番外編 敏腕経営者は繰り返さない
それはまだ、私がとあるバーのスカウトだった頃。
「はい!3番テーブルさんからシャンパン頂きましたありがとうございます!」
「「「ありがとうございます!」」」
騒がしい店内。私は複数人のボーイをスカウトして、そのボーイ達が優秀なこともあってそこそこ稼ぐことができていた。
店長である妙齢の女性が、奥で笑顔を振りまいている私がスカウトしたボーイを一瞥してから私に向き直る。
「やっぱりすごいわね、あの子。相当優秀よ」
「でしょう?私の目に狂いはないの」
「今まで貴方が連れてきた子も十分稼いでたけど……今回は格別、ね」
確かに、あの子はかなり特殊だった。
普通、いかにボーイであったとしても、極端にパーソナルスペースが近い客や、高慢な客などを前にすると嫌な顔をしたり、極端なボーイだとわざと嫌われるような態度をとるものなのだが、彼にはそれがない。
ここに来るような女は大半が男との交流を楽しみにきており、多かれ少なかれ下心のようなものが見え透いている。だからこそ、表面では取り繕って、裏では平気で悪口を言う。
それが普通のボーイだ。
であるし、私は別にそれで良いと思っている。
アイドルと同じだ。彼らはお金と引き換えに彼女らに夢を見せているにすぎないのだから。
だけど、彼は違った。
裏表なく客と接し、笑い、楽しむ。
そんな夢物語のような事ができるからこそ、彼はウチのバーでナンバーワンに君臨しているのだ。
「大切に扱って頂戴。そうすればあの子も、貴方もしばらくは安泰よ」
「分かっています」
彼の売上が、私の給料にそのまま響いて来る。
そういうものだ、スカウトというものは。
紙タバコを灰皿に乱雑に捨てて奥を見れば、彼は依然として客に笑顔を振りまいていた。
「あ、お疲れ様です!」
「……お疲れ様
バックヤードでスマホを弄っていた私に声をかけてきたのは、件の優秀なボーイ、優だった。
もう勤務時のカジュアルスーツから私服に着替え、帰り支度を済ませている。
「もうすっかり一流のボーイね」
「いやいやいや!全然そんなことないですよー!」
明るすぎない茶髪。奇抜過ぎない小ぶりなピアス。
身長がそこまで高くないことも相まって、彼は女性客から可愛がられるような接客で人気だった。
「でも、確かに僕向いてるかもとは思います!」
「お、随分言うようになったじゃない」
「へへ……お客さんが笑顔になってくれるの普通に嬉しいんですよね」
照れたように後頭部を掻く優。
彼のこれは天性のものだ。初めて会った時から感じていたが、女性に対する忌避があまりにも無さ過ぎる。
「……それで良く女に言い寄られないわね」
「そこはちゃんと一線引いてますので!ちゃんと僕が一線引いてるとね、皆何故か喜ぶんですよ」
それはもうアイドルとして認定されているからでは……。
自分のモノにならないならせめて、誰のモノにもなってほしくないと思うのは、女の性か。
もちろん顔面偏差値も高い彼だからこそ、為せるわざなのかもしれない。
「はぁ、まあいいわ。なんか食べて帰る?ラーメンくらいだったら奢るわよ」
「やった!ラーメン行きましょうラーメン!」
もう深夜ということもあって、この時間に空いている飲食店など居酒屋かラーメン屋くらいのものだ。
スキップ混じりでついてきた優を連れて、私は近くのラーメン屋へと歩を進めるのだった。
事件は、とある冬の日に起きた。
「「「かんぱーい!」」」
その日は、私もお世話になっているバーの年末忘年会。
そこそこ大きい居酒屋の一室を貸し切って、私達はお酒を楽しんでいた。
「優あんたすごいじゃない!4ヶ月連続ナンバーワンよ!」
「あはは、たまたまですよ本当に」
「こんな可愛い顔して~!何人の女を堕としたんだお前は!」
時間が経つにつれて、席を移動する人も増えてくる。
