バスケ部JCの、想いは



 「勝負しましょう。将人兄さん」


 

 夕焼けをバックに、由佳は俺にそう言った。

 優しく微笑む彼女の表情が年相応に見えなくて一瞬息を呑む。


 いかんいかん、相手は女子中学生なんだ。

 女子中学生相手に「綺麗だな」っていう感想は流石にキモすぎる。


 俺は邪念を振り払って、由佳と向き合った。


 「勝負って……1on1するのか?」


 「はい」


 1対1の勝負。それはいつも由佳とやっていることではあるし……そして一応、負けたことは無い。

 というか流石に女子中学生には負けられない。プライド的にも。

 ……今日の活躍見てると、ホント近いうちに負けそうだなとは思うが。


 「けれど、一発勝負です。オフェンスとディフェンス1回ずつやって、差がついたら終わり、でどうでしょう」


 「……なるほどな」


 いつもは5点先取とかで行っている1on1を、一発勝負にしてきた。

 確かにこれなら由佳にも勝ち目はあるだろう。シュートというのはどれだけ上手いプレイヤーであっても100%入るということはあり得ない。つまり、試行回数が少なければ少ないほど、成績はブレる。


 それに……手の内は大体知っているけれど、由佳にもし隠し玉があるとして。

 それを初見で対応できるかはわからない。


 だが、もし仮に点を取られても、こっちの点数が防がれることは想像しにくい。

 なんといっても身長が絶対のこのスポーツで、その利がこちらにあるのだから。


 「いいよ。時間もないし、準備できたらやろうか」


 「1つ」


 コートに入った俺の目の前に、由佳がぴん、と人差し指を立てた。


 「負けた方は、勝った方のお願いを1つ聞く。と、いうのはどうでしょうか」


 ……やけに自信満々だな。こりゃなにか隠し玉があると思った方が良さそうだ。


 「……いいよ。受けて立とう」


 お願い、お願いか。勝ったら由佳に何をお願いしよう。

 モーニングコール助かったから今度からもしてもらおうかな。朝起きれないんだよね、俺。


 由佳からボールを受け取って、俺は軽くアップ。

 

 「試合終わりで疲れてるんだから、無理すんなよ~!前みたいにコケてもしらないからな!」


 「……!」


 由佳が驚いたように固まる。

 ん?なんか変なこと言ったか?


 「覚えてるん、ですね」


 「え、いやそりゃそれくらい覚えてるよ。そんな前の話だっけ?」


 確か一緒にバスケし始めてすぐくらいだから……3ヶ月くらい前か?


 「ふふふ……」


 「な、なんだよ」


 「いや、嬉しいなって思って!」


 満面の笑みの由佳。

 な、なんだ?この子こんなに大人びた笑いする子だったか……?


 幼くて可愛い顔立ちなのに、思わずドキッとしてしまった。

 あかんあかん。この子は中学1年生。余裕で犯罪なんだワ。


 











 軽くアップを終え、いよいよ勝負を始める。

 そっか。この場所で勝負できるのは、最後かもしれないな。

 そう思うと、少し感慨深い。


 由佳も、準備ができたようだ。


 「じゃあ、始めましょう。先攻後攻はどうしますか?」


 「いつも通り、由佳が決めて良いぜ」


 「では、先攻で行かせてもらいます」


 オフェンスの後先は、由佳がいつも決めている。

 大して有利不利は出ないけど、これくらいの決定権は向こうにあって然るべきだろう。


 由佳からバウンドでボールを受け取って、俺がその場に何度かボールをついた。

 このボールを由佳に返した瞬間。勝負は始まる。


 由佳を見れば、目を閉じて少しだけ集中していた。

 ……そんなに真剣なの?ま、まあいい事だけど……。


 これは俺も真剣にやらないと失礼だな。


 ボールをバウンドパスで返したと同時――俺は由佳に対してディフェンスの姿勢をとった。

 腰は低く。相手の進路を塞ぐ大きな構え。

 体格差もある。相手が普通であれば、まず負けない勝負。


 けれどこの子は――。


 

 「――行きます」



 普通じゃない。



 まずは挨拶代わりのその場シュートフェイク。

 これは流石に釣られない。一発勝負でこの距離からのシュートに託すほど由佳は外からの成功率が高いわけじゃない。

 いや、女子中学生にしてはあり得ないくらい高いけど。


 嬉しいことに、由佳は俺のスタイルに憧れている節がある。

 俺のプレースタイルは、もちろん外も打つことはあるけれど、中に切れ込んで相手のディフェンスを攪乱するスタイル。

 だからこの場面で選ぶのは当然。


 「ふっ――!」


 ドライブだ!


