三十八

「さぁ着いたぞ。どの辺りだ、ミラ?」

 助手席に座るミラに向かって、キクチが言った。

 ミラのメンテナンスが終わってから1週間が経ったある日の事である。

 完全に調子を取り戻したミラは、ドクター・キクチの運転で、以前住んでいたこの田舎村へと帰ってきていた。

 ミラはロンTにジーンズ姿である。この村で暮らしていた頃と同じようなスタイルだ。

 キクチはどうやらまだ寒いらしくシャツにセーターを重ね着しており、下はチノパン、そして運転用に大きな黒のサングラスを掛けていた。

 車が停まると、ミラは窓を開けて辺りを見渡した。

 まばらに見える木造の古民家たち。田んぼは整っているものとそうでないものとがある。それら田んぼの傍に、この村唯一のアパートが見える。それはミラと蓮見丈が住んでいたアパートである。

 ミラは久々の光景に懐かしさのようなものが込み上げてくるのを感じていた。記憶にロックを掛けたはずの丈との生活までをも思い出し、笑みさえ零れそうになってしまうのを、目を閉じて何とかこらえた。

(こんなことではいけない。) 

 ミラはそれらを不要のものとして胸の奥に押し込めつつ、視線をアパートから移した。すると、田んぼや古民家に紛れて一軒のお屋敷のような家が視界に入ってきた。……お屋敷と言っても、屋根付きの門がついていて、他の家よりも多少大きいというだけのものである。そしてその家こそが、今回のミラの目的地であったのだが……。

「トラックが停まっている……?」

 その家の門前には、一台の大型トラックが停まっていた。

 ミラの視線を追って、キクチもその家に行き当たる。

「なるほど、あの家か。どうやら引っ越しをしているようだな。」

 キクチの言葉通り、その家は引っ越しの最中であった。2人の引っ越し屋と思しき人間が、トラックと家とをひっきりなしに往復している。

「どうする、ミラ?」

「あの家の近くに停めて。」

「分かった。」

 キクチはゆっくりとアクセルを踏み込み、徐行に近いスピードで車を走らせた。

 程なくして、車はその家の近くに到着した。引っ越し屋の片方が車の存在に気付いたが、何事もなかったかのように作業に戻っていく。

「行くのか?」

「ええ。」

「じゃあ私はここで待っていよう。ひと眠りする時間があると助かるな。」

「それは保証できないわ。」

「分かっている。」

 キクチはサングラスを外してシートを後ろに倒すと、腕組みをして、さっさと眠りに入ってしまった。

 ミラはなるべく大きな音を立てないように気をつけながら車を降りて、家の方へと歩いて行った。門の格子戸や玄関は開いているが、ミラは門についているインターホンを短く2回、長めに1回鳴らした。これは、ミラがこの家を訪れる際の約束事なのだ。

「あの、この家に何か御用ですか?」

 さっきとは別の男が、庭の方からやってきて声を掛けてきた。

「ええ。ここの……」

 と、ミラが言いかけたその時である。

「まさかと思ったら、やっぱりミラちゃん……! ああ久しぶりだねぇ……!」

 ミラが声のした方を見ると、ひとりの和装の老婆が玄関に立って、感激した様子でミラを見つめていたのだった。

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