そんな中、優がスタッフ1人1人に挨拶をしながら、お酒を注いでいる。顔が良いあの子にお酌されるのは、女として気分が悪いはずもない。
私はそんな優の様子を眺めながら、ハイボールを胃に流し込んだ。
優秀なあの子が他のスタッフから褒められるのは、私としても悪くない。
……悪くないはずなのに、何故だか心がささくれ立つ。
あの子は私が連れてきて、鼻が高いはずなのに。ベタベタと優に触る連中に嫌気が差した。
「先輩?ちょっと酷い顔してますよ?」
「……っ、そうね。ちょっとタバコでも吸ってくるわ」
隣に座っていた後輩に心配されて、自分がこの場に相応しくない表情をしていたことを自覚する。
とりあえずタバコの一本でも吸って、落ち着けることにしよう。
席を立って、私は喫煙ルームに向かった。
昨今の喫煙者は生きづらくてしょうがない。
喫茶店で吸えないのは当たり前。最近では居酒屋やパチンコ屋、雀荘など昔は吸えて当たり前であったところでも吸えないのだから。
スタッフでも喫煙者は減った。
最近ではタバコを吸う時はいつも一人な気がする。
喫煙ルームに入って、ポケットから紙タバコとライターを取り出して。ゆっくりとタバコに火を点けた。
肺に悪い空気を思う存分吸い込んでから、ゆっくりと煙を吐いた。
……落ち着く。ささくれ立っていた気分はさざ波のように引いていった。
「あ、いた!」
そんな時。
喫煙ルームの外から声。
ガラッと遠慮なくその扉を開けたのは、最近だと毎日のように顔を合わせる男の子。
「そんなにタバコばっかり吸ってると早死にしますよ!」
「……まあ、それも悪くないわね」
「いやいやダメですよ生きてくださいよ!」
「……っていうか主役がこんなとこ来てる場合じゃないでしょ優」
今日の主役と言っても過言ではない、優だった。
さっきまでタバコの煙を嫌そうに手で払っていた彼は、急ににこっと笑うと。
「お礼を言いに来ました!」
と言い放った。
私は少し、考えてから。
「……お礼を言われるようなことしたっけ?」
「いやいやいや!したでしょう。というかスカウトしてくれなかったらここにいませんし」
「まあ、それはそうだけど」
しかし優を見ていると、なんでこんな所にいるんだろうと思ってしまう。
彼の人間性なら、いくらでも欲しい会社はあるだろう。
それこそ、受付とかにいるだけでも。
しかしどうにも、彼は普通の会社が肌に合わなかったようで。
たまたま行く当てもなく夜の繁華街を彼が歩いていたところを、私が声をかけたという次第だ。
「だから、ありがとうございます。お陰様で、結構楽しいです」
裏表がない。ちょっと私生活がだらしないだけの、良い男。
そんな彼の屈託のない笑みを見て……。
私の中で、
「じゃあ優悪いけど先輩をよろしくね!」
「は、はい!わかりました」
その後。
私は序盤からお酒をだいぶ飲んだせいもあって、久しぶりに歩くのが困難なほどに酔っぱらってしまっていた。
わざわざ私の介抱を願い出た優に肩を借りながら、お店の外に出る。
私の家は、ここからそう遠くはない。
駅から歩いて数分のアパートに住んでいてよかった。
「もーどんだけ飲んだんですか。とりあえず家まで送りますから」
「ごめん……」
文句を言いながらも、私に肩を貸してくれる優。
その肌の温かさを感じて、私の内側に強烈な優越感が走った。
いつも、たくさんのお客さんから貢がれている優。
その優は今、私のために肩を貸して、私を思いやって家まで送ろうとしてくれている。
優にとって私は、特別な存在なんだ。
でも、でもまだ足りない。
今後優がお客さんと接していて、もっと強烈な優越感を感じるためには。
私の心が、仄かに暗い感情で満たされていくのが分かった。
ほどなくして、私の家に着いた。
「はい、つきましたよ!ちゃんと水飲んで寝てくださいね!」
「ありがと……優あんた、どうやって帰るの?」
