親孝行②

「いーさーみーぃ!!」

 鬼のような顔をしたさくらが突然登場し、勇はぽかんと口をあけた。さくらの後ろでは、気まずそうに斎藤が突っ立っている。

「祝言とはなんだ。勝手なことを」

 勇は、「ああ」とすべてを悟ったような顔をした。

「ほら、こうでもしないと、何も進まないだろう」

「何がだ。こんな、外堀を埋めるような真似……! だいたい、平助たちの喪だってあけてないのに!」

「喪のことを気にしてたらいつまで経っても新選組で祝言なんかできませんよ」

「斎藤は黙っていろッ」

「では局長、俺は外しますね」

「ああ、ありがとうな、斎藤君。祝言にはぜひ参加してくれ」

 斎藤はぺこりと頭を下げると、去ってしまった。残されたさくらと勇の間には、やや気まずい沈黙が流れた。さくらは意を決したように勇に向き合い、淡々と告げた。

「大前提として。私と歳三はそういう仲ではない」

「まだそんなことを言うのか。お前たちを見ていればわかる。だだ洩れだ」

「な、何がだだ洩れだッ!」

「それに、父上の許可ももらっている」

 勇はぺらりと一通の文を差し出した。確かに、故郷の父・周斎からのものである。見れば、「さくらと歳三の件、よしなに取り計らうように」と書いてある。いつの間に、そこまで根回しを済ませていたなんて。ほんの冗談ではない。さくらが思っているよりも、勇は本気だ。

「父上、喜ぶだろうなあ。一人娘が三十も半ばになって祝言。嗚呼、なんて親孝行なことだろう」

 勇は涙を拭う仕草をした。だが、その目は乾ききっている。親孝行、なんて言葉を出されると、強くは言えなくなってしまう。

「と、とにかく、私は承服せぬぞ!」

 さくらは吐き捨てるように言うと、乱暴に襖を開け閉めして部屋を出た。どすどすと荒々しい足取りで自室へ戻る。突然の展開に驚くやら、恥ずかしいやら、気持ちの整理がつかなかった。


 歳三とは、互いに同じ思いである。それはさくらにもわかっていた。だが、二人の関係や距離感は今までと何ら変わっていなかった。それはさくらの「公私混同すれば隊士に示しがつかない」という考えからだった。

 さくらはずっと「女のくせに」と言われないように、他の隊士と対等、それ以上たらんと、隊務に、稽古に励んできたのだ。それが、「土方副長と恋仲である」なんて話になれば、「結局そういう、裏道のような芸当で副長に取り入っている」という見え方になるだろう。そうなれば今までのさくらの努力は水泡と帰してしまう。是非とも避けたい事態だった。歳三もそれで理解している。


 勇は二人の現状を見かねたのかもしれない。気持ちわからぬではないが、いかんせんやり方が強引すぎる。しかし

「祝言……か」

 思い浮かべてみた。さっきの打掛を着て、濃く化粧をした自分。勇や、源三郎や総司らに祝われる自分。隣に座るは……。

 頬が火照るような気がした。まんざらでもないような気になった自分が、少し腹立たしい。

 ――だいたい、こんな大年増がそんな格好、笑いものになるだけだ。

 歳三の方はどこまでこの話を知らされているのだろうか。気にはなるが、面と向かって話題に出すのも憚られる。

 あの口づけをされた夜以降、自分で仕向けているとはいえ何も色っぽい場面になることもなく、浮ついた話もなく。やはり酒に酔ったせいで見た幻なのではないかと、時々思うのである。それに、歳三がさくらに抱いている好意は花街の女たちに向けているようなのと同じ類で、「祝言とか、夫婦になるとか、そんなのは話が重い」と考えている可能性もある。自分だけが乗り気だと思われるのも癪だった。

「うん、……やっぱりなし」

 

 しかし結局、この問題は杞憂に終わる。

 十一月も終わろうかという頃合いにさくら達のもとへ届いたのは、周斎の訃報だった。

「そうか、父上が……」

 受け取った文を見て、さくらは嘆息した。周斎はひと月ほど前に息を引き取ったらしい。七十六歳の、大往生だった。

 一緒に文を読んでいた勇も、残念そうに項垂れた。

「こんなことなら、この前の東下に、さくらも行けばよかったな」

「……いいんだ。もともとあの歳。父上の死に目に会えないかもしれないということは、覚悟していたことだから」

 とは言え、どこかでまだまだ先のことだろうと思っていた。隊士募集のために江戸へ下った歳三と源三郎の話によれば、周斎は少しやつれていたものの、すぐにどうこうなるような容体には見えなかったという。幕臣となり京で活躍するさくら達新選組のことを、「鼻高々だ」と笑っていたそうだ。

 そんな父の笑顔を想像してみた。実際に見ることは永遠にできない父の笑顔だ。実感は湧かない。涙も出ない。それでも、心にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われた。

 さらに文には、さくらの刀を一緒に棺に入れ埋葬したと書いてあった。

「あの刀か」

 勇が言うのに、さくらは頷いた。

 その刀というのは、初めて江戸を出発する時に周斎から譲り受けたものだ。以前にも一度返そうとしたが、限界まで使ってこいと言われたので一旦は持ち帰った。だが、あれから三年の間についに使えなくなった。ただ部屋の隅で眠っていただけの刀を、周斎に返して欲しいとさくらは歳三と源三郎に託していた。

 周斎は、

「役目を、終えたか」

 と言って今度は淡々と受け取ったという。愛おしそうに眺める姿が印象的だったと源三郎は語っていた。さくらは、いざ自分が凶刃に倒れるようなことがあったら形見として持っておいて欲しいと伝言していた。それに対し、周斎はこう言ったそうだ。

「何言ってんだ。そりゃあ、武士として立派に戦ってこいとは思ってるがよ。本音を言えば、親より先に死んじまうことほど親不孝なことはねえんだ。さくらも、勇も。死なない程度に公方様のお役に立ってこい」

 だが結局、父が先に逝ってしまった。あの刀を持っていってくれたのであれば、なんだか少し安心できる気がした。「父の望み通りの順番」になったことで、少しは親孝行になったであろうか。

 祝言を挙げ、その様子を報告すればもっと親孝行になったかもしれない。考えても詮無いことだ。さくらは苦笑いした。

 

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