12
午後1時13分。バイクを降りて研究所の入口に向かうと、そこにはいつものようにミラが立っていた。だが今日は白衣ではなく、いつものパンツスーツのようだ。……とまぁそんな事よりも、俺には納得がいかないというか、腹が立っているというか、とにかく今めちゃくちゃ不満に思っている事があった。
奇遇な事に、不満に思っていたのはミラも同じだったようである。
「午後1時の約束だったはずよ。14分の遅刻に対して、弁明を求めるわ。」
「この端末、調子悪いぞ。これまで迷ったことなんかなかったのに。」
小言を言うミラに対して、俺は持っていた位置確認用の端末を突き出してやった。
俺の予定では12時50分にはここに着いているはずだったのだ。もしもこの端末が完全に壊れてしまっていたら、俺は森の中で迷い続けた挙句、遭難していたかもしれない。
しかし、ミラは端末をしばらく操作すると眉をひそめてみせた。
「変ね。どこも調子悪くなんてないわ。」
「は? マジかよ。」
「別に遅刻したからと言って怒りはしないのよ?」
「あのな。わざわざ嘘つく必要がどこにあるんだよ。あと、1時に来るだなんて約束をした覚えはねーよ。
……まぁいいか、壊れていないんだったらそれでいい。返してくれ。」
ミラは俺に端末を返した後も、不満そうな表情を浮かべていた。どうやらまだ疑っているようだ。
「ほら、行くぞ。」
俺たちは順番にセンサーの前に立った。重なったリングの光がボディチェックをしていく。俺は何でもない表情を装っていたが、隠し持った拳銃の事がバレやしないかと内心ヒヤヒヤだった。まぁ、これまでにも金属類やライターをスルーしてきたセンサーだ。結局は何事もなく研究所の中に入る事が出来た。
研究室の中に入ると、ジジイが相変わらずニタニタと馬鹿みたいな笑みを浮かべていた。
「よしゃ、来たな。ケーキ食うか?」
「いらねぇよ。」
「まぁそう言わずにたまには食え。ほれ。」
そう言ってジジイは、ケーキの乗った皿を強引に押し付けてきた。そして自分は自分で、皿に乗った一切れのケーキをフォークを使って口に運んでいく。いつもならホールケーキを手づかみで食べるくせに、今日はどこか様子が変だ。
変と言えば、この研究室の中も変だった。いつもならその辺に散らかっているはずのケーキの箱がない。生クリームの甘ったるい匂いもだいぶ薄れている。書類までもが綺麗に整えられていて、まるで違う部屋に来てしまったような錯覚を起こしてしまう。
だが今の俺にとってそんな事は些細な事だ。俺はケーキをさっさと食べ切ってしまうと、皿を作業台の上に置いた。
「さぁジジイ。早速聞かせてくれるよな? あの報告書について。」
「報告書……? あぁ、欠落したページが多かったことか。気を悪ぅせんでくれよ。どうせお前さんに見せたって分からんだろうから、必要な所だけ抜き出してミラに持たせたんじゃ。」
「そんなことはどうだっていいんだよ。俺が知りたいのは、俺の今後についてだ。あんたの返答次第じゃ、俺はこの仕事を降りるぜ。」
「ふむ……。」
ジジイは黙り込んでしまった。
俺は回答を得られるまでここに居座るつもりでいる。それこそ何時間でも、何日でも。
だが――。
「あの研究は、終わりじゃ。」
ジジイは実にあっけらかんと言い放った。俺は思わず「は?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
「あれはこの世にあったらいかんものじゃ。だから破棄することにした。」
「い、いいのかよ? 長年続けてきた研究だったんじゃないのか……?」
「うんにゃ。ありゃあ元々の研究とはまったく別の代物じゃよ。事故のせいで偶然得られた、の。ワシがお前さんの体を調べていたのは、研究のためと言うよりも、むしろ安全確認のようなものだったんじゃ。」
「……安全確認……?」
言葉の意味がいまいち理解できず、今度は俺が黙り込んでしまった。
「まあ、ざっくりと言えばお前さんの能力の範囲を見極めることじゃの。どんな時でも発現するものなのか? 負の感情の大小は能力の発動に関係があるのか? どんな刺激でも対象に届くのか? 対象の数は? 例えば複数人に対して一度に効果が現れるものなのか? 切り離された部位を使った場合は? 被検体の意識の有無や体調は影響を及ぼすか? それらを含む諸々の検査の結果が、あれじゃ。ワシが想定していたレベルを遥かに超えていたわぃ。」
ジジイはヒョッヒョッと笑うと、誰も求めていないのに勝手に解説を始めた。嬉しそうに早口でまくし立てていく。挙句の果てには何かの単位や専門用語らしきものまで現れてきて、もはや何が何だかさっぱりだった。対応に困った俺はミラの方を見てみたが、ミラは特に何をするわけでもなく、ただ壁に背中を預けて状況を眺めているだけだった。
(まるで興味なし、か……。)
その様を見て、俺は不意に心が締め付けられる思いがした。
……いや……?
それだけではなかった。なんとなく、心だけでなく体までもが締め付けられて、手足に意識が行き届かないような気がする。……そうこうしているうちに呼吸まで苦しくなってきた。これは……どういうことだ?
「とまぁ、そういうわけでな。分かった?」
「う、く……。」
俺はとうとう立っている事が出来なくなって、片膝をついてしまった。ジジイはそんな俺の様子を見てにんまりと笑みを浮かべ、言った。
「もう一回、言おう。あの研究は抹消じゃ。そして――。
お前さんにも、死んでもらわねばならん。」
「なっ、んだと……?!」
まさか……と、俺が驚いている隙に、ジジイは素早く机の引き出しから拳銃を取り出して、その銃口を俺へと向けた!
「悪かったと思っておるよ。あの時、ワシがお前さんをスカウトしなければ、こんなことにはならなんだ。」
俺は罵りの言葉を口にしようとした。だが、舌まで痺れているのか、口から出るのは苦しく漏れる息だけだ。
「そうそう、さっきのケーキに痺れ薬を盛っておいたんじゃ。即効性がある代わりに5分も持たん代物なんじゃが、それだけあれば充分充分。」
ジジイが笑いながら俺に近づいてくる。
俺は自分の浅はかさを呪った。少し考えれば、あのケーキが何かの罠だという事くらいは分かるはずだった。もしかすると、心のどこかでこのクソったれなジジイを信用していたのかもしれない……、そう思うと腹が立って仕方がなかった。それにせっかく持ってきた拳銃だって、これでは使いようがない。
「すまんの。勿論、ワシも後を追ってやるから。」
カチリと撃鉄を起こす音が鳴る。ジジイの指がトリガーに掛かっていく様が嫌にゆっくりと見えてしまって、思わず目を閉じてしまう。
(ダメだ……!)
銃声が、鳴り響いた。
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