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 街の光が、右へ右へと流れていく。助手席のウィンドウを全開にして、酒で少し火照った顔を風で冷ましながら、俺はとっくに見慣れたはずのこの街を新鮮な気分で眺めていた。

 隣ではミラが、いつも通りの涼しげな表情で運転をしている。まさか本当にアルコールが抜けてるのか? まぁ、どちらにしても彼女の表情だけでは分からない。ただその運転ぶりは確かで、実に丁寧なものだった。……もしこれでまだ酔ってるんだとしたら、逆に恐ろしい話ではある。

 車の中は静かだった。音楽はおろかラジオもついていない。外はいまだ喧騒の最中だと言うのに、この車の中だけまるで別世界みたいだった。

 俺は思い切ってミラに聞いてみる事にした。さも何でもない会話であるかのように、ウィンドウの外に目をやりながら。

「なぁ、ミラ。お前、いつからジジイの所にいるんだ? 研究所に来る前はどんなことをやってたんだ?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「え? う、うーん。ただ、気になっただけだよ。」

 思わずうろたえてしまった俺に対して、ミラは珍しく、考え込む素振りを見せた。その顔を横目で見て、俺はウィンドウを閉めた。何となく外の喧騒が邪魔な気がしたからだ。

 ミラは、特に何も話し出すことなくそのまま車を走らせた。俺はしばらく前を見ていたが、そのうちまた景色の流れに目を向け始めた。

 やがて車は赤信号に引っかかった。

「……私には……」

「ん?」

「……私には昔の記憶がないわ。気が付いたら博士の所で働いていた。3年ほど前の事よ。」

 まさかの告白に、俺は思わず言葉を失ってしまった。

 何か特殊な事情があったんだろうとは思っていた。しかし、記憶をなくしていたとは……。

 だけど、何となく腑に落ちた部分もあった。

 そういうミラだからこそ、あの研究所で働くのにはうってつけだったのかもしれない、と。 

 ミラは俺の方をチラリと見た。

「これでいい?」

  まるで、“隠している事は他にもありますよ。”と言っているような、そんな気がした。しかしそれ以上に、その言葉があまりにもアッサリとし過ぎていて、どうにもやるせない気分になってしまった。

「……お前、それでいいのか? たとえば、昔の記憶を取り戻したいとか思わないのか?」

「興味ないわ。私は今しか見ていない。過去なんてどうでもいいわ。それに、未来も。」

 信号が青に変わり、車は再び走り始めた。

 これ以上、なにも追及する言葉が見つからなかった。

 こいつとモルモット生活をしている俺。状況だけを見れば、俺達はやっぱり似ていたのだ。

 ただ少なくともひとつだけハッキリと違うと言えるのは、俺は少なくとも、未来への希望は捨てちゃいないという事だ。

 そのためにも、俺には確認しないといけない事がある。


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