ツンデレ系OLは目撃する




 「……はぁ……」


 最近は、ため息ばかりが出る。

 今日は水曜日。週の真ん中、折り返し。木曜日や金曜日はあと少しだし頑張ろうと思えるのだが、やっぱりこの水曜日あたりが社会人は憂鬱になりがち。

 共感してくれる人も多いんじゃないかなと思う。

 

 「星良どしたのー?最近はやる気に満ち溢れてたのに」


 「みきさん……」


 最近呼び捨てで呼んでくれるようにまで仲良くなった先輩のみきさん。

 職場ではできる先輩として同期の皆からも信頼されている。……まあ職場ではね……私もそう思うよ……。


 彼女の知りたくなかった一面を知ってしまったからか、変な目で見てしまうけど、やっぱりみきさんは良い人だ。


 「まあでも上司もうるさいし、週の真ん中ってやる気でないよね~」


 「そう、ですね……」


 私がここまで落ち込んでいる理由はそこではないのだが……。もちろん言えるはずもない。


 「ま、ほら、週末はまた“宴”、行こ?」


 「……はい」


 ズキリ、と胸が痛む。

 優しさでそう声をかけてくれたのはわかっているが、今私にその単語はキツかった。

 笑顔で他の社員に声をかけにいくみきさんを見送って、私はスマホを開く。


 周りに誰もいないのを確認して……アプリのメモ帳を開いた。


 そこには、『片里』という名字と……住所。


 (最低だ……犯罪だってわかってるのに……)


 ――あの日。

 まさと君を見つけて、家までストーカーをしてしまったあの日。

 あの日から私の心の中にずっしりと重い何かが巣くっている。


 住所を特定して、何がしたかったのだろうか。

 結局あの後の土日は上の空で……スマホに書いた住所を見ながら特になにもしなかった。


 消そうとももちろん思った。

 

 こんな犯罪行為で得た情報なんかすぐさま消し去って、また明るい顔でまさと君に会えばいい。

 そう思った。

 あんなにいい子なんだ。ちょっと「実はこの前帰るとき公園の方に行くまさと君っぽい人見えたんだけど家そっちのほうなの?」とか聞けば答えてくれそうだし。

 

 けれど……できなかった。


 私の中の醜い部分がこの情報を放したくないとしがみついた。

 初めて知った個人情報。


 今まではただの店員と常連客で、それ以上でも以下でもない。というより、それ以上にはなれない存在。

 実名すら知らず、好きなんですなんて周りに言った日には可哀想な目で見られるのがオチ。


 ……その現状を、変えてくれるかもしれないと思ってしまった。

 

 偶然を装って。

 どこかのタイミングで、彼のプライベートで会えたら。


 そう思ったら、胸が高揚してしまった。

 どうしようもないクズ。

 けど、すがるしかなかった。


 この今の関係を、細く細く、歯牙にもかけられないようなこの状況を打開して、天使のような彼に近づくためには。

 禁忌に触れるしかない。そう思ってしまったのだ。


 

 「……はぁ」


 またため息が出た。

 結局、何にも使えていない。今のところは。


 消せもしないくせに、何かを実行に移すこともない。

 どうしようもないクズなのに、その上臆病。


 本当に、救いようがない。



 「ま~たため息ついてる!」


 「ひゃい?!」


 「ど、どうしたのそんな慌てて」


 いつの間にかこっちに戻ってきていたみきさん。

 今スマホの画面を見られたら、私の人生が終わる!


 とっさに画面を隠した。


 「流石の私でもスマホ勝手に見たりしないよ~。なになに、男?」

 

 「ち、違います……」


 「え、じゃあなにまさと君の写真集でも買ったの?!」


 「どういうことですかそれ……」


 なんだバーのボーイの写真集て。

 そんなものがあるのだろうか。


 ……とりあえずメモ帳の中身はバレなかったから良しとする。

 

 この様子だと、みきさんは金曜日またあのバーに行く予定なのだろう。

 当然私も誘われる……と思う。


 どんな顔して、まさと君に会えば良いのだろうか。

 変に顔に出したら怪しまれそうだし……。かといって今いつも通り彼と会えるかと言われたら自信が無い。

 

