ツンデレ系OLは、笑う
御伽噺のような純愛に、憧れていた。
思えば、幼い頃から私は恋愛というものに対して理想が高かった。
自分ならば、運命の人がどこかで出会ってくれる、どこかで現れてくれるとなんとなく思っていたから。
理想的な異性に、理想的な私が愛される。
素敵な人の隣で、素敵な私が笑っている。
なんて幸せな未来なのだろうか。
だからこそ、そうなるための自分磨きを私は欠かさなかった。
スクールカーストは常に上位のグループにいたし、勉強、運動、そしてコミュニケーション能力において苦手だと思ったことは一度もない。我ながら、上手くやってきた方だと思う。
別に誰かに褒められたかったわけでも、調子に乗っていたわけでもない。
私にとってこれらの努力は当然だっただけだ。
いつ好きになる人ができてもいいように。
好きな人に見せて恥ずかしくない自分でいれるように。
だからこそ、こんな世の中であるのにも関わらず異性に対する理想が高くなってしまったらしい。
自分から告白しようと思ったことが無い。それはそうだ。自分の理想に応えてくれる男がいなかったのだから。
それでもいつか、現れてくれると信じて私は努力を続けた。
いつの間にか高校生活が終わった。……でもまだ大丈夫。大学に入れば、きっと出会えるはず。
大学生活が始まった。周りに、徐々に彼氏ができ始めた。けれど、自分の理想に当てはまる男の人は現れない。
焦った。少し理想を高く持ち過ぎたと思った。
だから――焦って大学生活の最後に、散々な思いをさせられた。
思い出すのも反吐がでる、最悪の出来事。
そして今。
ようやく運命の人と思える異性に会えて。
「アフター、行きましょう?」
このどす黒く濁った感情をぶつける女は、あの頃憧れた理想的な私になれているのだろうか?
あの時憧れた私のように――笑えているのだろうか?
「……えっと……」
まさとが、俯いて言葉を濁す。
その仕草、一挙一動がいじらしい。
もう、我慢できなかった。以前、店の前で見せていたあの女の子とのやりとり。
私との時間の中で見た事がないような表情をしていたまさとを見て。
――形容し難いどす黒い感情が、私という容器に収まりきらなくなってどろどろと溢れだした。
もう、一刻の猶予もない。
そもそもがこんな良い男を世の女達が放っておくわけもなかった。
だから今日、決着をつける。
私という存在をまさとの中にはっきりと刻み込むんだ。絶対に忘れられないように。
まさとは押しに弱いことはわかっている。
もう一押しで、ころんとこの子は私の元に転がり込んでくる。
まさとを組み伏せる自分を妄想して――どうしようもなく身体が火照った。
黒い感情が、早くその身体を寄越せと言っている。
待ち切れずに、まさとの方向へ伸びている。
「ごめん、なさい」
……?
理解するのに、数秒を要した。
何故今ここで、謝罪の言葉が?
「ちょっと、それは、できないです、ほら、俺飲めませんし……」
ああ、なんだ。
そんなことか。そんなことなら全く問題がない。
「いいのよ。飲めなくても。そんなこと気にしたことなんてないわ。私はまさとと一緒にいられるだけで――」
「あの!」
まさとによって、私が腰に回していた手を解かれる。
繋いでいた右手もふりほどかれ、膝の上に手を戻された。
まさとが、私との間に人1人が入れるくらいの空間を空けて下がる。
え?
「ごめんなさい、ちょっと、今日の星良さん怖い、です」
――それは、明確な拒絶だった。
まさとは私に目を合わせない。
その様子は、私に対して怯えているようにも見えて――。
心が、急速に冷えていくのが分かった。
頭の上から、バケツに入った冷水を被せられたかのような、そんな気分。
「――ごめんなさい。ちょっと酔っぱらってたみたい。お手洗い行ってくるわね」
一瞬、声が出なかった。
足早に、お手洗いに向かう。
店内の喧騒も、BGMも、最早聞こえない。
お手洗いについて、扉をしっかりと閉めてから。
先ほどまでこの身を焦がしていた熱が瞬間的に消え去り、代わりに沸いてきたものを。
「うおぇ……ッ……!」
思い切り吐き出した。
ぐるぐると、感情が胃の中を巡る。
なんで?
なんでそんなことをいうの?