「タクシーで帰りますよ。最近は呼べばすぐ来てくれるんですよ!」
玄関先で、誇らしげな優。
今さっきまで私を支えてくれていた優の手を、私は軽く引っ張った。
「お茶くらい出すから上がっていきなさいよ」
「え……いや、いいですよ。僕そんな酔ってないですし……」
「いいから」
遠慮する優を半ば強制的に部屋に導き入れ、ソファに座らせた。
逸る気持ちを抑えて、私はグラスに冷たい麦茶を注ぐ。
酔ってはいたが、自意識は保っていた。このチャンスは、逃してやらない。
「はい」
「あ、ありがとうございます……でももう帰ります。やっぱり酔っちゃってるみたいですし」
一向にダッフルコートを脱ごうとしない優に、少しイラついた。
もう、私の部屋の中だというのに。
グラスを置いて、お互いの身体がくっつくほどの近さで、隣に座る。
驚いたように目を見開く優。
それがまた、私の嗜虐心を刺激する。
「ええ。酔ってるかもね。ちょっとした間違いが起きてしまうくらいには」
「ちょ……ほんとに、帰ります。酔ってるから、だと思うので」
私が頬にかけた手を、優が振り払う。
ああ、もう、鬱陶しい。
私は無理やり。
優の唇を奪った。
ドン、と身体に衝撃。
私の身体は、優の両手で思い切り突き放されていた。
火照っていた身体が、急激に冷めていく。
目の前の優は、心から
「……信じてたのに」
一度も私と視線を合わせることなく、部屋から出ていく優を、私はただ眺めることしかできなかった。
ピピピピ、という無機質な電子音で、目が覚める。
ベッドの隣に置いてあった音の発生源である目覚まし時計の頭を、軽く小突いた。
「……夢、か」
意識が覚醒して、気付く。
今まで見ていたのが、夢だったということに。
昔の、出来事だった。
あれ以来、よくこの事は夢に出てくる。
あの後、優はバーを辞めた。
いきさつは話したし、店長にもこっぴどく叱られた。
優に私を送るように言った後輩には謝られたし、同僚には「優の方が悪い」という声もあった。
女の部屋に入ったなら、それくらい覚悟しろよ、と。
まあ、それも分かる。けれどきっと、優はそういう男ではなかったのだ。
間違っても、こんな裏社会にいていいような存在じゃなかった。それだけのこと。
今は次代の流れに合わせて紙タバコから電子タバコに変えた。
出かける支度を済ませて、私は一服して気持ちを落ち着ける。
昼の青空と自分の吐き出した煙が、酷くミスマッチだった。
「……今は、どうしてるかしらね」
あれから、数年が経った。
優が今何をしているのか、全く知らない。
私は、近くのアパートを目的地に、家を出た。
あれから、色々なことがあった。
数年のキャリアを経て、自分の店も持った。
ただ、あの事があって以来、私は一つ決めたことがある。
自分の店かどうかに関わらず、ボーイには、もう絶対に手を出さないこと。
別に、ボーイに恋愛禁止とかはしない。勝手にすれば良いと思う。
けれどもう、自分であんな間違いを起こさないために。
覚悟のついでに、形式上の結婚も済ませた。
彼らにはそれぞれ、こんな薄暗い社会で生きなければならない理由がある。
そんな子達の、居場所を作ってあげたい。
今は、それだけが私の願い。
目的地に着いて、足を止めた。
2度、ドアをノック。
ここには、最近可愛がっている子が住んでいる。
そろそろ、もう少し気を許してくれても良いと思うのだけれど。
時刻は10時過ぎ。夜社会に生きる私達には、まだ朝の時間。
だから挨拶は、そう。
「おはよう!
しばらくして、がちゃり、と扉が開く。
まだ寝ぐせの目立つ黒髪。寝起きでも可愛らしい笑みは、彼によく似ていた。
「おはようございます、
「ん、おはよ」
私に特権があるならそう、この寝起き姿を見れることくらいが、丁度良い。
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