 そんな風にもやもやしていると、みきさんが私を不思議そうな顔で見た後、自分のデスクに戻ろうとしたので、とりあえず気になったことだけ聞いておく。いや一応確認ね。

 社会人の基本は連絡確認相談だから。




 「ちなみにまさと君の写真集っていくらで売ってるんですか?」


 「いや知らんわ」





 




 

 

















 

 

 「ったくなんで私だけ残業なのよあの上司……」


 結局、なんやかんや理由をつけさせられて部署で唯一私だけ残業を命じられ、帰路につく。

 ささっと終わらせたからそこまで遅い時間にこそならなかったが、無駄な労力を要してしまった。


 「今日は早く帰ってゲームして寝よ……」


 腕時計を見る。時刻は19時を指していた。

 夏が近づいてきた季節とはいえ、19時となればもうだいぶ暗い。

 だというのに駅前は街灯と施設の明かりで光源にはまったく困っていなかった。


 (そーいえば化粧水と乳液買おうと思ってたんだった……)


 駅の近くまで来て、化粧品の類がそろそろ切れそうになっていることを思い出す。

 幸い、駅前に大き目のドラッグストアがあるので、そこで買おう。


 そう思い、進路を少しだけ変えて、ドラッグストアに向かう。


 スマホを閉じて、顔を上げた。



 ――その時だった。






 

 

 「……ぇ」







 ドラッグストアの、目の前。

 多くの人が駅に向かうその雑踏の中。


 一人の男の子が、マスクをした女の子に、ハンカチを手渡していた。


 それだけ見れば、カップルか何かかと思うだけなのだが。

 男の子は見慣れた制服姿で。


 髪型こそいつもと違うが、想いを寄せる私の目はごまかせない。



 「まさと、くん……?」



 声が出た。

 もちろん届くはずのない声量。駅前の喧騒に、容易にかき消されるほどの声量。


 それでも、私は開いた口がそのままふさがらなかった。


 女の子にもちろん見覚えはない。

 その女の子は、泣いているように見えた。


 

 物語の一部に出会ったような気分になった。




 周りの音も人も世界から消えて、2人だけが鮮明に頭に残る。

 

 まるで、そう。


 王子様と、お姫様が出会ったシーン。王子様のやさしさに触れて、お姫様の心が溶かされるシーン。














 え、私は?














 黒い感情が、暴れ出した。


 この出会いを、場外で見ているだけの私は、誰?

 


 メインヒロインとの出会いを見て、ただ嫉妬するだけの、モブ?

 ヒーローの男の子に一方的に惚れて、読者から、邪魔なだけと言われる、脇役?


 





 ――嫌。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。




 私が。私が私が私が私が!!!!


 私がまさと君と――!!!







 「……ぉぇ」



 気持ち悪くなって、膝に手をついた。

 最近こんな汚い感情に振り回されてばっかり。


 だけど、だけど譲りたくない。

 暴れ出した心臓の付近をぎゅっと握って、そのまま呆けている女の子を見る。


 マスクをしていた。

 顔は涙でボロボロで……髪も荒れていて、服も這いつくばっていたのかところどころ汚れている。

 正直、可愛いとは到底思えない状態。



 

 (こんな子なら私でも――!)


 

 「……ぉえ、ケホッケホッ……!」



 私でもいいじゃない!!そう思ったと同時、自分のゴミさ加減に吐き気がした。

 醜い。本当に醜い。


 ヒロインに嫉妬するモブ。

 その立ち位置が相応しいクズっぷり。


 よろよろと震える足に鞭打って、私はまさと君の後を追った。

 明日が仕事とか、買い物のこととか、もう私にはどうでも良かった。

 


 











 私がお店について、受付に入ると、初めて見る店員さんが応対してくれた。


 「ようこそ、お嬢様。初めてのお嬢様ですか?」


 「いえ……」


 「そうでしたか!ご指名等は、ありますか?」


 「……まさと君を」


 「……ああ!もしかして、まさとをよく指名してくださるお嬢様ですね!」


 ああ。こんなことで。

 こんなことで私の心は癒される。


 この店では、私だけがまさと君の専用なんだと思うだけで、歓喜に心が打ち震えた。


 「はい。そうです」


 「お嬢様運が良いですね!まさと今日は本当は入らないはずだったんですけど、たまたま入ってるんです。ちょっと時間かかりますので、お待ち下さい。私が案内させていただきますね」


 たまたまじゃないけれど。

 それを言ったら引かれるのは間違いないので、黙ってついていく。


 席に通されて、お酒用のグラスが置かれた。


 

 勢いで来てしまったが、何を言えばいいんだろう。

 さっき会ってた女の子は誰?