 切れ味鋭いチェンジオブペースのクロスオーバー。

 由佳と同じ中学生であればきっと誰もついてこれやしない。


 俺も中学生の時であればとてもじゃないがついていけなかっただろう。


 でも、俺はその速さを何度も見てきたから知っている。


 由佳の進行方向の正面に回り込んだ。

 このまま突っ込んできたらオフェンスファウルになるところまで。


 「まだ――」


 するとすぐに次の手に出てくる。

 ロール。

 反対方向に勢いそのまま回る技術。これも、俺と練習している内に完全に自分のものにした技術。


 本当に、末恐ろしい。


 だけどそれも、俺が教えたものだ。


 「知ってるよ!」


 これも回り込む。体格差があるから、一歩の大きさにももちろん差が出る。

 だから、追い付ける。スポーツにおいて体格差が大きすぎる要素になる所以。


 

 「――ですよね」


 

 そして由佳もまた、俺がロールに対応できることを知っていた。

 ロールを途中でやめ、背中側でドリブルを入れてから少し後方へ下がるステップ。

 

 どう考えても中学1年生の技術じゃない。思わず笑えてくる。


 ――その瞬間。俺との距離をとった由佳が、片足で跳んだ。


 (悪いな!そこなら届くぜ由佳!)


 跳んだらもうこの1on1において選択肢は1つだけ。シュートだ。

 確かに後方へのステップで俺との距離はできたが、ここからでも届く。身長差があるから。


 

 そう、思った。


 

 しかし俺の伸ばした手は――空を切った。




 「うっそだろおい――」



 由佳は、片手で、ボールを上空へ放り投げていた。


 ――オーバーハンドのフローターショット。


 プロの世界でも使われる、相手のブロックをかわすためのシュート。

 

 俺でも届かないように、由佳は弾道を変えた。

 一度も見たことが無かった。


 高い放物線を描いたボールはそのまま――リングに吸い込まれた。



 「これで、先制ですね、将人兄さん」


 「おいおい嘘だろ……」


 してやったりと笑う彼女に、俺は鳥肌が止まらなかった。


 由佳の身長は、中学1年生にしてはかなり大きい方だ。

 それは、中学3年生と比較しても、だ。


 ということはつまり、由佳は別に高いブロックをかわす方法なんて考えなくていいはずなんだ。


 なのに、今のシュートはあまりにも打ち慣れている。

 

 日頃から、練習している。


 それはつまり――。



 「将人兄さんに勝つために、練習しました」


 「正気かよ……!」


 俺が見ていない、部活とかその他の時間で、練習したのか、このシュートを。


 そ、そんなに俺からこの場所取り上げたかったの……?


 

 「ほら、将人兄さんのオフェンスですよ」


 「お、おう……」

 

 いつになく不敵な笑みの由佳に若干たじろきつつ、俺はスタート位置に戻る。


 大丈夫、ここまでは一応想定内だ。

 由佳のことだから、オフェンスで何かしらの隠し玉があることはわかっていた。


 けれど、ディフェンスはそうはいかない。

 オフェンスは水物だが、ディフェンスはそうではない。


 俺は本気で点数をとろうと思った時に、由佳にブロックされたりスティールされたことはない。

 由佳には悪いが……そうあっさり負けるわけにはいかないからね。


 由佳にボールを渡す。

 これが返ってきたら、俺のオフェンスがスタートだ。


 「ねえ、将人兄さん」


 「……ん?」


 由佳がボールを何度か地面につきながら、俺の目を見てきた。

 まっすぐな、翡翠の瞳。

 吸い込まれそうになる、純粋な視線。


 

 「将人兄さん、怪我、してますよね」


 由佳から出た発言に、思わずぎょっとした。


 「……なんで、そう思うんだ?」


 「何度も何度も将人兄さんのプレーを見てきたから、わかります。右ひじか右肩、ですよね」


 「……」


 「今バスケを――というかスポーツをやってないのって、それが理由なんですか?」


 「……どうだかな」


 由佳の指摘は、図星だった。

 俺は右ひじを壊している。生活に支障はないし、別に交通事故とかそういう暗い話じゃない。とあるスポーツのやりすぎだった。

 

 「私、まだ将人兄さんのこと、全然知りません。今のこともそうだし、過去とかも」


 少しだけ寂しそうに、由佳はそう言った。

 そしてパシっと、ボールを両手で持ってから。


 「もっと――知りたいです。将人兄さんのこと」


 「……!」


 それはあまりに純粋で、その上目遣いに、不覚にもドキッとしてしまう。


 ど、どうなってんだ?!俺ロリコンに目覚めちまったのか?!


 「し、勝負が終わったらな!」


 今は集中だ!この精神攻撃ももしかして狙ってるのか?