どうして私と距離をとるの?
『ごめんなさい』
まさとの瞳を思い出す。
あれは拒絶していた。
私という存在そのものを。
「かは……ッケホ……ぅぇ……」
吐き気が止まらなかった。
愛する人に拒絶されたという事実に。
愛してもらうつもりだった自分に。
そしてなにより。
あの瞬間、愛する人を一瞬だけ憎いと思った愚劣で浅ましい自分自身に。
冷え切った身体と心は、いっそ笑えてしまうほどに自分自身を客観視させてくれる。
「ははは……ゴミクズ以下ね」
醜い。あまりにも醜い。
友人達の言葉は当たっていた。
店員だから、まさとは優しくしてくれてたんだ。そんな当たり前で仮初の優しさに浮かれて。
愛してもらえると思いあがった。
なんて滑稽なんだろうか。自分に吐き気がする。
何度だって思ったはずだ。自分にまさとは似つかわしくないと。
それなのに、縋って、みっともなくしがみついて。
そして今日。女の浅ましい部分をまさとのまえで曝け出した。
救いようがないだろ。この女は。
私は、一つの結論に至った。
もうやめよう。
こんな下品で浅ましい女は、まさとと関わる価値が無い。
私がまさとの同級生だったら、どんな手を使ってでもこの女を排除するだろう。
それくらい有害で、汚らわしい。
だから、もう終わりにしよう。
そもそもが夢みたいな話だったのだ。この数か月は。
なかったことにしよう。
まさとは優しいから、これからもここに来れば相手にしてくれると思う。
けれど、それでは浅ましい私はまた思いあがる。
だから、さよなら。
それがいい。まさとの、ためにも。
忘れよう。諦めよう。
もう、まさとには一切――
『いらっしゃいませお嬢様、また来てくれたんですね』
『星良さんが優しい人なの、俺は知ってるんですから』
『いつもみたいに、星良さんの話聞くのは……結構好きなんです』
ぽろぽろと、大粒の何かが頬を伝って落ちた。
「嫌だ……嫌だよ……まさと……まさと……!」
どす黒い感情は、全て吐き出した後で。
瞳から零れるこの感情は、せめて少しでも綺麗なものになっているんだろうか。
まさとに謝罪して、お金だけ払って店を出た。
戸惑ったまさとが私を呼び止めたけど、関係ない。
もう二度と、会うことはないだろう。
泣き腫らしてしまったから、今の私はとても汚い顔だった。
まあ、今の私の状況にはお似合いか。
あてもなく、街を歩けば、駅の反対側にある公園にいつの間にかたどりついていて。
真っ暗な公園の道を、ただ街灯だけが照らしている。
「……結局、あの頃に戻っただけね」
この数か月が夢だっただけで。
これからはまた色のない生活が始まるだけ。
――ああ、みきさんになんて言おうか。
同級生達にも、あなたたちが合ってたわって言わなきゃいけないのか。
なにもかもがバカらしい。
自分が少しでも幸せになれるかもしれないと思ったことが。
愛されるかもしれないと思ったことが。
愛されないさ。こんな女は。
醜く嫉妬して、ただの客のくせに思いあがる。
愛される理由がない。
虚ろな目で、スマートフォンの写真フォルダを見た。
懐かしい、学生時代の、写真達。
いつか素敵な人が現れると信じて、努力していた日々を思い出す。
思わず、笑ってしまった。
「バカじゃないの」
これが笑わずにいられるか。
これが末路だ。みっともなく御伽噺に憧れていた女の。
画面を戻して、SNSを開く。
そこの連絡先のトップに、ピン止めされている名前。
《将人》
……持っていても、仕方がない。
ブロックしよう。そうすれば、まさとにもう害は及ばない。
タップして、ブロックすることができる画面まで来る。
画面には、【この連絡先をブロックしますか?】というシステムメッセージ。
うん。これが最適解なんだ。
まさとが幸せになってくれれば、それで。
――なのに。
なのになんで手が震える?