 いや、そんな聞き方をしたら見ていたのがバレてしまう。


 彼女はいるの?

 ……基本的にお店の性質上いるとしてもいないと言われそうではあるが、万が一にいると言われてしまったら、私が何をするかわからない。やめよう。


 結局考えがまとまらないまま座っていると、彼が来た。


 オールバックにした髪型も似合っている。

 純朴な彼と強気なイメージのオールバックがギャップを演出していてドキっとする。



 「星良さん、こんばんは。また来てくれたんですね」


 「……ええ」


 やっぱり、さっきのは彼だった。億が一の確率で私の見間違えかもしれないと思ったが、やはりそんなことはなかった。

 私がまさと君を見間違えるはずがないもの。


 「でも驚きました。星良さん金曜日しか来てないって言ってたので」


 「……外で、このお店に入っていくあなたが見えたから……」


 半分嘘。外で見てたのは、もっと前だ。

 あなたが、女の子に優しくしていた時から……。


 黒い感情が、再び顔を出した。



 「あ、なるほど!ちょっと買い物してたんです!今日は接客予定なかったので制服で!恥ずかしいんですよね意外と……」


 買い物しただけ?違うよね?女の子と、何かしてたよね?あの女の子は誰?

 なんで教えてくれないの?


 ぐつぐつと煮えるように感情が沸き上がる。

 醜い自分が、抑えられない。


 

 「……いいんですよ。ここでは何も隠さず、言いたいこと言ってくれて。俺は星良さんに何があったのかわからないすけど……いつもみたいに、星良さんの話聞くのは……結構好きなんです」


 「……ッ!」


 煮えたぎっていた感情が、彼のやさしさによって冷まされていく。

 それと同時に――自分がストーカーをしたという事実が私の感情を狂わせた。


 こんな優しい彼に、醜く嫉妬して、ストーカーまでして。

 本当に最低な奴だと、再認識してしまって。



 「ごめん……なさい……」


 私、こんな情緒不安定だったっけ。

 

 涙を、堪えられなかった。


 

 「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!私……!」


 あなたを、ストーカーしたんです。

 今日のことも、見ちゃったんです。


 言えない。

 嫌いになられたら死んでしまうから。


 言えない。



 背中を、さすられる。



 「大丈夫です。なにがあったのか……俺にはわからないですけど……星良さんはきっと悪くないです。良い人っすもん。星良さん」



 ぶわっと。

 自分の中で感情が加速する。


 やってはいけないことをやってしまったという後悔と。

 どうしようもないほど好きなんだという好意が、混ざり合って爆発する。


 私は、彼に体重を預けた。


 今だけは、甘えさせて。



 「大丈夫です。星良さん。星良さんが優しい人なの、俺は知ってるんですから」


 「……ごめん……ね……!私……最低な女だ……!」


 

 ああ。最低だ。

 本当に最低。



 だって今。


 脳内に一つの答えが出てしまったから。


 救いようのない、身勝手な答え。











 まさと君が悪いんだ……。

 私をこんなに惚れさせて狂わせたあなたが。


 


 

 

 

 










 

 ああ、嫌になる。

 どうしようもないほど自分勝手な責任転嫁でまさと君のせいにして。



 


 彼の背中側に、腕を回して。

 引き寄せて、繋ぎ止める。


 

 脳が甘美に震えた。

 今私にあるのは、まさと君を自分のものにしてぐちゃぐちゃにしたいという征服欲だけ。


 ぐっと、力をこめて彼を抱き締める。


 そうだ、先に謝っておかなくちゃね。


 ごめんね、まさと君。






 


 



 絶対に、放してなんかあげないから。






















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