34

 俺達に止まるように警告したのは、果たして誰だったのか。灯りを持った奴か、それともそれ以外の誰かなのか。ともあれこの国の人間の発音ではないからには、どうやらアタリと見ていいのだろう。

 俺より一歩進んだ所で純夜は歩みを止めて、一言「約束の時間だ。」と言った。

 未だに前方の連中の姿は見えない。ただ、小声でなにか話し合っている。分からない言語だけに、漏れ聞こえてくる声はただの異音にしか聞こえない。

 少し経って話し合いが終わったのか、再び俺達の国の言語で声がした。

「名前ハ?」

「蘇芳純夜。」

「約束の人間の名前ハ?」

「鳴神秀。」

 純夜が答えると、連中の声が止んだ。なぜかは分からないが、かすかに……ざわついている?

「……そレは変ダ。名前が違ウ。」

「なんだって……?」

 今度は純夜の明らかに焦ったような声がした。

 何かアクシデントが? と言うより……そもそも、2人のやり取りはどうにも不自然な気がした。今回の件は純夜からの発信のはずなのに、話があべこべのような……?

 ただ、今はそれを考えても仕方ない。俺は可能性のひとつを提示してみる事にした。 

「蓮見丈、ならどうだ?」

 俺の声に、純夜は勢いよくこちらを振り向いた。逆光で表情は見えないが、たぶん驚いているんだろう。そしてそれはどうやら前方の連中も同様だったようで、またまた何かを話し合い始めている。

 やがて、今度は違う人間の声がした。こちらの言語に慣れているのか、さっきの声よりもはるかに喋りがスムーズだ。こいつが仲介人だろうか?

「さっきの鳴神とかいう名前はどういう事ですか?」

 純夜はチラチラとこちらを伺っている。言いたい事は分かっている。まぁそもそも、これはこいつには答えられない質問だ。

「鳴神秀ってのは、こいつと一緒に仕事をしていた頃に使ってた名前だ。今は、蓮見丈と名乗ってる。」

「蘇芳サンは今の名前を知らなかった、と?」

「そりゃそうだろうな。この蓮見丈って名前は、こいつらに見つからないようにするために用意したものだからな。」

「……なるほど、わかりました。

 それでは次の段階に移りましょう。」

 男がそう言うやいなや、俺達の周囲に複数の灯りが点灯し、俺は眩しさで瞬間的に目を覆った。

 手をヒサシ代わりにして目をしぱたたかせていると、ひとりの男がこちらに歩み寄ってくるのが朧げながらに分かった。

「初めまして。蘇芳純夜サン。私の名前は、分かりますね?」

 その声に応じるようにして、純夜もまた、一歩進み出た。眩しくなかったのか、もう回復したのか、どちらにしても平気そうな様子だ。

「ええ。Mr・張王永(チョウ・オウエイ)。お目にかかれて光栄です。」

「私の方こそ。」

 そう言って、2人は握手を交わした。

「……それで、横にいるのが、今回の。」

「ハイ。念の為に、顔を改めさせてもらいますよ。」

「どうぞ。」

 張と名乗った男は俺の目の前までやって来て、顔を覗き込むようにしてきた。その顔は笑みを浮かべてはいるが、温かさや柔らかさなどは微塵も感じさせない。俺は瞬間的に、俺を捕まえようとしたあの黒服のリーダー格の男を思い浮かべて、身をこわばらせた。

 続けて張氏はポケットから紙切れを取り出すと、それと俺とを見比べるようにして視線を行き来させ、満足したようにひとつ頷いた。

「どうやら間違いないようですね。」

「その手に持ってるのは、もしかして俺の写真か?」

「ハイ。」

「なんでそんなものを持ってるんだ?」

「それは……。」

 しかし張氏が答えようとする前に、純夜が割って入ってきた。

「Mr・張。それより早く用事を済ませましょう。」

「……それもそうですね。」

 張氏は、俺の質問よりも純夜の方を優先した。彼は先ほどの言語(おそらくは母語なんだろう)で後ろにいる連中に向かってなにやら話しかけた。すると、そのうちのひとりが奥の方へと小走りで消えていった。指示だとか命令といった類のものだったのだろうか。

 そしてふと気付くと、4人の男たちが音もなく俺の周りを取り囲んでいるのが分かった。1人は俺の視線の先に。あとの3人は、背後に立っている。俺が逃げるのを警戒しているようだった。

 俺の目がようやく光に慣れてきた頃、さっき小走りで駆けて行った男がこちらに戻ってきた。その手にはアタッシュケースを持っている。張氏はそれを受け取って地面に置くと、純夜の前で開いてみせた。

「これが約束の報酬です。」

「一応、確認させてもらいますよ。」

「ええ、もちろん。」

 純夜はアタッシュケースの中から何かを取り出した。良く見ないでも分かる。あれは……札束だ。純夜は手にした札束を念入りにチェックしている。1つ戻して、また別の札束を取り出し……。

 そうやって何度その作業を繰り返しただろうか。やがて純夜は声を押し殺して嬉しそうに笑うと、アタッシュケースを閉めて、大事そうに両腕で抱きかかえた。

「へっへへへ……。たしかに。」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る