ツンデレ系OLは止まれない



 私が『Festa』に初めて行ってから、1ヶ月が経った。

 

 今日は金曜日。

 最近新しく買ったお気に入りの腕時計で時間を確認する。あと少し。あと少しで終業。

 

 胸が高鳴るのを抑えられない。

 少し前まで、死んだように働いて、帰って寝るだけだった生活が、もう嘘のようだ。

 

 もう一度腕時計を見やる。

 ぴったり、秒針が12の数字と重なった。


 


 「お疲れ様ですお先に失礼します!」


 私は終業時刻ピッタリに迷わず打刻し、会社を後にする。

 今の私なら世界を狙えるかもしれない。


 そんな風になった私の後ろで、帰り際、オフィスの方の話し声が聞こえた。


 「望月さん最近帰るの鬼早くない?しかも金曜日だけ」


 「もしかして男できた?」


 「え、マジ?」


 ま、まあ?半分できたようなもんよね()

 別に噂でなにを言われようとかまわない。

 すぐに外に出る。


 まさと君が、私を待ってるから。

 

 最近はそれだけで生きる活力が芽生えた。

 ただただ怠惰だった休日は自身の女磨きの時間になり、仕事の時間も、まさと君に会うお金のためだと思えば苦でもなんでもなかった。

 むしろもっとお金欲しい。



 今まさにるんるん気分で例のお店へ向かおうとした、その時。


 「星良ちゃん!」


 後ろから、呼び止められる。

 


 「……みきさん」


 それは私の先輩の、みきさんだった。

 みきさんももう鞄を持って帰る支度をして、私を追ってきた様子。

 私が世界最速を目指したせいか、みきさんも大慌てだ。



 ようやく私が止まったからか、ホッと胸をなでおろしたみきさんは無言で私に近づいてくる。


 え、なんか私仕事でやらかしたかな……。


 みきさんはそのまま無言で私の隣まで来て……ガッ、と肩を組まれた。



 「行くんでしょ、“宴”に」


 「うっ……」


 宴、とはあのお店、『Festa』のことだった。

 仲間内だけで意味が通り、そして上司他にボーイズバーに行っていることをバレないように生まれた隠語。

 どこの文化だ。


 けれど、みきさんの指摘は図星だった。

 私はもちろん行こうとしてるからね。


 内緒で行こうとしていたことがバレて、怒られるかも……と思ったその時。

 みきさんがそっと耳打ちする。


 

 「私も連れてって♡」


 

 ……そういうのはお気に入りのボーイさんにやって欲しい(切実)。





 






 











 

 軽いスキップで進むみきさん。Festaでのみきさんのうかれようを見るに、みきさんも相当あのボーイに入れ込んでいるのだろう。お金は大丈夫なんだろうか。


 (まあ私も全然人のこと言えないんだけど……)


 ハッキリ言えば、私だってバリバリスキップしたい。

 彼に今から会えると思ったら、正直テンションは上がりまくりだ。


 初めて彼に会ったあの日から、私は欠かさず毎週あの場所に足を運んでいる。

 当たり前だ。彼は私の天使なんだから。


 無邪気な笑顔、表情豊かで、そのどんな表情も似合う彼。

 彼以上の男なんて、多分この世に存在しない。


 元カレが本当にゴミ以下に見えてしまっても、仕方がない。

 まあ比べるのもおこがましい話なんだけどね。


 そんなこんな考えていたら、いつの間にかお店の前まで着いていた。

 今日も看板の主張が激しい。


 前を進むみきさんは、もう目がらんらんと輝いている。


 

 「さあ行くよ?夢の世界に……!」


 「そ、そうですね……」


 

 もうかれこれ来るのも5回目だが、未だに入る前は緊張する。

 

 雰囲気に慣れないのだ。

 まあそれも、彼と話し始めたら全てを忘れられるのだが。


 





 「いらっしゃいませ、お嬢様……ってみきじゃん!また来てくれたんだねえ~」


 「ふふ……そんなよそよそしいこと言わないでよゆうせー。昨日行くからって、言ったじゃん」


 あー始まったわー。


 既に距離感ゼロでみきさんが推しのボーイにアタックしている。

 こういうところはもはや尊敬する。私にはとてもじゃないができない。

 嫌われるリスクの方が圧倒的に怖いから。


 いちゃいちゃしていた2人を虚無の瞳で見つめていると、ボーイさんがひょい、とこちらを向いた。


 「そっちのお嬢様は……まさとでいいのかな?」


 「……ッ!」


 は、把握されてる……!

