4三

 俺にとって国を離れて以後のしばらくの間は、決して苦しい時間ばかりというわけではなかった。

 張氏に捕獲されてからの俺は、彼らの所属する組織(彼らはやはりマフィアだった)に世界各地を連れ回され、そこここで殴られ屋の真似事をさせられた。と言っても、相手は酔っ払いの会社員やちんぴらなんかじゃない。もっと金を持っている連中だ。

 初めのうちは、宣伝も兼ねての見世物のような扱いだったんだと思う。それはそうだろう。「誰かへの憎しみを持って目の前の男を殴れば、そいつを殴ったのと同じになる。」なんて説明をされても、誰も信じるわけがない。事実、俺を初めて見る連中は半信半疑、いやほとんど誰も信じていなかったに違いない。

 しかしそうして世界を回っていると、次第に連中はまるでハイエナのように俺に群がってくるようになった。俺の能力が本物だという事を理解したのだ。俺を保有していたマフィアはそれでだいぶ儲けたようだった。

 見知らぬ、言葉も通じない人間に、殴られ、蹴られ続ける毎日――。

 それでもこの頃はまだ良かった。衣食住には困らない、求めれば娯楽も手に入る、酒も、煙草も。何より俺を使おうとする客に対し、俺の保有者たちは “制限”をかけてくれていた。簡単に言えば、やりすぎNGという事だ。あの時の張氏の “丁重に扱う”という言葉は嘘ではなかったわけである。ともあれ、監禁同然という点さえ目をつぶれば、多少の自由はあったのだった。


 ……しかし。そんな日々は、あっけなく、崩れ去った。


 彼らと敵対する勢力によって、俺は拉致されてしまった。どうやら蓮見丈という存在は裏社会に広く知れ渡っていたらしい。

 それからはまぁひどいものだった。

 奴らは俺を人間扱いしなかった。死なないように注意は払っても、死ななければなんでもいいという考えだった。

 そしてその考えは、俺を使う客に対しても同様だった。金さえ積めば、そして殺しさえしなければ、なんでもアリだった。客は法外な金を出すようになった。

 あるサッカー選手は俺の足を折る事で、ライバルの足を折った。あるオペラ歌手は邪魔な先輩歌手をひきずり降ろすために、俺の喉を潰した。汚職がバレたある政治家なんかは、それを告発した別の政治家に復讐するために、銃で俺を何度も撃った。

 恨みに満ち満ちた連中の顔は、次第に恍惚なものとなり、狂喜を爆発させていく。その狂喜に当てられ続けたからか、いつしか、この体は人知れず嘔吐を繰り返すようになった。

 

 そして拉致に次ぐ拉致――。

 

 新たな場所でもその身に起こる事は変わらず、いや、それどころかさらに苛烈になっていった。寝ている最中でも、出血多量で輸血を受けている状態の時でも。四六時中、この体は憎しみを乗せた暴力を受け続けた。

 抵抗は無意味だった。自ら死ぬことも許されなかった。やがて暴走した精神は、しかしそれでも状況を変化させる一要素にすらならなかった……。

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