14

 この膠着状態を破ったのは、黒服の男、鈴木だった。

「……分かりました、博士。報告書がないのではどうしようもありません。私どもは退散する事としましょう。」

「そうかそうか。はるばるご足労頂いたのに申し訳なかったのう。」

「代わりにと言ってはなんですが、そこの男性は頂いていきますよ。」

 鈴木の言った「そこの男性」というのは、俺の事なんだろう。俺は心の中で舌打ちをしていた。こいつらの目的はあくまでジジイの研究であって、そこに付け入るスキがあるんじゃないかと思っていたのに、これじゃあ前門の虎、後門の狼だ。

「……さっき言ったじゃろ。そやつは違うと。」

「いえいえ。研究対象であろうとなかろうと、そのまま置いておいたら貴方に殺されてしまうのでしょう? これは “保護”だと思ってください。」

「……困ったのう……。」

 ジジイは天を仰いだ。ダランと力なく垂れ下がった手の指先からはポタポタと血が滴り落ち、壁に背中を預けているにもかかわらず、下半身がグラついているのが見て取れた。

 男は持っていた銃をしまい、ポンと手を叩いた。

「さ、用件は済みました。君たち、そこの男性を保護してあげなさい。体が動かせないようですので、注意して扱うように。」

 命令を受けた黒服たちが俺に近づいてくる。だが、俺の体もだいぶ元に戻ってきた。銃で威嚇しながら逃げる事くらいは出来るはずだ。

 動くなら……今しかない!

 そう思った、その時だった。

「……ミラ! やれ!」

 突然のジジイの叫び声に驚いて、俺は拳銃を取り出そうとした手を思わず止めた。

 ジジイの命令でミラが “なにか”をしたのか? 研究室の扉が閉まったかと思うと、室内の灯りが全て消えてしまった!

「急いで殺すんじゃ! ミラ!」

「な、なにが起こった……!?」

 突然の出来事に、鈴木達は動揺しているようだった。俺は俺で完全に出鼻をくじかれてしまっている。

 室内は完全に真っ暗になってしまって、目の前すら見えない。

(や、やばい……! とにかく動け……!)

 すると次の瞬間、俺のすぐ傍でなにか重たい音と共に「ごふっ!」という呻き声が上がった。そして俺の体を強烈な力が引っ張り上げ、そのまま肩を貸すようにして、その場から動き始めた。暗闇で姿は見えないが、匂いで分かる。こいつは……ミラだ!

「お、お前……!」

「……静かに。」

 暗視スコープでも付けているのか、ミラは淀みのない足取りで歩を進める。そして微かに何かをこするような音がしたかと思うと、電子音が鳴り、続いて何かが重々しく動く音がし始めた。

「何をしておる! ミラ! さっさと殺すんじゃ!」

 しかしミラはジジイの声には応えず、俺を連れ立って再び歩き始めた。やがて俺たちの背後で先ほどと同じ、重たい音がした。

「もう声を出していいわ。……ここは隠し通路よ。このまま逃がしてあげるわ。」

 ミラはいつものように淡々とした口調で言った。俺はまさかの申し出に驚いた。

「な、なんでだ! お前、ジジイの部下だろうが!」

「いいえ、今の私の仕事はあなたの世話係よ。」

「いやいやいや! おかしいだろその理屈は!?

 ……だけど、とにかく助かった。感謝するぜ。」

「仕事だもの。」

「ちっ。素直に受け取れっての。で、あいつら一体何者なんだ?」

「研究室に正式な手続きを踏んで入ってきた。しかも博士の同意なく。

 と言う事は、この国の人間、それも中枢に関わる組織の人間であることは間違いないわね。」

「なんでそこまで分かるんだ? 他の部屋の奴が手引きしたかもしれないだろ。」

「それはないわ。機密保持のため、各研究室の入室コードは独立しているから。」

「つまり、ジジイが許可を出さないと部屋には入れない。そしてジジイ以外に許可が出せるのは、ジジイより上の人間ってことか。くそっ、そっちのが余計タチが悪いじゃねえか!」

 思わず泣き言が出てしまう。

 しかしミラはそんなことなんかお構いなしに俺を引っ張っていくばかりだ。

「このまま進んで外に出るわ。ちょうど、あなたのバイクが停まっている所に出るはずよ。」

「分かったよ……!」

 半ばヤケクソな気分になって、ミラと2人連れ立って真っ暗な通路を進んで行く。俺に肩を貸しているというのに、ミラは呼吸一つ乱していない。

「それから、ここに来るための端末は森を抜けたら捨てなさい。スマホも。SIMカードに発信機が組み込まれているの。」

「なんだと? ……それでいっつも俺の行くトコに先回りできてたのか!」

「そうよ。」

「だああっ! くそっ! 元・探偵が発信機の可能性を思いつかないなんて、堕ちたもんだ!」

 思わぬ出来事・告白の連続に、頭がパニックになりそうだ。

 しばらく歩いていると、ミラが俺に止まるように言ってきた。それから、また何かをこする音がして、その後に電子音。すると目の前の暗闇を裂くように、縦に一筋の光が走った。その眩しさに俺は一瞬目を覆ったが、すぐにそこが研究所の外である事が分かった。なぜならミラの言った通り、すぐ近くに俺のバイクが停めてあるのが分かったからだ。

 俺はまだ若干の痺れが残る身体をなんとか鞭打ってバイクにまたがり、エンジンをかけた。

「ミラ、乗れ。さぁ早く。」

 しかし、差し出した俺の手を取ることなく、ミラは首を横に振った。

「私はいいわ。早く逃げなさい。」

「は? なに言ってんだ、お前も逃げるんだよ。」

「追手の足止めをする必要があるわ。」

 ミラは研究所の入口のある方向を見据えた。

 なるほど、確かに先ほどの男たちが追いかけてくるだろう事は俺にも容易に想像ができた。だが――。

「ミラ。前から思ってたけど……お前、アホだろ。」

 俺が発したその言葉に、ミラの動きがピタリと停まった。

「……アホとは、どういう事かしら?」

 体を微かに震わせながらこちらを振り向く。

 ふむ……動揺した表情を見るのは初めてだな。

「あのな、追手があいつら以外にいるとは考えないのか? どこかで待ち伏せしてる可能性だってあるだろ。俺の世話係だって言うなら、むしろそっちを警戒してもらいたいもんだ。」

 煽るような言い方をしたが、事実、待ち伏せの不安はあった。しかも不安が的中していた場合、果たしてひとりでどれだけの抵抗ができるか……。

 手を口元にあてて考え込むミラを、俺は急かさずにただ黙って待った。あとどのくらいの猶予があるかなんてさっぱり分からないが、それでも待った。

 やがてミラが口を開いた。

「……たしかにその危険はあるようね。分かったわ、それじゃあ一緒に行きましょう。」

「よし、じゃあ早く乗れ。それと、これを。」

 俺は懐から拳銃を取り出した。

「お前のことだ、撃つくらいは出来るんだろ?」

 ミラは当然と言わんばかりに頷いて、拳銃を受け取った。俺がこんなものを持っている理由については何も聞いてはこなかった。

 正直ミラの腕前がどの程度かは知らない。それでも、狙った的に全然当たらない俺なんかよりは遥かにマシなはずだ。

 ミラを後ろに座らせ、俺はバイクを発進させた。この緊急時にも関わらず、腰に回された手や背中に触れる体の感触に意識が向いてしまうのは男の性というやつか。だがその体温はあまり温かくもなく、それがむしろコイツっぽいなと俺は思った。

 辺りはまだシンとしている。

 俺は祈る思いでバイクを発進させた。

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