 めちゃくちゃ恥ずかしい。もう私はこの店でまさと君を指名する女として定着してしまったのだろうか……。


 ……ん?なんかそれはそれで良い気がしてきた。つまりは公認ってことでしょ?()


 お願いします、と伝えると、ボーイさんは笑顔で答えてくれた。

 みきさんがこれだけハマる人だから、きっと良い人なんだろう。

 まあ、私はまさと君一筋だけど。


 

 ソファの席に通されて、私とみきさんが少し離れて座る。

 

 「みきさん……昨日仕事ですよね?仕事帰り来たんですか?」


 「え?来てないよ?流石の私でも翌日仕事の日にはなかなかねー……」


 「え?でもさっき昨日言ったでしょって……」


 みきさんは推しのボーイに確かに、『昨日言ったじゃん』と言っていた。

 それの意味することはつまり、みきさんは昨日もこの店にきていたのだと思い込んでいたのだけど……。


 「ちっちっち……あー、これあんまり大きな声でいっちゃだめなやつかなあ?うーん、困っちゃうなあ~どうしよっかなあ~~でも愛する後輩だしなあ~~~」


 ……あれこの先輩こんなにうざかったっけ???

 めちゃくちゃ言いたいけど聞かれるのを待ってるくねくねとした動きが、妙に私を苛立たせた。いや基本良い人だし好きだけど!!


 みきさんは私に耳打ちするために、身体を私の方へと寄せる。



 「実は……連絡先、もらっちゃった♡」


 「……!?!?」


 れ、連絡先……?!


 てへぺろ!と舌を出すみきさんに、私は驚愕する。


 だって、ズルい。

 そんなのズルすぎるじゃないか。


 もうそれはお店ではなく、プライベート。

 仕事の時間ではないのに、推しと話せるということに他ならない。


 私だって、まさと君と……!




 「こんばんは、また来てくれたんですね」


 

 ビシッ、と身体が固まる。

 この心を溶かすような声。間違えるはずが無い。


 視線をおそるおそる上げれば、そこには天使のような笑みを浮かべたまさと君。

 ……あっ、今日はノータイなんだ、それもそれで良い……。


 じゃ、なかった!


 「た、たまたま時間が空いたのよ……」


 全然たまたまじゃないけど、バリバリ終業ダッシュぶちかましてきたけど、こう言うしかない。

 だって、毎日君のことを考えて、君に会うために今日も終業RTAして来ましたとか言ったらキモすぎる。

 だから私は、たまたま、偶然を装う。

 そうじゃないと、私の心の壁が決壊しそうだから。


 と、その時。


 「まさとく~ん!星良ったらまさとくんにぞっこんだからさwww相手してあげてねw」


 とんでもないことを言う先輩のせいで全てを台無しにされかける。


 「ちょっとみきさん!!」


 みきさんの方を見れば、もう既に顔が赤い。

 お酒回るの早すぎるでしょ!!


 ここは軌道修正しないと……!


 「コホン……え、えっとね、ほんと、たまたまだから。先輩に誘われて、仕方なく。それで、私はあなたと話すのが一番マシだから、呼んだの。わかる?」


 よし、悪くない。今日はみきさんがいるし、理由も通ってる。

 完璧だ。


 「ははは……ありがとうございます。聞くことくらいしかできない奴ですが、僕も星良さんの話聞くのは結構好きなので」


 「……ッ!」


 こ、この……!

