失ったもの⑤

 新八は、ご存知ですか、と切り出した。

「薩長の連中も、本気で江戸に攻め込もうとはしていないという噂もあります。向こうだって、江戸のような大きな町が焼けてしまうのは惜しいと思っているのでしょう。そこで、別の場所で奴らと一戦交えると考えた時に、会津に行ってしまった方が会津兵と共に戦うには話が早いのではないかと」

「そんな大事なことをなぜ勝手に決めるんだ」

「勝手にって、『後は任せた』って言ってたじゃねえかよ」

 口をとがらせる左之助に、勇は「あれはそういう意味で言ったんじゃない」と反論した。

「とにかく、事は拙速を要します。大久保さんも、松本先生の許しが出たら追ってきてください。島崎さんは、どうしますか?」

「私? 私は……」

「永倉君」

 勇の怒気をはらんだ声に、一同は口をつぐみ、勇を見た。

「局長は……かしらはおれだ。おれが言ったのは、八王子からここまで兵を連れてくるのを頼んだまで。新選組の行く先まで託したわけではない!」

「しかし、今はそんなことを言っている場合ではないでしょう。誰が頭とかそういうことではなくて、動ける者が動く。それでいいじゃないですか」

「そうだよ。鳥羽・伏見の時だって、土方さんが代わりに皆を引っ張ってたじゃねえか」

「原田君。土方君はあくまで局長代理だという立場をきちんとわきまえていたんだ。今の君たちのように、局長を差し置いて好き勝手していたわけじゃない」

「好き勝手たあ聞き捨てならねえな! 俺たちだって新選組のことを真剣に考えてんだよ! なあ、冷静に考えてくれよ。悪くねえ話だろ? 江戸の町中でやり合うより、会津に行けば城も、軍備も、山だってあるしさ。近藤さんも行こうぜ」

 勇は口を結んだ。さくらはヒヤヒヤとしながら勇と新八・左之助を交互に見た。今までにない険悪な雰囲気。ひとつ言葉を間違えば、取り返しのつかないことになるのでは。嫌な予感がした。

「わかった。但し、行くとしてもおれが局長ということに変わりはない。おれの家臣として戦うというのなら、会津に行こうじゃないか」

「勇!!」

 さくらが思わず声を荒げた。勇はハッとして、バツの悪そうな顔をしていた。そして新八と左之助は今までに見たことがないような、冷めきった、呆れたような顔をしていた。

「すまん、言い過ぎた。今のは言葉のあやで……」

「言葉のあやでもなんでも、本心ではそう思っているということでしょう。言いましたよね? 我々は同志ではあれど、主従ではないと。確かに、お上から与えられた『格』は近藤さんの方が上ですけどね。だからといってあなたの家臣になった覚えはない」

「新八っつぁん、もう行こうぜ」

 左之助がさっと立ち上がった。「ほら、お前らも」と声をかけ、一緒に来ていたものたちに部屋を出るよう促した。

「皆、見苦しいところを見せて悪かった」

 新八は彼らに対して謝罪し、左之助と共に部屋を出た。最後に二人は一度だけ振り返った。

「今までありがとうございました」

「達者でな」

 勇は何も言葉を返さず、部屋の出口を黙って見ていた。

「勇! なんとか言ったらどうなんだ!」

 さくらが促しても、勇は微動だにしない。

「もう!」

 舌打ちして、さくらは二人を追いかけた。


「新八、左之助! 待ってくれ、考え直してくれないか。勇が言ったことは、私からも謝る。申し訳もない。たぶん勇は、『甲府を取るはずだった、大名になるはずだった』ってそのことに囚われていて、だから……」

「島崎さんはどうするんですか」

 新八が静かに言った。先ほどより少しだけ表情が和らいでおり、さくらはいくらか安堵した。

「私は、何があっても勇と行動を共にする。勇は、新選組の仲間である前に、たったひとりの弟だから」

 二人は、わずかに笑みを浮かべた。

「島崎さんなら、そう言うと思いました。我々はここで別れますが、薩長に一泡吹かせたいという思いは同じです。いずれどこかで会うことがあれば、その時はまた共に戦いましょう」

「そういうわけだ。近藤さんにはちょっと頭冷やしてもらってさ。俺たちのことは甲府で死んだもんだとでも思ってくれりゃあいいよ」

「しかし……」

 食い下がってみたが、二人の意思は固く、さくらの説得ごときで変わるようなものではないのだと、受け入れざるを得なかった。こうなれば、あとはもう二人の武運を祈ることしかできない。

「わかった。新八、左之助。しょうもないところで死ぬなよ。……達者で」

 二人は大きく頷いた。その背中を見送り、さくらは勇のいる部屋に戻った。

「まったく……。何をやってるんだお前は。新八と左之助がいなかったら、うちの戦力は……」

 勇は茫然としていて、さくらの言葉など耳に入っていないようだった。

「……さくら」

「なんだ」

「おれは……どこで間違えたんだろう」

 さくらは、勇の傷口をぽんと叩いた。

「いてっ、何すんだ」

「間違えたとしたら、さっきの失言だけ。それ以外はどこをどうすればよかったかなんて、私にもわからぬ」

 勇は、「そうか」と寂しそうな顔でぽつり、つぶやいた。


 この後、新八の言った通り江戸城は無血開城されることが決まり、江戸の町が戦渦に巻き込まれることはなくなった。事実上、旧幕府は新政府の前に降伏したことになるが、ここで黙って引き下がらないのが、武士という生き物だ。

 旧幕府軍と新政府軍の戦いは、東日本各所に飛び火し、長期化の様相を呈していく。

 

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