敵は、かつての同志也③

 

 月明かりがよく当たる少し広い場所に、伊東の亡骸は横たえられた。その目的は、御陵衛士の面々をおびき寄せるため。伊東という頭を失ったからとはいえ、それで御陵衛士という組織がバラバラになる保証はない。この機を逃さず一網打尽にせねば意味がないのだ。

 新選組の隊士は、通りを中心に物陰や屋根の上に各々身を潜めていた。すでに根回しは済んでおり、伊東が斬られたという報は御陵衛士の屯所である高台寺月信院に伝わっているはずだ。一刻(約二時間)ほどだろうか。寒風吹きすさぶ人気のない道で、さくら達はひたすら待った。とてつもなく、長い時間に感じられた。

 やがて、足音がした。まずは三人。伊東に駆け寄るのを、さくら達は息を潜めて見守る。

「平助……」

 三人のうち一人は、藤堂平助だった。江戸にいた頃から、そして新選組の発足当時から、苦楽を共にしてきた仲間だった。だが、伊東と共に御陵衛士に移ることを選び、袂を分った。

 今回の作戦決行にあたり、勇からはこう言われていた。

「平助は、見逃してくれ」

 それは、旧知の仲であることからくる情けであり、まだ若い平助の将来を憂いたゆえの発言だった。

 さくらは、隣にいた新八と左之助に目配せした。むろん二人もわかっている。

 新八が、平助の元へと駆けた。それを合図と他の隊士も一斉に飛び出した。さくらも平助の元へ向かいたかったが、早速目の前に別の敵が現れ、そちらと対峙せざるを得なくなった。相手は篠原泰之進しのはらたいのしんだ。かつて、同じ諸士調役兼監察として共に活動した同志でもある。

「島崎さん。まさかこんな形でお会いするとは」

「悪いな。もうお前たちを生かしてはおけぬのだ」

 言うが早いか、さくらは袈裟懸けに斬りかかった。だが篠原はさっと後ろに身を引く。さくらが追いつく前に右側から斎藤が現れ、斬りつけた。篠原は足を負傷しながらもさらに引いていく。まだ戦意を喪失してはいない。 

 御陵衛士の男たちは、死に物狂いだった。反して、狭い辻という場所の特性上、大人数の新選組側は同志討ちを恐れ思うように刀が振れない。形勢は不利に思えたが、新選組こちらが仕掛けた戦いだ。絶対に負けるわけにはいかない。

 さくらは目の端で、腕を庇いながら逃げていく男を捉えた。

 ――平助は、逃げおおせただろうか。

「斎藤、あっちを追ってくれ」

 さくらはその場を離れ、乱戦の音を背に先ほど新八が向かった方へ走った。


 平助と新八は一対一で対峙していた。二人とも、他を寄せ付けぬ殺気を放っている。平助の背後は空いているが、迂闊に近づけば斬られるのはこちらではないかと思わせるものがあった。

 さくらの気配に気づいたのか、平助はちらりと視線を向けた。

「島崎さんまで。弱ったなあ」

「平助、お前は逃げろ」

 さくらはじりじりと近づいた。三人の周りには幸い、人気がない。平助は近くの建物に背中を預け、左右に並ぶさくらと新八を警戒した。逃げる気は、ないらしい。

「さっき新八さんにも同じことを言われましたよ。でも僕は、この状況で逃げることなんてできません。敵前逃亡は士道不覚悟って言うでしょ」

「これは近藤局長の指示なんだ。お前は、ここで散るには惜しい」

 新八がダメ押しとばかりにそう告げた。さくらも新八も、抜き身を構えつつ、退路は塞がないでいる。だが、平助は動こうとしない。

「来ないなら、こちらから行きますよ。普通だったら、僕がお二人と戦って勝てる見込みなんてないんですけど。今なら」

 平助は、向かってきた。さくらが咄嗟に鍔で受け止める。

「負けませんよ、今日こそは」

「平助、やめろ。お前はこんなところで死んでは駄目だ」

「そう思うなら、今すぐ全員撤退させてくださいよ。僕だけ情けをかけてもらうなんて、そんなことできません」

「それとこれとは別だッ……!」

 ギリギリと、押されそうになる。平助は、本気だ。こちらは斬りたくないと思っている。その気持ちの差は、勝負にも表れる。このままでは、危ない。その時だった。

「うっ!」

 平助が腕を引っ込めた。さくらは急に力をかける先を失い、よろめいた。

「新八!?」

 さくらは何が起こったのかと目を凝らした。新八が、平助の腕に一太刀浴びせたのだ。

「逃げろ、平助。その腕ではもう刀を振れないだろ。お前は、ここにいるべきじゃない」

「新八さん……でも」

「藤堂!」

 すぐ近くの建物の屋根から、誰かが平助を呼んだ。顔はよく見えないが、御陵衛士のひとりであろう。

「ここは一旦退こう! このままじゃ皆やられる!」

 平助が、頷いた。さくら達の説得ではなく、御陵衛士の人間に言われたから、というのがなんともいえない気持ちにさせたが、そんなことを気にしている場合ではない。

 新八が行け、と声をかけると、平助は腕を押さえながらそのまま走り去った。

 さくらはその背中を見てほっと胸を撫で下ろした。新八と目が合い、互いにニッと笑みを浮かべた。平助ひとりなら、後々新選組に復帰させてもいいかもしれない。勇にかけあってみよう。そんなことを考えた瞬間だった。

「覚悟ーッ!」

 平助が向かった先に、数人の新選組隊士が現れた。

「おい、やめ……!」

 さくらと新八が止めようとしたが、時すでに遅し。囲まれた平助は、正面から、背後から、斬撃を受けた。

 平助は逃がせ。その指令は、全員に行き渡っていたわけではなかった。一人だけ贔屓するような指示が大っぴらになれば局長の沽券にかかわるからだ。

 さくらと新八は慌てて平助に駆け寄った。状況を察知した源三郎、左之助、斎藤もやってきた。 

 新八に上体を助け起こされるも虫の息となった平助は、さくら達をぼんやりと見上げた。

「もう、やだなあ、皆さんお揃いで。……先に行って、山南さんと待ってますから」

 それが、平助の最期の言葉となった。

 平助の周りだけ、時が止まったかのように、皆言葉を発するどころか身じろぎひとつしなかった。遠くから、争いの喧騒が、非現実的な音として聞こえてくるようだった。


 後に「油小路事件」と呼ばれたこの争いで、伊東を含め四人の御陵衛士が命を落とした。新選組の側に被害はなかったが、後に起こるある事件の引き金となる。


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