 だとしたら由佳はいつのまにかとんでもない悪女になってしまったのかもしれない……。


 「はい。これが終わったら……たくさん、たくさん教えてくださいね」


 ボールが、バウンドパスで渡される。

 俺のオフェンスだ。


 もう勝ったかのようなその物言い……改めさせてやんないとな!

 

 由佳がぴったりとついてきた。

 文句のつけようのない隙のないディフェンス。


 シュートフェイクを入れる。

 由佳はしっかりついてきた。

 そりゃそうだ。俺の外の確率も知っていて、もし入ったらせっかくリードした展開が振り出し。

 その可能性を排除したいに決まってる。俺がディフェンスしてた時とは、まるで逆。


 だから、少しだけの隙が生まれる――!


 迷わず切れ込んだ、左へのドライブ。

 俺は左手でのドリブルスキルにも自信があった。

 右が怪我していることがバレたって、なんの問題もない。


 だが由佳も少し遅れたもののついてくる。

 ゴールまでの進路はそう簡単に進ませてくれない。


 けど、これだけリングに近付ければ十分だ。


 ボールを両手で掴んで、ターンしながらフェイダウェイで決められ――。




 「そこですっ!」


 

 両手でボールを持った瞬間。


 由佳が伸ばしてきた右手が、俺の持っていたボールを正確に弾いた。

 


 「将人兄さんは右手を怪我してる。だから、両手でボールを持つ時に、若干シュートフォームに移行するのが遅れてます!」


 「うっそだろ……!」


 俺の頭の上に、弾かれたボールが浮く。

 スローモーションになる世界。

 このボールをとらなければ、俺の負けだ。


 フェイダウェイを打とうとしていたのもあって、俺の体勢は後ろ体重。

 俺は頭上に浮いたボールを再びとろうとして――。






 「ダメです」



 

 

 それすらも、由佳の右手に弾かれた。


 ボールは無情にも後方へ。


 ……俺の負け、か。


 思い切りボールを弾くために、必死になった由佳が俺の上にのしかかるようになってきている。


 なす術もなく、俺は後方に仰向けで倒れ込んだ。


 由佳が上になって、俺と同時に倒れ込む。


 ドタッという音と共に、背中に衝撃。

 

 てん、てん、と。

 後方にボールが転がる音だけが響いた。




















 衝撃に耐えるために閉じていた目を開けると。


 目の前に、由佳の顔があった。


 それも。





 あまりに近すぎる場所に。





 唇に、感触。






 え――?




 理解した時には、もう遅かった。




 ゆっくりと、由佳の顔が離れる。






 「ッはぁ……」





 「おま、なにして――」







 俺が下になって、上には、真っ赤な夕日と。

 頬が上気した、由佳の幼くて……それでいて整った、綺麗な、顔。







 「――嫌です」


 「え――?」



 「妹じゃ、嫌です」


 「……!」



 

 


 大きな心臓の音が、聞こえてきた。


 これは、由佳の心臓の音?それとも――。











 「今は、無理なのわかってます。けど――意識、してください。妹じゃなくて、一人の女の子として。それが、私のお願いです」


 「そ……れは」


 「ダメですか?こんなちっちゃい……中学生じゃ、ダメですか?」



 

 いつも見慣れた、可愛い由佳の顔。

 なのに、なんでこんなにも、妖艶で、蠱惑的に感じるのか。




 俺は思わず、右手で顔を隠した。待って、今顔赤くてクソダサいかも――。





 「ダメです」


 「ちょ――」



 由佳がその右手を、強引に解いて地面に強く抑えつけた。力、強すぎ……!

 



 「んっ……!」




 もう一度、由佳の顔が目の前に。


 もう言い逃れようもない。

 強引で、それでいてどこか――希うような、優しいキス。






 「……!」


 「どう、ですか?これでも、ダメですか?」






 

 由佳の顔は、真っ赤だった。

 



 「大好きなんです。もう抑えきれないんです!……今は、無理でもいいですから……!妹じゃなくて……ちゃんと……ちゃんと女の子として見てください」


 





 そう言い放った由佳の涙混じりの満面の笑みは。






 俺の心をかき乱すのに十分すぎる威力を持っていて。



 激しく鳴り続ける心臓の音。

 火照った身体が、運動によるものなのか、今の状況によるものなのかわからない。


 

 死ぬほど恥ずかしくなって、なんとか顔を見せないように横を向いても、無理やり正面を見させられて。

 表情も隠せない。

 もう両手は、完全に由佳の両手によって制圧されている。





 「ねえ、将人兄さん」





 もう由佳の顔しか――見られない。






 「――もっとしてもいいですか?」












 その時の由佳の興奮しきった表情を見て俺はようやく気付いた。







 どちらが今“上”にいるのか。






 

 その後数十分――俺は身をもってわからされるのだった。





 




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