 あまりの可愛さに、脳が焼かれそうになる。

 正直その笑顔で瞬殺されるところだった。


 「あ、あなたね……誰にでもそういうこと言ってるんでしょ?」


 「え?……いえ……僕のこと指名する変わった人なんて、星良さんくらいですよ……?」


 私くらい……そうか、私くらいなのか。

 それはとっても都合が良いことなんだけれど、世の女は本当に見る目が無い。

 どう考えたってまさと君はこの世で一番良い男なのに。

 


 「そ、そう。それならいいわ。そうよね。あなたはいつまでもそういてほしいもの」


 けど逆に、その良さに気付いてほしくない私もいる。

 浅ましくも、この笑顔を独占したいと思ってしまっている。


 付き合ってもない。ただ店で接客してもらってるだけの女なのに。



 ……あれ、なんか自分で言ってて泣きたくなってきたな……。

 

 そして、さっきのみきさんの言葉を思い出す。



 『連絡先……もらっちゃった♡』


 

 ……もし。もし私もまさと君の連絡先をもらえたなら。

 もう天にも昇るような気持ちになれることは間違いないだろう。


 けど、それと同時に、もし断られたら来週一週間を生き抜ける自信が無い。

 というか多分無理。














 それから2時間ほど。

 いつものようにまさと君は天使で、会話が最高に楽しい。

 至福の時間だった。


 途中店員さんが4回くらい「チェンジなさいますか?」って聞いてきたけど全部延長を選んだ。

 だってまさと君以外に興味が無いから。


 しかし、楽しい時間というのは悲しいことにあっという間で。


 「星良~~!帰るよ~!!いつまでまさとくんといちゃいちゃしてんの!ほら!!」


 どうやらもう時間になってしまったらしい。


 ……っていちゃいちゃ?!いちゃいちゃはしてないから!!

 したいけど!!!



 「は、はー-?!?いちゃいちゃしてないし!全然そんなんじゃないし!こんな、ひょろひょろの……ひょろひょろの……」


 ヤバイ。悪口を言おうと思ったのに、なにも浮かんでこない。

 とっさにすらっとしたスタイルをひょろひょろというちょっとバカにした言い方に変換できた私を褒めて欲しい。

 これで精いっぱいだ。

 


 「はいはい。僕はひょろひょろですよ。また来てくださいね」


 彼に、手を取られる。

 あー無理好きだ。大好き。

 

 手を取られただけで、こんなにもドキドキする。


 お酒も相まって、身体が熱い。

  

 カウンターまで行って、みきさんが支払いをしている間も、ずっとまさと君は手を握ってくれていた。



 ……今なら。

 今ならお酒のせいにして、ちょっと甘えても、いいかな。


 思い切って、まさと君に体重を預けてみた。

 

 心臓の鼓動がうるさい。

 鼻腔をくすぐる、まさと君の甘い香り。


 身体全てが、まさと君に染められるような、そんな感覚。


 「……星良さん?」


 名前を呼ばれた。 

 心地よい声音。


 けれど、今は顔を見せることができない。


 こんなだらしない顔を、彼になんて見せられない。


 だから、下を向いたまま。



 「……ダメだから」


 「……え?」


 「私以外の指名、受けちゃダメだから……」


 わがままだって、わかってる。

 お店で働いている以上、指名されたら接客する。


 けど、私以外の女にまさと君が接客しているところを想像するだけで、胸が苦しくなる。


 「大丈夫ですよ。俺、金曜しか入ってないですし」


 「……そう」


 「その金曜は、こうして星良さんがちゃんと指名してくれますし」


 「……そう」


 ズルい。

 そんなこと言われたら、金曜日は毎週来なくちゃいけない。


 まあ……頼まれなくても、行く、けど。













 めちゃくちゃまだいたかったけど、渋々お店を出て。

 お店が見えなくなるくらいのところまで来てから、私とみきさんは一旦ベンチに腰を下ろした。

 ああ、本当に今日も今日とてまさと君は天使……いや神だった。



 

 「こおら星良!なーに人がお金払ってる後ろでいちゃいちゃしとるんじゃああああ!!」


 「え、えええ?!み、みみてたんですか?!」


 「……ダメだから(うるうる)」


 「ああああああああああああ!!!忘れろ!!!今すぐ!!!!!」



 恥ずかしすぎる!!!

