憎しみの行く末
長船 改
1
「一発、十万円でいいんだよなあ。ほらよ。」
「毎度アリ。」
「よぉし。い、行くぞぉ。」
会社の飲み会の帰りだろうか。酒臭い息を吐きながら、若いサラリーマンの男は背広を脱いで、左腕をグルグルと回し始めた。その周りでは同僚と思しき連中が、やんややんやと彼をはやし立てている。
「あいつめ。いつもいつもオレをこき使いやがって……。
あんの、クソ上司いいぃぃぃ!」
左の拳を右の手のひらに当ててリズムを取りながら、サラリーマンはこちらに近づいてくる。そして、拳を振りかぶった……!
俺の名前は蓮見丈(ハスミジョウ)。殴られ屋なんてのをしている。
殴られ屋っていうのは、自分の体を殴らせる事で金を得る仕事だ。まぁ実際の所は攻撃を避けてしまうので、本当に攻撃が当たるなんて事はほとんどない。上手い奴になるとわざと掠らせたりして、ギャラリーを盛り上げたりするらしいが。
「マスター、キンキンに冷えた氷嚢を作ってもらえないかな。」
「もうできてるよ。いつもの事だからね。」
マスターはカウンターの下にある冷凍庫から氷嚢を取り出してくれた。俺はそれを右の頬、さっきのサラリーマンに殴られた箇所にあてがう。薄手のタオルに包んでくれているのが実に心憎い。
続けてマスターはレモン水を出してくれた。グラスに浮かんでいるレモンをストローで突っつきながらちびちびやる。
俺が他の殴られ屋と違うのは、客に “本当に”殴らせるという所だ。パンチ一発三万円、まったくの棒立ち・ノーガード。とは言え、どうもそういう人間を殴るというのは躊躇してしまうようで、客の決心次第ではあるものの、早ければ十秒で片が付く仕事だ。実際さっきのサラリーマンなんかは、酔っていたせいもあるだろうが、ほとんど躊躇なく俺を殴りつけていった。
ところでこの三万円のコースの他にもうひとつ、スペシャルコースというのがある。それが先ほどのサラリーマンが使った一発十万円のやつだ。
スペシャルな理由はたったひとつ。
それは―― “俺の体を通して、嫌いな奴をぶん殴れる”からだ。「殴った気分になれる!」とかそういう催眠的な何かじゃない。実際に、殴ったダメージが対象へと伝わるんだ。
つまりさっきのサラリーマンが俺を通して殴ったその上司とやらは、突然、右の頬をぶん殴られたという事になる。相手がどこにいるかや距離なんてものは関係ないので、その上司のいた場所があまり人様に迷惑の掛かる場所じゃない事を祈るばかりだ。
必要な条件は、相手に対して憎しみを持っている事だけ。もし相手を憎んでないのに殴ったとしても、まったく効果はない……はずだ。と言うのも、俺自身、まだ分かっていない部分が多いのである。
……こいつは所謂、特殊能力という奴なんだろう。俺はこの力を望んで手に入れたわけじゃあない。捨てる事が出来るならばそうしたいし、そもそも殴られたくなんかない。俺はドMとか変態の類じゃないんだ。
だが、俺はこの力を行使しなければならない。そう強要されているし、どこにも逃げられないように “監視”されているからだ。
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