元気っ娘JDは運命を知る




 私の十数年の人生で、こんなに一つの物事に悩むことは無かった。


 将人がボーイズバーで働いているという事実を知ってから、私は恋海と顔を合わせる度に変な汗が出るようになってしまった。……親友を裏切っているという事実が、私の背中に冷たい何かを突き立てているような、そんな感覚。


 それくらいの秘密、なんでもないじゃないかと思うかもしれないが、相手は恋海の想い人なのだ。

 きっと真に恋海の親友なら、教えてあげるべきだと思う。


 だけど……私は言わなかった。理由なんてハッキリわかってる。

 私もまた、将人に惹かれてしまっているから。

 彼の優しさに触れて、どうしようもなく心を動かされてしまっているから。


 今は恋海への申し訳なさと、運命の人という存在があってなんとかバランスを保っているけど……正直、かなり心はしんどい。


 

 今日は将人と恋海の3人で海に来ているけれど、どんな気持ちで2人といればいいのか、わからなくなってる。

 なるべく、将人と恋海を2人にしてあげようと思って行動するんだけど、その度に心が締め付けられる。


 私を好きになって欲しいって、思っちゃってる。

 


 ……こんな状態で、もし2人が付き合うことになりましたって言われて、私は笑って祝福できるんだろうか。


 

 「おぼっ?!」


 そんな精神状態で海なんかに入るから。 

 私はバランスを崩して海中に身を投げ出してしまう。大丈夫、足はつくはずと、懸命に足を伸ばしても、地面に一向につく気配がない。意外と深いところまで来てしまっていて体勢が立て直せなくて。


 ああ、なにしてるんだろ私。


 そう思ったその瞬間。


 浮遊感。

 足と背中を固定されて、私は海面に顔を出すことができた。



 「だから言ったろ!ちゃんと準備運動しろって」


 ……あぁ、どうしてこうなってしまうんだろう。

 

 「あ……えっと……ごめん」


 身体が熱い。

 背中と足に回された手。将人の心配そうな顔。


 どれもが、私の感情をぐちゃぐちゃにする要素になる。


 好きになっちゃいけない人。

 そう、わかっているのに。


 ゆっくりと、砂浜に優しく降ろされて。


 ちらり、と将人の方を見れば。


 将人が髪をかきあげていた。

 前髪をかき上げた髪型も、よく似合う――。


 「え……」


 そのシルエットに、見覚えがあった。


 いつだろう。思い出せない。

 でも、すごく大事なことのような――。


 「どうしたみずほ」


 「……んーん、なんでもない!将人ありがと!」


 お礼も言えないようじゃ、ダメダメだ。

 心に残った違和感を、私は無理やり追い出した。


 

 

 


 


 





 

 恋海と2人で、ビーチボールを使って遊んでいる途中。

 私が海の方へ飛んで行ったボールを回収して戻ってくると、恋海がうずくまっていた。


 「恋海?!どうしたの?」


 「ごめん……ちょっとめまいが……」


 顔が赤い。熱中症だろうか。

 私はすぐに恋海に肩を貸して、将人のいるパラソルの元へ。

 日陰に恋海を下ろして、寝ている将人に声をかけた。


 起こすのは忍びないけれど、緊急事態だし、仕方ない。


 跳び起きた将人が、恋海を心配する。

 そしてすぐに……恋海を背負った。


 「みずほ、ちょっとここ見ておいてくれ。俺は恋海連れて先に旅館の部屋に寝かせるから」


 「う、うんわかった!」


 将人が、遠ざかっていく。

 

 

 ズキン、と。心が痛んだ。


 

 背負われた恋海が一瞬、嬉しそうだったこと。

 

 そうだ。私はあくまでおまけで。

 あの2人の恋を成就させてあげるために来たんだった。


 そんな立場も忘れて、なにをはしゃいでいたんだろうか。


 心が痛む。

 私は友達の分際で、一体何を期待しているんだろう。



 











 恋海を寝かせて戻ってきた将人に、私はびっくりした。

 てっきり、恋海の看病をするものだと思っていたから。


 「大丈夫なの?恋海は。いいんだよ私もすぐ戻るから」


 「いや、いいんだ。恋海も今は落ち着いているし、むしろ恋海からお願いされたんだ。みずほと遊んできてって」


 「……!」


 恋海は……私のことも気遣ってくれている。

 なのに……なのに私は。


 恋海を、裏切ってしまっているのではないか?








