最終話(一)
十数年後――。
人々の欲望は留まるところを知らず、その凄惨な行いは、男から肉体というモノをほとんど全て奪い去ってしまった。
しかし、そんな日々もついに終わりを迎えようとしていた。
『こいつのおかげで組織は大きくなったかもしれないが、こいつのせいで組織はめちゃくちゃになった。』
『だいぶ心臓が弱まっている。放っておけばあと2~3日の命だそうだ。下手に延命処置などせず、いっそのこと廃棄処分にしてしまったらどうだろうか。』
『それがいい。あの力も最近ではほとんど効力を発揮していない。もう必要なかろう。』
『賛成だ。』
『賛成。』
男を “最後に所有”する事になったこの組織は、男の能力が原因で、たった数年のうちに何十もの代替わりを余儀なくされていた。時には頭首と反目する派閥によって。時には下っ端の起こした下剋上に使われて。恨みが恨みを呼ぶ抗争が際限なく続いていたのだった。
それでも組織が男をこれまで手放さなかったのは、それもまた男の能力が理由だった。もし敵対組織の手に男が渡るような事があれば、自分たちの組織そのものが危うい。そして、やはり男の能力は「金のなる木」として魅力的だったのである。
しかしこの1~2年で、男の能力は急速に弱体化が進んでいた。男に与えた刺激が、減衰して対象へと伝わるようになっていたのである。この事を知った客たちは怒ったが、表だって抗議することなど出来るわけもない。彼らの不満はやがて方々に流布されていき、その結果、男の能力を利用しようとする客はみるみる減っていくようになった。
それら様々な要因が重なり、組織はついに男を手放す事を決めたのだった。
男は、鉄くずの山に打ち捨てられた。派手な音が広い空間に鳴り響く。全身機械のその体は、山の中腹辺りまで転がり落ちてやっと止まった。
ここは、組織が管理している一種のスクラップ工場のようなものだった。大きな倉庫かコンテナの中らしく、時折強い風が吹いては、それが壁に当たってゴンゴンと音を立てている。
壁の最上部に並んだ窓からは綺麗な月明かりが差し込んでいた。やがて煌々とした太陽の輝きがそれに取って代わり、その内に段々とその輝きを失って、再び仄かな月の光が、今度は時折姿を隠しながらも、倉庫内を照らしつけるようになった。
外では雨が降り出していた。少しずつ、屋根を打ち付ける音が強くなってきている。
スクラップの山に漂っている鉄とオイルの匂いは、雨と混じり合って、その色合いを濃くしていた。
その匂いが、不意に男の意識を覚醒させた。
(……臭い。)
実に不快な目覚めである。
だがそれも束の間、男は自分の身に何が起きたのかを察した。
(ここは……廃棄場か……? と言う事は、俺は……。)
そして、歓喜した。
(そうか。やっと、死ねる時が来たんだ。やっと……!)
自死すらも許されず、強制的に生かされてきた男の待ち望んだ瞬間であった。しかしまだだ。死ぬには、あとひとつが、足りない。
……その時だった。
「やっと見つけた。」
どこからか、声がした。やけに不明瞭に聞こえた気がしたのは、男の聴覚がほとんど死んでいるからか。しかし、カツカツと近づいてくるその足音は、ここが廃棄場だという推測が間違っているかもしれないと思える程、優雅な調子に聞こえた。
「ここにいたのね、丈。」
男の横たわっているスクラップの山のふもとまで近づいて、声の主は言った。女のようである。
男は怪訝に思った。どうやら自分を知っているようだが……。
「だ……れ……だ……?」
人工の喉からノイズ混じりの機械音声が発せられた。実に、数十年ぶりの発話である。
「忘れたのかしら。あなたの近くでつい最近まで仕事をしていたのに。」
「……。」
「どうやら本当に忘れているようね。でも構わないわ。私は自分の仕事をするだけ。」
冷たく言い放ったその声は、しかし、不思議と男の心の中にじんわりと溶け込んでいった。
「お前、何者……だ……?」
そう言いながら男は、まだぼやけたままの思考を必死に働かせた。しかし考えようとすればするほど、余計な事が浮かんで思考を妨害してしまう。長い間、頭を使ってこなかった影響かもしれない。
女は質問には答えずに、自分の着ている擦り切れたスーツの内ポケットから小さな箱を取り出した。
煙草である。昔、男が吸っていたのと同じ銘柄だった。封は切られており、うち何本かが無くなっている代わりにライターが収められている。
女はその内の一本を咥えて火をつけた。ひと吸いしようとして、口からもくもくとした煙の玉を吐き出していく。煙草を吸い慣れていないのは明らかだった。
「……やっぱり不味いわ。」
煙はゆらゆらと流れていき、男の顔を包んだ。ムッとした匂いが脳を刺激する。これは……この匂いは……。
男の頭の中に様々な映像が浮かんでは、消えていく。この数十年間の、思考妄想を孕んだ余計な情報が、弾け飛んでいく。その欠片達の奥にいたのは――。
「不味いなんて言うなよ……せっかくの煙草が勿体ないだろうが……。なぁ……ミラ……?」
「私の事を忘れていたとは思えない言いぐさね。」
やや憮然とした声音で、ミラと呼ばれた女はそう言った。
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