27

 この公園に再び足を踏み入れた時から考えていた。少しの間だけまたここに厄介になろう、と。これも何かの縁なのかもしれない、と。

 しかし今のここの状況を見て、その考えは打ち砕かれてしまった。

 何と言っても、ホームレスたちが少なくなった理由がまるで分からないというのが一番大きかった。自発的に去って行ったのか、それとも何かしらの圧力が掛かったのか?

 前者は考えづらかった。ここには、お互いに過度には干渉しない空気があって、イジメや暴力もほとんど起こらず、わざわざここから他の所に望んで移動しようとするやつがいるとは思えなかったからだ。しかもそれが住人の大半となれば尚更だ。 

 後者は後者で、どういう圧力なのかという想像がまったくつかなかった。何よりそんな圧力がもしあるとするならば、ここに住み始めたら自分にも降りかかってくるに違いない。想像するだけ無駄というやつだ。

 誰かに聞いてみるという事も考えた。そこで稽古をしている連中や、テントやハウスの中にいるホームレスに聞けば、何が起こったか事情を掴むことができるかもしれない。しかしなるべく人目につく行動は避けたかったし、悲しいかな、今の俺は知らない誰かと話が出来るような気分になかった。 

 ともあれ、確かな事は、ホームレスの集団という自分を隠してくれる森は、今ここには存在していないという事だ。こんな状況では、どれだけ姿を隠そうとしても目立ってしまうのは明白だった。

(諦めた方がいいな……。)

 気付けば、いつの間にか日が暮れ始めている。これ以上ここにいた所でどうしようもない。

 俺は落胆のため息をつくと、ポケットをまさぐって煙草を取り出した。最後にこれを吸って、ここも見納めだ。

 煙草は、持った感触から察するに残りもう何本もなかった。かなりクシャクシャになった箱を振って飛び出た一本を咥えると、煙草が湿気ているのが分かったが、それでも構わずに火をつける。そしていつもの調子で吸い込もうとして、思わずむせてしまった。そう言えば、久々に吸う煙草だった。

 俺は涙目になりながら、俯いて何度も咳き込んだ。

 その時だった。

「にいちゃん、大丈夫かい? でも、悪いけど、ここは禁煙なんだよな。その煙草、消しな。」

 声が、頭上の方からした。やけに馴れ馴れしいというか、偉そうな口ぶりだ。

 俺はまだ苦しい息を整えながら、声のした方を見上げた。そこにはカラフルなネクタイを緩めに締めた、白いカッターシャツ姿の男が立っていた。だがその顔は、夕陽に照らされて良く見えない。

「……禁煙?」

「そうだよ、去年からな。ほら、これ使いな。」

 そう言って、男はビニール製の安い携帯灰皿を渡してきた。俺は半信半疑だったものの、大人しく従う事にした。まだまともに吸えてない煙草を携帯灰皿の中に突っ込んでやる。男はそれをスッと取り上げると、何度か手でもみ潰して、ズボンの前ポケットにしまい込んだ。

「悪い。知らなかったんだ。」

 俺は夕陽の眩しさに顔をしかめながら謝罪した。

「知らなかったなら仕方ないよな。ま、今度から気をつけな。…………ん?」

 と、男は何かに気付いたような声を発し、それきり言葉を失ってしまった。夕陽のせいで良く分からないが、どうもあさっての方を向いているように見える。

 それは時間にすればほんの数秒ほどだったか。それでも、知らない人間と無言の時間を共有するのは辛いものがある。しかも俺は逃亡中の身なんだ。あまり不用意に誰かと接触するべきではない。

 そうして俺が次の行動をどうするべきか考えあぐねていると、男が俺に向かってゆるやかに指をさしてきた。


「お前……、ひょっとして、秀(シュウ)か?」


 その問いに、今度は俺が言葉を失った。

 目の前にいる男が何者なのか、悟ったからだった。


「蘇芳……純夜(スオウ・ジュンヤ)……。」

 俺は掠れ気味の声で、かつての相棒の名前を呼んだ――。

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