 


 夕暮れの海辺を、2人で歩く。

 私は、砂浜の少し上にある防波堤を、両手を広げてバランスをとりながら歩いていた。


 「にしても将人はカッコ良いね!あんなぱっと恋海背負っちゃうんだから!」


 「いやあれが一番恋海に負担ないだろ……」


 「そうは言うけどさ!やっぱりあれ?バーで働いてると女の子に優しくできる的な?」


 「それはあんま関係ないんじゃないかな~」


 わかってる。

 あれが将人っていう男の子が持ってる、本来の優しさであること。


 そしてそれが……恋海という女の子に向けられたものであること。


 安定した足場の方へぴょんと跳んで。


 私は将人に問いかける。


 「ねえ、将人」


 「ん?」


 「私が恋海の立場だったらさ……私も背負ってくれた?」


 

 ……これを聞いて、なんて答えて欲しいんだろう。

 わかってる。優しい将人はきっと背負ってくれるのだろうということは。


 そんな事実確認よりも、私は将人の意識を私に向けたかった。


 私の事を……少しでも考えて欲しかった。


 「……そりゃそうだろ。その……友達だしな」


 「……えへへ。ありがと」


 友達、という言葉に反応したことは、おくびにも出さない。

 

 友達、か。そうだよね。


 将人にとって私は友達でしかなくて……当然なんだよね。



 なのにどうしてこんなに――心が痛むんだろう。














 パラソルの元に戻ってきた。


 夕日はもう水平線の向こうに消えようとしている。


 あの日が沈んでしまったら、私と将人の時間は終わる。

 得られたのは、将人が私の事を友達としてしか見ていないという事実だけ。


 笑っちゃうよね。


 鞄からタオルを取り出そうとして……丁寧に畳んだ、運命の人からもらったハンカチが目に入った。


 なんとなく、それを取り出して広げてみる。


 

 『あ、このハンカチは別に返さなくていいから。じゃ!』


 

 あの時の胸の高鳴りは、きっと嘘じゃない。

 今でも鮮明に思い出せる。

 ……あの人の顔は、一向に思い出せないと言うのに。


 



 私が、ボーっとそのハンカチを眺めていた時。




 運命というものは、いつだって突然やってくるんだ。








 「それ俺のハンカチじゃん」





 「――え?」








 至って普通の口調で。


 なんの脈絡もなく。






 

 「最近見ないなと思ってたんだよね!俺のハンカチローテーションの一角なんだけど、どこにやっちゃったか覚えてなくってさ」


 「……」





 ――嘘、だ。






 「嘘だよね?」


 「え?いや嘘じゃないと思うけど……うん。これやっぱそんなあるデザインじゃないし……」









 え、待ってよ。ダメだよ。


 理解したくないのに、私の脳は1つの結論を導き出す。


 それは、ダメだ。


 だって、じゃあ、あれが、あれが。









 『大丈夫ですか?コンタクトですよね。一緒に探します』






 あれが、将人で。


 将人が、で。








 『ブスじゃねえ。可愛いだろみずほちゃんは』




 あの時も。



 『無理しなくていい。辛い時は、辛いって言っていい。俺は……まだみずほちゃんと会ってほんの数時間しか、一緒にいないけどさ、みずほちゃんが明るく振舞おうとしてるのはわかってるから。でも、辛い時まで無理する必要ないよ。あんなこと言われて、傷つかない人なんて、いないんだから』




 あの時もあの時も――!!





 『待って!みずほ!!……みずほ、一回待って、一回話そう?』




 今日だって――





 『だから言ったろ!ちゃんと準備運動しろって』





 



 ――全部。



 片里将人運命の人で。
















 「……ッ!!」


 私は、駆け出していた。




 「みずほ?!」



 

 意味わかんない。


 意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんないよ!!!!