 正直初めてこの店来た時みきさんの言動に引いてたのに、もう全く持って人のことを笑えない。


 けらけらと笑うみきさん。


 「いやあ最高だったね……さて、帰るか……って言いたいんだけど、ちょっとお腹すいたし、ご飯食べてから帰らない?」


 「良い、ですよ。そうしましょうか」


 

 最近、ようやく人生が少し楽しい。

 それはもちろんまさと君の存在が大きいけれど。


 こうして気にかけてくれる先輩のおかげも大きかった。







 








 

 「じゃ、お疲れ~!また月曜日ね!」


 「はい、お疲れ様でした!」


 みきさんと私は別方向。

 少しだけご飯を食べて帰るつもりが、だいぶ遅くなってしまった。

 もうとっくに日付が変わっている。


 「さて……」


 私の家はここから電車で2駅ほど。

 そう遠い距離じゃない。


 今日の余韻を楽しみながら、駅のホームに向かおうとした。



 その時だった。





 「……え」




 思わず、絶句する。


 視線の先。




 酔いつぶれた人達をかきわけて、一人歩く少年。




 どう見たって間違いなく……まさと君だった。

 私が見間違えるはずがない。

 私服姿の、まさと君。




 急に心拍数が上がる。

 もうすぐ終電の時間。これを逃したら、私はタクシーで帰るほかない。


 だというのに。

 私の足は自然と彼を追いかけていた。


 追いかけて、しまっていた。


 





















 どうしようどうしようどうしよう。

 気付けば駅近くの公園を過ぎて、住宅街に入っている。


 視線の先には、まさと君。


 やっていることはほとんど犯罪だ。


 (ダメなのに……ダメなのに……っ!)


 わかってる。これが悪い事だって。

 絶対にやっちゃいけないことだってわかっているのに。


 うるさく鳴り出した心臓と、熱を訴えてくる頭が止まってくれない。


 

 

 まさと君が、公園から出て少し歩いたところのアパートで止まった。

 おそらくは、あれが――。



 「……ッ!!」


 

 まさと君の方を覗き込もうとしたその瞬間。

 まさと君が一瞬こちらを振り返った。


 (見られた?見られた?)

 

 もしまさと君がこちらに来て、警察を呼ばれたら私は社会的に終わる。

 なんの弁解の余地もない。


 ストーカーだ、これは。


 バクン、バクン、と鳴り続ける心臓を抑えつけて、恐る恐る、本当に恐る恐るもう一度様子を見る。


 すると、どうやらまさと君は家に入ったようだった。



 「はーーっ……!」


 ずるずると、その場にしゃがみ込む。

 前々から汚い女だとは自覚していたが、ここまでとは思わなかった。


 罪悪感を身体全体に感じながらも、足は止まらない。


 ゆっくりとアパートに近づいていって……その部屋の前まで来てしまう。



 (片里……片里って言うんだ、まさと君)


 震える手で、スマホのメモ帳を開く。

 涙が出てきた。

 自分の信じられないほどのクズ人間さに涙が止まらなかった。


 けれど。

 身体は勝手に、住所をメモしてしまう。

 

 (なんにも使わない!物とか送りつけない!なんにも、なんにもしない!)


 じゃあなんでメモしているのか。

 わからない。

 

 こんなの、一発でアウトだ。


 

 その時……まさと君の部屋から物音が聞こえてきた。

 その物音は……シャワーの音だとすぐにわかった。






 「はは……ははははは……」



 またずるずると、身体が崩れる。

 力無く、私はその場に崩れ落ちた。


 メモし終えたスマホをスーツのポケットに突っ込んで。


 私は涙を流した。


 こんな状況なのに。

 まさと君が一枚壁を挟んだところでシャワーを浴びている。



 


 それだけで私は……どうしようもなく興奮していた。

 本当に、救いようのない変態。




 それが分かって私は、ようやく自覚した。


 いや、ともすれば、もうあの瞬間からわかっていたのかもしれない。












 「ねえ、私壊れちゃったよ、まさと君」














 もうこの想いは、止まれない。







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