ツンデレ系OLは決意する
状況だけ見れば、きっと私が心の底から望んでいたシチュエーションを獲得したはずで。
当初の予定では、今頃私はこれから起こる初めての経験にはしたなく妄想を膨らませ、その身を情欲の炎で燃やしていたはずなのだけれど。
「こっから先は!!!絶対入っちゃダメですからね!!絶対です!!ここから先に足を踏み入れた瞬間に外出てもらいますし2度と口聞きませんから!!」
「そこまで言うフツー?!わかったわよいかないわよ!!」
必死にバスタオルで部屋内にラインを引こうとする将人と、笑顔で軽口を叩きあうこの状況が、今はたまらなく楽しくて。
どうしてこんな状況になったのか。
話はあの公園でびしょ濡れになった所まで遡る。
時刻は22時過ぎ。
未だに止みそうもない雨に、呑気に打たれているわけにもいかないので、私と将人は公園内の屋根がある場所にまで避難しに来ていた。
「くしゅん……!」
「大丈夫ですか……?すみません、俺の上着も、だいぶ水吸っちゃってて……」
「いいのよ。将人だって寒いでしょ?」
「俺は全然平気なんすけど……あ、ちょっとお店から電話だ。ごめんなさい」
お店から電話がかかってくると言う事は、将人は出勤中なのにも関わらず飛び出してきてくれたのだろう。
それだけで、私の心にじんわりと熱が広がる。
半袖のブラウスはびしょ濡れで、靴の中も気持ち悪い。
我ながらバカなことしてたなあと思う。けれどどうしてか。心だけは温かい。
誰のおかげかなんて……考えるまでもなかった。
「すいません!急に飛び出して……え?帰ってこなくて大丈夫?え、でも服とか……いや、めちゃ濡れてます。あ、はい、クリーニング出します……」
さっきまであんなにカッコ良かった将人が、電話に対応しながらおどおどしているのを見て、可愛いと思ってしまう。
私のせいなのだから、こんなこと思ってたら将人に失礼なんだけどね。
「はい、お疲れ様です。また、来週の金曜日に……はい。申し訳ありませんでした。失礼します……ふぅ」
「ごめんね将人、私のせいで」
「いえ!俺が望んでやったことなんで……星良さんはなにも悪くないですよ」
望んでやったこと、か……。ほんと、この子の優しさには、何度救われたかわからない。
「星良さん、大丈夫ですか?帰れます……?」
「ええ、まあ、ちょっと電車には乗れないでしょうから、タクシー使って帰るわ」
「……前遅くなった時ここからタクシーで帰るとあり得ないくらいの金額かかるって言ってましたよね……」
「まあ、そうだけれど。仕方ないでしょ?」
確かにここからタクシーで帰るとなると、数万円は覚悟しないといけない距離。
だからといってこのびしょびしょの状態で電車に乗るのも……憚られるしね。
ふと隣にいる将人を見ると、頭に手をやって何かを考えている。
「……流石にヤバイか……?いやでもこのまま帰すのも酷いだろ……大丈夫、俺が気を付ければ……」
「……?どうしたの?」
なにやら小声でぶつぶつと呟いているけれど……。
「あー、あの、星良さん?」
「なに?」
こほん、と一つ咳払いをして改まる将人。
「……俺の家こっからすぐなんですけど……とりあえず来ます?」
「え……」
それは奇しくも、私が今日夢見ていた展開で。
「こ、このまま帰すわけにもいかないですし……シャワーとかありますんで……」
「え、けど……いいの?」
「いい、ですよ。でも!雨を凌ぐためですからね!それ以外の用途は一切!ありませんから!お風呂と着替えだけ!だけですからね!!」
必死にまくしたてる将人に気圧されながら、それでもやっぱり可愛いな、と思うのだった。
「ここが、俺の家です。すいません、ボロくて」
「……そんなことないわ」
公園から歩いて15分ほど。
私は将人に家を紹介される。……まあ、紹介されるまでもなく、知っていたのだけれどね。
後ろめたい事実に、若干心に影が差す。
けれど、私はかぶりを振った。もう、道を誤らない。将人の隣に立てるような女になるんだから。
将人が鍵を取り出して、扉を開ける。
「どうぞ」
「ええ。お邪魔するわね……」
電気がついた。外装は確かに少し歴史を感じる傷や汚れが目立っていたが、内装は至って綺麗。
「靴下とか、脱いじゃいますか。びしょ濡れだし」
「え、ええ。そうね……」
玄関から、居間の景色まで見える。
とても片付いていて、清潔感のある部屋だった。なんとも、将人らしい。
将人が先に入ってタオルを持ってきてくれた。
「とりあえずこれでちょっと拭いてから……先にお風呂入っちゃってください。数分で入れるようになるはずなんで」
「え、でも私が先なんて申し訳ないわよ」