 運命の人は、将人で、最初から、あの時から将人で。



 わかりたくない。わかりたくないのにわかる。



 今にして思えば、全部。全部納得がいく。


 優しくしてくれたのも、将人という人を知れば知るほど理解できる。


 昼間髪型に見覚えがあったのも、きっとあの時のもので。


 バーに運命の人はいたんだ。最初から。

 あの時足を踏み入れた瞬間に、んだ。





 

 「みずほ!!ちょっと待ってって―――うわあ?!」



 「え……!?」




 振り返った私が見たのは、追いかけてきた将人が防波堤の上から砂浜に落っこちる姿だった。



 


 


























 「とりあえず、外傷はありますが重症ではありません。このまま寝かせておいてあげれば、明日には回復するでしょう」


 「よ、よかった~……」


 旅館の寝室で。

 意識が無かった将人の姿に慌てに慌てた私は恋海に連絡して、旅館の方々の協力もあって将人を寝室へ運ぶことに成功。

 旅館の担当医?の方が診てくださって、とりあえず私は落ち着いている。


 将人も、今は寝ているだけのようだ。


 「では、これで失礼します」


 「あ、ありがとうございました……」


 お医者さんが出て行って。


 私と恋海だけがその場に残される。



 「なにがあったの?みずほ」


 「……」


 何も、答えられない。

 恋海に、なんて説明していいかわからない。


 運命の人が、将人だったなんて……言えない。




 「……今日は、休もうか。色々あったし。明日また、話聞くよ」


 「……うん」



 今は恋海の優しさに、甘えるしかなかった。









 

 











 夜。


 私は結局将人の寝室で彼に大事がないかを、ずっと見ていた。


 ぐっすりと、寝ている将人。

 優しくて……素敵な、運命の人。



 胸が、高鳴るのがわかる。



 ――もう、こうなってしまったら止まれない。


 わずかに均衡を保っていた私の心は、一瞬で崩壊した。


 この気持ちを、止める枷は外れてしまった。



 だって、そうだよ。

 恋海に紹介される前から、私は将人に会っていて。


 だから、これは悪くない。

 私は、悪くないんだ。


 ぐるぐると、私の心の中で感情が暴れ出す。

 もう我慢なんてする必要ない。譲るなんて、もってのほかだ。




 すう、すう、と将人の胸が呼吸に合わせて上下する。


 それがどうしてか、色っぽい。


 暴れ出した感情は、私にとって初めてで。

 こんなにも抑えがきかないなんて、知らなくて。



 魔が差してしまう。


 将人のその顔。その身体に触れたくて。



 頭を、撫でてみた。


 頬を、撫でてみた。



 どうしようもない高揚感。甘い痺れるような感覚。


 今は、何したって、良いのではないか?

 我慢に我慢を重ねたんだ。今日くらいは、私が良い思いをしたって誰も――怒らない。咎めない。


 運命の神様は、この瞬間を私にくれたんだ。



 整った将人の顔を、もう一度眺める。

 

 キス……は、意識があるときにしたい。

 初めては、やっぱり素敵なものにしたいから。


 ふと次に、首元に目が行く。


 今日落ちた時だろうか。首元に赤い傷が残っている。

 せっかくの将人の綺麗な身体に、傷が。




 ぞく、と背中に何かが走った。

 それは、私の中に生まれた甘い欲望。

 



 この傷を、『戸ノ崎みずほ』という存在で上書きしたいという願望。





 止まれなかった。



 どく、どくと心臓が強く鳴っている。

 


 この綺麗な首元に、この人の運命の人は私であるという証明をしたい。


 深く。強く。刻み込みたい。



 私という存在を。


 誰にも、渡さないように。


 







 近づく。首元に。


 口を、あてがおうとする。


 

 どく、どく。


 もう、すぐそこに将人の首がある。


 ここに、私の、戸ノ崎みずほのを。


 

 



 今なら、誰も――。



























 「なに――してるの?」






















 ――ぴしり。



 何かに亀裂が入った音がした。

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