35
大金を手にして笑う純夜を見た時、なるほど……と、俺はようやく腑に落ちた思いがした。
要するに、俺は売られたのだ、この男に。再び。
つまり目の前にいるこの連中は、俺の国外脱出を手助けしてくれる仲介人なんかじゃない。
これまた要するに、ゲーム・オーバーというわけだ。
だが俺の心には、またも俺を騙してくれた蘇芳純夜に対する怒りだとか憎しみだとかいう感情が、不思議と湧いてはこなかった。
……いや、違う。
怒りも、憎しみも、ある。ちゃんとあった。
ただ俺はそれらの感情を表に出すことなく、無意識のうちに腹の底へと深く深く沈めたんだ。そう、気が付いた。
「じゃあ、こいつの事は好きにしてください。……まさかとは思いますけど、この金を奪い返そうだなんて、思ってないでしょうね?」
「イイエ。そんな事はまったく考えていないですよ。私どもとしては、この男が手に入ればそれでいいのです。」
「そりゃあ良かった。じゃあ、オレはこれで……。」
「ハイ。さようなら。お元気で。」
純夜は張氏たちの一団を警戒しながら後ずさりしていく。やがて、俺の姿を認めたのだろう、くぐもった笑い声を上げて、後ずさりを続けたまま声を掛けてきた。
「秀~。ありがとな。お前のおかげでオレは大金持ちだ。」
「敢えて軽口を叩いてやる。いい結婚資金になったな。」
「……結婚資金だぁ?」
純夜は堪えきれないと言った様子で噴き出した。あまり大声で笑うわけにもいかないと思ったのか、苦しそうに悶えながら、声を殺して笑い転げている。
「これはな、結婚資金じゃねえよ。逃走資金だ。」
「逃走資金……?」
「あぁ。ホントはな、あの女の束縛にはもうウンザリなんだよ。そもそもなんでオレがヤクザの娘なんかと一緒にならなくちゃいけねえんだ。……あぁ、そうだ。ついでに言うとな、オレは組に入ってなんかいねえよ。そこまで落ちぶれちゃいねえ。
ま、今まではギリギリ我慢してたけどな。でも、こんだけ金がありゃあ、どうにでもなる。ヤクザの後ろ盾なんかももう必要ねえ。あいつの前からオサラバして、人生やり直しだ。そうだ、お前みたいに国外に逃げちまうのもアリかもな。ハハハ。」
……ここまで来ると激しい感情なんてものは欠片も上がってこない。俺は笑みさえ浮かべて、軽蔑を込めた眼差しを送った。
「純夜……。お前、少しはマシな人間になったと思ってたけど、そうじゃなかったな。
あの頃よりクズになった。」
「ハハハ。そっちもだいぶ変わったと思ったけどよ。でもお前の場合、本質的な部分じゃあ何も変わってなかったな。すぐに騙される、お人好しのマヌケだ。」
純夜との距離はもうだいぶ離れていた。にもかかわらず声を張り上げなくても聞こえるのは、夜の乾いた空気と、張氏たちが音も立てずに成り行きを見守っているからだろう。
安全な距離を確保したと判断したのか、純夜は足を止めた。大事そうに抱えていたアタッシュケースも、今では左手で提げるようにしている。
「秀! 最後にひとつ、いい事を教えてやるよ。
世の中ってのはな、どんな手段を使っても、最後に笑ったやつが勝ちなんだ。このオレのようにな。ハハハ……じゃあな!」
それが、蘇芳純夜との最後の会話だった。純夜は俺に背を向けると、そのまま夜の闇の中に紛れて消えて行ったのだった……。
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