「いいんですよ。俺はテキトーに飲み物とか用意しとくんで」
申し訳なさを感じつつも、私は将人の言葉に従うしかなかった。
「ふぅ……」
私は、将人の家の湯船の中にいた。
なんだろう。不思議な感じ。ふわふわと浮ついた気分ではあるのだけれど、落ち着いているような気もする。
まさかこんな形で、将人の家に入れてもらえることになるとは思わなかった。
嬉しいけれど、それだけ将人の信頼を裏切っちゃいけないという想いの方が強い。
「絶対変なことしちゃダメね……」
お店での一件を思い出す。
怯えた将人の表情。明確な拒絶の意。
もしもう一度あんな目をされてしまったら、私は今度こそ生きていけなくなる。
十分湯船に浸かってから、私はお風呂を出た。
将人が待っているんだもの。なるべく早くしないとね。
脱衣所に出ると……そこには、半袖のTシャツとハーフパンツがたたんであった。
……これを、着て良いということだろうか。
急激に、心拍数が上がる。
「お、おおおおお落ち着くのよ。ダメダメ。冷静になりなさい私。これは将人の厚意なんだから。ここで欲情したら全て終わり……!」
興奮するなという方が無理な気もするが、ここは鋼の意志で我慢する私。偉い。
心を無にして、私はそれらの着替えに袖を通した。
そのまま、なんとか将人のいる居間に戻ろうとドアノブに手をかけて。
そこで、思い出す。
――私今、すっぴんなんだった、と。
身体が固まった。思わずメイク全部落としちゃったけど、こんなブスなすっぴんを将人の前に晒して幻滅されないだろうか?
「星良さん、上がりました?」
「え、ええ!上がったわ、上がったんだけれど……」
「?服のサイズ合わなかったですか?ちょっと大きいのは我慢していただけると……」
「そ、それも大丈夫!大丈夫なんだけどね……!?」
ヤバイ、どうしよう。
覚悟を決めるしか、ないのか……!
私は半ばあきらめて、脱衣所の扉を開けた。
「おっ、よかった大丈夫そうですね……って、なんで顔隠してるんです?」
「……私今すっぴんだから。見られたくないの……」
「えぇ……いいですけど……ずっとそのままにする気ですか?話しにくいですよね?」
「うっ……」
どうしようか悩んでいると、私の顔を覆っていた両手は、将人によって優しくはがされた。
「……なんだ、やっぱり思った通り綺麗じゃないですか」
「……ッ!」
「確かにいつものメイクで着飾った星良さんも綺麗ですけど、そうじゃないところも……ってあーーっとなんでもないです忘れてくださーい!」
しまった、いつもの癖で……!とか言いながら将人が着替えをもって脱衣所に入っていく。
……もう。本当にズルいんだから。いつも将人は欲しい言葉をかけてくれる。
『いつもと変わらない』と言われたら、それはそれで寂しいものなのだ。
居間には、温かい緑茶の湯呑みが2つと、冷たい麦茶のボトルが置いてあった。
将人が用意してくれたのだろう。
「そこまでしてくれなくていいのに……」
座布団の上に腰を下ろす。
ぐるりと、周りを見渡した。
ほとんどの所が整理整頓されているのに、キッチンががちゃがちゃとしている所が生活感があっていい。
もっと散らかっててもいいくらいだ。そのくらいの弱みは見せて欲しい。
麦茶を嚥下して、ひとつ息を吐く。
冷静に今の状況を整理してみると、あまりの現実感の無さに笑ってしまう。
友達に言っても誰も信じてくれなさそうだ。
というか、そういえば。
「私、男の子の家来るの初めてだ……」
学生の頃から数えても、一度もない。
そう意識すると、少し心拍数が上がる。それに、この今着ている服も、本当は将人ので。
少しだけ、袖の部分を香ってみた。
瞬間、脳に甘い刺激が走る。
「……麻薬ね、これは……」
一瞬脳が溶けるかと思った。
これは良くない。将人の香りには女を発情させる副作用でもあるんじゃなかろうか。
まあ私レベルになればもう脳が慣れて耐性ができているから、平気なんだけどね。
……ふう、そろそろ太ももが痛いし抓るのはこのくらいにしておきましょう。
「ふう~出ました。あ、星良さん麦茶で良かったですか?」
――あ、私死んだわ。
「星良さん?!星良さんなんでぶっ倒れるんすか?!」
お風呂上り将人SSRは、破壊力抜群だった、とだけ心のメモ帳に記して置いた。
話は、冒頭に巻き戻る。
「きょ、今日は特別です!この時間に帰すのも悪いですし……泊まっていっていいですけど!!絶対にここから出ないでくださいね!!」
私が湯上がり将人を見て気絶して結局時刻が0時を過ぎてしまい、将人の家に泊めてもらえることになった。いや全然狙ってたとかじゃないからね!?
