24
午後5時。太陽はすでに沈み始め、遠くに見える山のてっぺんと重なりつつあった。窓越しに見る茜空は、少しずつ少しずつその明度を落として、静けさが増していく。
居間のちゃぶ台の前に座っている俺は、タバコを一本取り出して火をつけた。気を落ち着かせようとしてゆっくりと煙を吐き出すと、心臓の音がハッキリと聞こえてくるのが分かった。その急いた鼓動を抑えようとして、タバコのペースは早まっていく。
(冷静になれ……。)
心にそう言い聞かせながら、ひたすらに紫煙をくゆらせ続け……。階段を上がる音が聞こえてくる頃には、小さな白い陶器の灰皿いっぱいに吸い殻が積もっていた。
ガチャ……。入口の扉が開く音がする。
「今帰ったわ。」
「……おかえり。」
座ったままで応える。
ミラは紙袋をひとつ手にしていた。中に何が入っているのかは分からないが、冷蔵庫の中にしまい込んだ所を見ると、手伝いに行ったばあさんの家でまた何かもらってきたのかもしれない。
「夕飯を作るわ。」
そう言って台所に立ったミラを俺は制した。
「昨日のカレーがまだ少し残ってるし、それをチンすりゃいいさ。それよりこっちに来てくれないか。話があるんだ。」
ミラはチラリと俺の方を見ると、身につけようとしていたエプロンをハンガーに戻して、俺のいる居間へと入ってきた。
「なにかしら。」
そう言いながら、俺の対面へと座る。
……こうして改めて真正面から見ると、ホントにいい女だと思う。以前と比べてあの鋭かった眼差しが少し柔らかくなったように見えるが、それでも……。
決意したつもりだったのに、心が揺らいでしまう。逃げたくなる。こんな話なんてしないで、忘れたことにして、こうしてこのまま2人で暮らしていけたら……。そんな事を思ってしまう。
だけど、やはり聞かなきゃならない。
俺は息をひとつ吐いて、言った。
「……ジジイのことだ。」
そう言った瞬間、ミラが表情を曇らせた。感情をあまり表に出さないこの女が、ハッキリとだ。
センシティブな所を突いている自覚はあるが、それでも俺は言葉を続けた。
「なぁ……。なんでお前は、ジジイが死んだって事を知ったんだ? あの日、いったい何があったんだ?」
ミラは俺の追及から逃れようとしたのか、顔を横にそむけた。タイミングよく、耳にかかっていた彼女の前髪がはらりと崩れて、その表情を伺いづらくさせてしまう。
「まだ……一週間は経っていないわ……。」
ミラは呻くようにして言葉を絞り出した。俺はその声を聞いて、胸を抉られた思いがした。しかしもうダメだ。もう踏み出してしまったんだ。
俺は努めて冷静に言葉を返す。いや、既にもう冷静では……。
「あと2日が足らないか?」
「…………。」
「あと2日経てばどうなるんだ? お前の気持ちが落ち着くのか? ……それとも、何かが起こるのか?」
「…………。」
「答えられないか……?」
「……とにかく、あと2日待って。」
ミラは立ち上がり、俺に背を向けた。そして、まるで話はこれで終わりだと言わんばかりに台所の方へ逃げようとした。
「山の中で、なにしてたんだ?」
ミラの肩がピクリと跳ねた。それと共に足も止まり、その場で直立の状態になってしまう。
俺はそんなミラの背中に向けて、さらに追い打ちをかけた。
「それに、山から出てきた車だ。お前と何か関係があるんだろ?」
「……それは……言えないわ……。」
どうやら、核心をついたようだ。
ミラはただ体を小刻みに震わせているばかりで、それ以上何も言おうとはしない。
俺はミラのその様子を、やるせない思いで見ていた。するとそのやるせなさは次第に悔しさを生み出し、さらには失望や恐怖や怒りまでをも呼び起こし、そうしてそれらの感情は腹の底でないまぜになってドス黒い凶暴な何かとなり、ついに俺の中で暴れまわり始めてしまった。
もう、限界だった。
「……答えを言ってやろうか。あれは研究所から来た車で、お前はそれと接触したんだ。そうやってジジイの死を知ったんだ。違うか⁉」
「…………。」
ミラは無言のまま、ただ立ち尽くしている。その姿が、俺の中の激情をさらに駆り立てていく。
「なんで否定しないんだ……!
やっぱり、そういう事だったのか? 今までのこの時間は、全部嘘だったってのか?
……お前は! お前までがッ! 俺を裏切るのか!?」
俺は感情のままに声を荒げた。ミラが慌ててこちらに向き直って言い訳にもならない言葉を吐いてくる。
「それは違う……! そんなつもりはないわ……!」
「じゃあなぜ否定しないんだ! その車は自分とは関係がないとハッキリ言えばいいじゃないか! それが出来ないのが何よりの証拠じゃないか!」
「そ、それは……。」
ミラは再び口をつぐんでしまった。
俺は、ぎりぎりの理性でもってミラが何かを言い出してくれるのを願った。待った。
それは十数秒程度だったかもしれない。数秒にも満たなかったのかもしれない。
しかしそのわずかな時間が、俺にとっては限界で、どうしようもなく決定的だった。
俺は立ち上がると、ハンガーに掛けてあったジャンパーを羽織った。そしてタンスの引き出しから拳銃を取り出して、内ポケットにしまいこんだ。
ミラは俺が何をしようとしているのか分からないといった様子で茫然としている。俺はその横をすり抜けるようにして玄関へ移動し、靴を履いた。いつも履いている農作業用の長靴じゃなく、ここに逃げ込んできた時に履いていた、山登り用のブーツだ。
「どこに行くの……!?」
「さぁ、どこだろうな。」
俺は靴ひもを結びながら、淡々と答える。
「わ、私も……。」
「それを許すと思うか?」
「…………。」
縋るような口調だったような気もした。だが今の俺にとって、そんな事はどうでも良い。
靴ひもを結び終える。
立ち上がり、靴の具合を確かめる。悠々と。よし、いい履き心地だ。
玄関のドアを開ける。
外の乾いた風が体を叩く。
「ま、待って……!」
引き留めようとしてきたミラの言葉を。
「じゃあな。」
俺の決別の言葉が上書きした。
無音になった部屋を出ていく。
ドアが閉まる寸前にその隙間から視界に入った長身の女は、ただ立ち尽くして俯いているだけだった。
夜の寒さを少しずつ感じ始めていた。
茜だった空も暗くなり、今となっては最早、わずかばかりの光の筋を残すばかりだ。
俺は足を街とは反対の方へと向けた。別に、ミラや他の追手たちの事を考えたわけじゃない。人の匂いの濃い場所に行きたくなかっただけだ。今は。
土を踏みしめる音に混じって、時折、葉っぱのざわめく音や、何の虫だか知れない虫の鳴き声がする。ただ、それらの音に対してさしたる感情が起こるわけでもなく、俺はまるで中身の空っぽなロボットのようになって、ただただ足を進めていくのだった。
この道を歩いていって、果たしてどこに辿り着くんだろうか?
この先、俺はどうするべきなんだろうか?
そんな事、今はどうでも良かった。
なんだって、どうだっていいじゃないか。
もはや、どうにでもなってしまえ――。
この日。俺は、仮初めとは言え穏やかだったこの村での暮らしに、終止符を打った。
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