36

 純夜の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、辺りを静けさが包み込んだ。

 

 すると、今度は拍手の音が鳴った。静寂をぶち壊さない程度の強さの、ゆったりとした音だ。偉い人間が大仰にやる感じの拍手とでも言えばいいだろうか。

「いや、実にいい見世物でした。ありがとうございました。」

 振り向くと、やはり拍手をしていたのは張氏だった。

 俺は苦笑いを浮かべて「どうも。」と言っただけで、他には何もリアクションを取る事ができなかった。

 張氏はそんな俺の様子になんかは見向きもせず、懐から懐中時計を取り出し、近くにいた部下たちに向けて手をさっと振り上げた。部下たちは、俺をチェックしている4人を除いて散り散りになった。

 やがて俺達の周囲を取り巻いていた灯りが次々に消えていった。どうやら撤収準備に入ったようだ。

「そろそろ船が出航の準備を始める時間です。行きましょうか。」

 そう言って張氏は歩き出した。部下の一人が灯りを持って足元を照らしながら張氏を先導している。俺は、後ろにいた一人に背中を押されて歩き始めた。

 俺は張氏の背中に向かって問いかけてみた。

「いくつか確認したい事があるんだけど、いいか?」

 張氏は振り向きもせずに、手で「どうぞ」と促した。

「アンタは俺の出国の手伝いに来たんじゃなく、元々俺を手に入れるつもりだったって事でいいんだよな? 目的は、俺の持つ “あの力”。」

「その通りです。」

「どうやって俺の事を知ったんだ?」

「我々は以前から、この国が行っている秘密の研究に興味を持っていました。あなたが出入りしていたあの研究所もマークしていたのですよ。出来れば潜入したかったのですが、非常にガードが固くてですね、困っていたのです。」

「……だろうな。俺だって、許可なしに入る事は許されてなかったし。」

「そんなある日、我々は研究所を囲っているあの森へと入って行くひとりの怪しい男を見つけました。研究所の関係者ではない事は明白でした。入って行ったポイントが正規のものとは違ったからです。また、観光客とも思えませんでした。森に入るような恰好ではありませんでしたからね。

 それでしばらく様子を見ていると、その男がまったく同じポイントから出てくるのを確認しましたので、我々は試しに彼を捕まえてみたのです。

 我々は幸運でした。

 彼はひとつの重要なデータを隠し持っていたのです。それが、蓮見丈さん。あなたについてのデータです。」

「俺のデータが……盗まれていた……?」

 想像もしていない話だった。まさかあの研究所にスパイが入り込んで、よりにもよって俺のデータを盗み出していただなんて。

「おや、知らされていなかったのですか? アナタが行方をくらましたのは、てっきりこれが理由だと思っていたのですが。」

「あぁ。俺は聞いてない。」

「そうでしたか。

 ともあれ、アナタは我々がマークするよりも早く、姿を消してしまいました。そこで、この国の方々に協力をお願いしたというわけです。」

 “この国の方々”というのはヤクザの事だろう。そして彼らに協力を頼めるという事は、こいつらはヤクザと同じような存在、例えばマフィアとかそういった連中なんだろうなと俺は思った。

 ……しかしヤクザだのマフィアだのと言った言葉は、実生活の中でそうそう簡単に出てくるものじゃあないはずだ。

 まったく……なぜ俺はこうもマトモな人生を歩めないのだろうか……。


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