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 純夜は難しい顔をして考え込んでいる。その様を、俺は不思議に思いながら見ていた。と言うのも、この男は “細かい事は後から考えればいい”というタイプの人間で、こんな表情を見せるのはほとんど初めてだったからだ。

 やがて考えがまとまったんだろう、純夜は俺達の近くに誰もいない事を確認すると、少しだけトーンを落として話し始めた。

「……想像ついてるかもしれねえけどな、あの後、組に入ったんだよ。オヤジが……あ~、彼女の父親のことな? オヤジが組長だったんだけど、やけにオレの事を気に入ってくれてな。」

「組長……!?

 ん? ちょっと待てよ。彼女って、俺達が探し出した女の事だよな? じゃあ依頼に来たあのしょぼくれたオッサンが、ヤクザの親分だったって事か?」

「いや、あれは替え玉だ。でもお前の記憶じゃそんな風でも、一応上の方の人間なんだぜ? 組の中で会った時の雰囲気はマジでヤバかったからな。」

「なるほどな……。

 じゃあ、あの子との関係もまだ続いてるって事だよな? 名前は……なんて言ったっけか。」

「結華(ユカ)。あぁ、続いてるよ。

 ……オレらしくねぇって思ってるだろ?」

「まぁな。尻軽だからな。」

「あいつ、束縛強えんだよ。」

 純夜は吐き捨てるようにしてそう言うと、ポケットから煙草を取り出した。2本摘まんで、1本を俺に手渡してくる。

「……ここは禁煙なんじゃないのか?」

「いいんだよ。ほれ。」

 断るのも面倒だったので、煙草を受け取って口にくわえてやった。すると次の瞬間には、俺の目の前にジッポの火が差し出されていた。純夜は俺の煙草に火がついたのを確認して、そのまま自分の煙草にも火をつけた。

「フゥー。……ここだけの話な。結華と結婚が決まりそうなんだ。」

「ふぐっ……!」

 ……思わず、煙が鼻から出てしまった。

「お前、マジか!」

 俺はゲホゲホ咳き込みながら言った。1日に2度目ともなるとさすがに辛い。

 そんな俺のツッコミに、純夜はバツの悪そうな顔を浮かべる。

「わざわざこんな嘘つくかよ。ヤクザの親分の娘とデキて、親分に気に入られて、ヤクザになって。むしろこういう話にならねえ方がおかしいだろが。」

「……たしかに。」

「女遊びができねえのが唯一の不満だがな。ま、年貢の納め時ってやつだ。」

 と、純夜はそう言って、ため息をつくようにして煙を吐き出した。

「それで、秀。お前はどうしてたんだ? まさかずっと逃げてたわけじゃないんだろ?」 

「……逃げ回ってたよ。あちこち。お前のお仲間に追われてな。

 そう言えば、一回捕まってボコボコにされた事があったな。車に乗せられてどっかに連れていかれてる途中で、窓割って身投げしたっけ。良く死ななかったもんだ。」

 と、俺は少々大げさな風を装って言った。ちなみに内容そのものは本当の話である。

 しかし特にリアクションがないので、気になって純夜を横目で見てみると、奴はなぜか難しい表情を浮かべていた。まさかとは思うが……。

「……知らなかったのか?」

「え? あ、あぁ。知らなかったぜ。……さてはそいつ、失敗したからってんで、黙ってたんじゃねえのか?」

「それは無いと思うけどな。誰かに電話入れてるのが聞こえてきたから。……まぁ、でもいいか。」

 ……純夜が妙に慌てた様子だったのが少し気にかかりはしたが、それよりもその辺を突っ込んであまり変に話を膨らませたくない気持ちの方が強かった。なぜならあのクソジジイ・香坂健早に助けられたのが、まさにその身投げの後だったからである。

 ともあれ、ここは「逃げてた」で突き通してしまうのが一番だ。

「とにかく、そんなわけでずーっと逃げ回ってたよ。で、ここに着いたってわけだ。

 ここは前にも住んでた事があってな。でもまさかこんな様変わりしてるとは思わなかった。」

 純夜は俺がずっと逃げていたというのを知ったからか、神妙そうな表情を浮かべた。 

「そう、か。マジでずっと逃げてたんだな。……悪かった。俺のせいだ。」

「まったくだ。まぁ、もうどうでもいいけどな。」

 本心でそう言ってやった。謝罪の言葉なんて別にいらなかった。たとえそれが純夜からまともに受ける初めての謝罪だったとしても。

 純夜は、返す言葉がなくなったのか黙りこくってしまった。俺は俺でこれ以上、言葉を重ねるつもりもない。しばらくの間、俺達は無言のまま煙草を吸い続けた。聞こえてくるのは、枝葉のこすれる音、遠くから聞こえるトラックの音、ダンスミュージックの音。ふと視線を移すと、演劇の稽古をしていた連中は帰り支度を始めていた。

 煙草の火種がだいぶ根元までやってきた所で、純夜が携帯灰皿を差し出してきた。最後にひと吸いだけして、中にぽいっと捨ててやる。するとその上に、純夜はまだ半分も吸っていない煙草(2本目だが)を押し込むようにして詰めて、少々膨らんだ携帯灰皿のボタンを閉じた。

「……さて、と。オレは行くかな。」 

 そう言いながら純夜は立ち上がり、思いっきり伸びをすると、俺の方を振り向いた。

「秀。お前、これからどうするんだ?」

「逃げるに決まってんだろ。最初はここでしばらく厄介になるつもりだったけど、そういうわけにもいかなくなったしな。」

「……そうやって、いつか捕まるかもってビクビクしながら、死ぬまで逃げ続けんのか?」

「お前がそれを言うかよ……!」

 いくらなんでも、この逃亡劇の元凶になった奴にそれを言う資格はない。俺は言葉に怒気を孕ませて、純夜を睨みつけた。

 だが、純夜は特に悪びれもせずに肩をすくめると、微かに笑みを浮かべた。そうして、睨みつけたままの俺に向けて、ピッと人差し指を立てた。

「ひとつ、いいアイディアがある。」

「……? いいアイディア……?」

 と、俺は思わずおうむ返しに言った。言わんとしていることが良く分からない。

 しかし純夜は笑みを浮かべたまま、ぽかんとしている俺に対して小さく頷いて言ったのだった。

「秀。お前、海外に行かないか?」

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