「はは……」
心のどこかで、諦められていない。
どこまでも愚かで、浅ましい女。
その時。
画面に水滴が落ちた。
上を向けば、真っ暗で淀んだ夜空から落ちてきている。
雨だ。
そう気づいた時にはもう、雨音が耳に入るほどに大きくなる。
連続した雨音が、連なっていく。
そういえば傘、持ってないや。
今歩いているのは、屋根もろくにない公園内の橋の途中。
横を見れば、池にも容赦なく雨が降り注いでいる。
でも、ちょうど良いかもしれない。
どうせ、生きてる価値なんてないんだ。
今ならこの大きくて、そこそこ深いこの池に飛び込んだって誰も気付きやしない。
死ぬか。いっそのこと。
そう思うだけ思って、その勇気さえないことに笑えて来る。
ただの構ってちゃんだ。これでは。
雨足が強くなる。
スーツも髪ももう、ぐしょぐしょだ。対して気にはならないが。
ポケットに突っ込んだスマートフォンが、振動していることに気付いた。
……誰だろうか。みきさん辺りかもしれない。
お店に私がいないことを不信がったとしたらあり得る。
別に電話に出る気にもなれなかった。
着信音がただただ鬱陶しい。
「星良さん!」
この場にあり得ない声がして、思わず振り返った。
息が、一瞬詰まる。
「ま……さ、と?」
私と同じように、雨に打たれてびしょ濡れのまさとが、すぐそこに立っていて。
この状況でせっかくの可愛いパーマが、台無しだとか思ってしまうあたり、私も大概頭がおかしいけれど。
まさとがゆっくりと近づいて来る。
理解が、追い付かない。
追い付いていないはずなのに、先に大粒の涙が私の瞳から零れて。
視界が歪んだ。
「ごめんなさい、星良さん」
「なん、で……」
「酷い事、したから。謝り、たくて」
まさとの、優しさと。
信じられない今の状況が重なって。
――一気に感情が、爆発した。
「違う!違う、違うのまさと!酷いのは私で!醜くて、謝らなきゃいけないのは私なの!」
私欲に溺れてストーカー紛いのことをして。
この身に溢れた情欲を、今日思い切りまさとに向けた。
愛されたいなどと、思いあがった。
「もう関わらないから!こんな女が近くにいたらだめだから!!!」
決めたんだ。
それがまさとにとっての幸せだから。
だから。
「だから私に――優しく、しないでッ……!」
私の慟哭が、雨音に反射して公園に響いた。
少し、間があって。
「星良さんって、ツンデレですよね」
ようやく投げかけられた言葉は、本当に理解ができなかった。
「なに、いって……」
「わかってます。これが、よくないことかもしれないって。本当は、こんなことしちゃいけないってなんとなく最近わかったんです」
「なら――!」
「でも、無理なんですよ」
ゆっくりと、まさとがその顔を上げて。
正面から、私の顔を見る。
いつもと変わらない、柔和で、優しい笑み。
「俺、星良さんのこと嫌いになれそうにないんです」
――ああ。
そうだった。
私はこの笑みに、救われたんだ。
雨と涙でぐちゃぐちゃになった顔を、見られたくなくて。
思い切り、まさとに抱き着いた。
「バカ……ばかばかばか!!!大馬鹿よあんた!!」
「……はい。俺、ばかなんです」
「本当にバカだよ……こんな女なんか放っておけばいいだけじゃない……!」
雨が、私の心を洗い流す。
どす黒く、醜い感情が、雨と涙で流れていく。
ぎゅっと、まさとの背中を強く抱きしめた。
「また、お店行っていいの……?」
「はい、待ってます」
「また、デートしてくれるの?」
「この前食べたパスタ、美味しかったですもんね」
「また……嫉妬しちゃうかもよ?」
「ほどほどで、お願いします」
びしょ濡れの髪を、まさとが撫でてくれる。
不思議な感覚だった。
嬉しくて、幸せで。
今までの自分の人生が、初めて報われた気がして。
ちょっとだけ、顔を離して、愛しい人の顔を見た。
素直な気持ちは言えそうにない。
というか、やっぱり私にまだその資格はない。
薄汚れてしまった私には、まさとは眩しすぎるから。
……けど。少しずつ歩み寄ってもいいのだろうか。
またあの時のように、素敵な人の隣に立てる努力をしてもいいのだろうか。
それなら。もう一度頑張ってみようかな。
……だから、今は。本当の気持ちは言わないままで。
ちょっとだけ、見栄を張って。
「バカ。将人のことなんて全然好きじゃないんだから」
私はとても久しぶりに。
心の底から笑えた気がした。
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