28

 鳴神秀(ナルカミシュウ)。

 俺が私立探偵をやっていた頃に名乗っていた名前だ。使っていたのはほんの2~3年ほどしかない。

 そしてその頃の俺を「秀」と呼ぶのはたった一人しかいない。すなわち――。

「蘇芳……純夜(スオウ・ジュンヤ)……。」

「アタリのようだな。

 まさかこんな所で再会できるなんて思ってなかったぜ、秀。」

 俺は、その言葉を聞き終わるが早いか、脱兎のごとく駆けだそうとした。

しかし純夜はそれを予測していたのか、ベンチから腰を浮かしかけた俺を止めるようにして、目の前に立ち塞がった。 

「待てよ。お前を捕まえるつもりはないんだ。」

 逆光の位置から純夜が移動した事で、その顔がやっとハッキリと見えるようになった。

 細面で彫りが深く、妙に自信に満ち溢れた三白眼。右の口角だけが少し上がるその笑み。

 あの頃より少し痩せたようだが、間違いない。こいつは蘇芳純夜だ。

 そしてどうやら純夜は、俺達の間にある因縁を忘れてはいなかったようだ。……だからこそ、“捕まえるつもりはない”という言葉がまったく信用できないわけだが。

「……本当か?」

 俺は素直に疑いの言葉を口にした。もちろん、いつでも逃げ出す事ができるように、純夜の一挙手一投足に注意を配ったままで。

「あぁ。だが、組のやつらはまだお前のことを諦めちゃいねえ。まぁさすがに、あの頃ほど熱心じゃないけどな。だけどうっかり外を出歩いてると、見つかっちまうかもしれねえぞ?」

「お前が連絡を取ってるかもしれないだろ。たとえば、その右手だ。ポケットに突っ込んだままの。スマホか何か入ってれば、連絡取れるよな?」

「ははっ。お前、ずいぶんと疑り深い性格になっちまったなぁ。」

「だとしたら、お前のせいだ。」

「ふっ。ちがいねぇ。」

 純夜は右ポケットの内側を外に引っ張り出して見せた。さらに右手を俺の目の前でひらひらさせる。何も持ってないぞ、というアピールだ。

「ま、信じろって方が無理だろうけどな。オレのやった事を思えば。」

 そう言って、純夜は苦笑いを浮かべた。どうやら多少の罪の意識くらいはあったようだ。

「……分かったよ。今だけは信じてやる。」

 ため息交じりにそう言って、俺はベンチに座り直した。その隣に純夜も座ってくる。

 しかし隣に座った割には何かを話し出す様子はない。

 せっかくの機会なので、俺はずっと抱いていた疑問をぶつけてみる事にした。

「で、純夜。お前、俺を “売った”後、どうしてたんだ?」

 ……その瞬間、純夜の顔が露骨に引きつった。さらには「あ~」とか「う~」とか言いながら頭をガシガシと掻き始め、しまいには舌打ちを連発する始末だ。

「はぁ……。お前、マジで性格悪くなったぞ。昔はもうちょい素直な奴だったのに。」

「お前はあんまり変わらないように見えるな。相変わらず軽薄そうだ。」

「うるせえよ。くそっ、まぁいいか、教えてやるよ。

 ……とは言っても、いったいなにから話したもんだか。」

 ぶつぶつと呟きながら、純夜は難しい顔を浮かべた。

 

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