」と請け負ってくれた。


***


 翌日。さくらは品川に連れていかれ、そこから船に乗った。中央に牢が設けられた小さな廻船だった。高木と名乗った見張りの男が、面倒くさそうに告げた。

「ひとまず横浜に行く。そこから他の罪人も同乗する大きな船に乗り換えて、八丈に向かう」

 高木の他に船に乗っているのはたった二人の水夫のみ。最低限の人数での出航だった。


 さくらは、牢の中では縄を解かれた。手首には縄のあとがくっきりついている。海風にふかれ、下ろした髪が顔にまとわりついて鬱陶しい。鏡がなくてよかったと思った。乱れた髪に粗末な白い着物。みすぼらしい姿を、見たくなかった。

 命は拾ったが、結局この死に装束なような装いで、さくらは波に揺られている。外を見やると、右手にはうっすらとした海岸線、左手はどこまでも続く大海原。船での移動など、大坂から江戸に戻ってきた時で最後だと思っていたのに。あの時乗った富士山丸と違って、乗り心地は最悪だ。

 持ち物はすべて取り上げられていたが、唯一、トミからもらった折り鶴だけは懐に入れてあった。子供からの贈り物を持っていくぐらいよいだろうとさくらが主張したところ、仕方がないという顔をしながらも高木は許可してくれていた。

 船酔いで気が滅入ると、いっそ海に身を投げて勇の後を追ってしまおうかという気になったが、この折り鶴を見るたび、我に返る。板橋での日々を、最期に会った勇の顔を、思い出す。

 ――私が、弱気になるわけにはいかない。

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