……いったい誰に弁明しているのだろう。
実際、あの出来事がなければこれは願ってもない展開。私はおそらく、嬉々として将人に襲い掛かったのだろう。
けれど、今は違う。
「なんにもしないって言ってるでしょ!だから添い寝してよ!」
「絶対に嫌です!!星良さんあんた僕が寝ている隙になんかしようとしてますね!!」
「いいじゃない!ケチ!先っちょだけ貸しなさいよ!!」
「なんか星良さんキャラ変わってませんかあ?!」
私から襲うのは、ダメだけど、将人が求めてくれたらセーフ!!
――まあ、冗談だけれどね。
今はこれくらいのやり取りができる方が気持ち良い。
反応も初心で可愛いしね。
「あ、そうだ将人。今度私のマグカップと歯ブラシ置いておいてもいい?」
「なんで当然のように住もうとしてるんですか!!絶対ダメですから!」
からかうのも、悪くない。
真っ赤になって反論してる将人が、笑っていてくれるから。
「はーっ、はーっ……!布団しきましたから、そこから一歩でも出たら警察呼びますからね……」
「来る前に全て終わらせましょう。大丈夫、私早い方だから」
「星良さん壊れちゃったよお!!」
心の底から、笑えている。
将人がこんなに笑顔なのも、もしかしたら初めて見たかもしれない。
ふと、目が覚めた。
もっと寝付けないかと思っていたのだけれど、色々あったこともあり疲れていたのか、自分でも驚くほどすぐに寝ることができたみたい。
そもそも手出す気がなかったのも大きいかしらね。
入念にバスタオルと長い棒のようなものでしきりをつくった先に、将人のあどけない寝顔。
あれだけ警戒していても、あんなに可愛い顔で寝ちゃうんだから可愛い奴。
窓から、月明かりが差し込んでいる。
あれだけ降っていた雨も、いつの間にか止んだよう。
夏の夜の静寂の中、すやすやと寝息を立てている将人の顔が月明かりに照らされて一枚の絵画のように見える。
思わず、笑みが零れた。
「――大好きよ。将人」
今はまだ、ちゃんとあなたに伝えることはできないけれど。
いつか隣に立てるくらい素敵な人になるからね。
「じゃあ、帰るわね」
返事はない。
将人は疲れていたようで、ぐっすりと眠っていた。
もう始発は動き出している。
あんまり遅くまでいても悪いし、私は早めに出ることに決めていた。
手を出さなかったことを褒めて欲しい。
私は我慢ができる女なんだ。
――将人には誓って手を出してないが、家にちょっとした悪戯を仕込んでおいたのは、内緒。
気付いた時に慌てる姿を想像して、笑ってしまう。
将人の家を出た。
先に帰る旨は、SNSで連絡をいれておく。
「そういえば」
一つ、思い出したことが合って、そのままスマホを操作する。
「もう、いらないわね」
アプリのメモ帳。
そこに書いてあったものを、私はなんのためらいもなく消した。
これはもう、必要ないものね。
完全に消去してから、スマホを鞄の中に放り込んだ。
歩き出しながら空を見れば、昨日の雨が嘘のように晴れ渡っている。
大きく、伸び。
この天気のように、私の心も晴れ渡っている。そんな感じ。
曲がり角の前まで来て、将人の家のある方向に振り返った。
「またね、将人」
――今日からまた始めよう。
――最愛の人の隣に胸を張って立てる、女になれるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます