Act.4
ネガティブとポジティブ
春休みの愛莉は、バイトのシフトが入っていなくても、早い時間からシロの店に遊びに来る。
その日も昼前からやってきて、ここで昼食を摂ろうと、カウンター席を陣取っていた。
「ねえシロちゃん。出会ったばかりの頃、チェシャくんが突然寄り付かなくなった時期があるんだって?」
深月から聞いていた話を、当事者であるシロに振ってみる。シロは懐かしそうに振り返った。
「深月くんから聞いたのかな。あの頃のチェシャくん、文句言いながらも僕の言うこと聞いてたのに、急に理由も語らず『ちょっと離れる』って宣言して一週間くらい現れなくなったんだよ」
「あ、勝手にいなくなったんじゃなくて宣言はあったんだ。でも、どうしてだったんだろ」
「あとで問い詰めたら、ちゃんと理由を話してくれたよ。お互いどちらが悪かったわけでもないと思うけど、強いていえば、僕がチェシャくんを構いすぎたというか……」
シロは苦笑いで濁し、それ以上は語らなかった。愛莉はふうん、と返事をする。
「チェシャくんから聞こーっと。今日はチェシャくんはいないんだね。まあそういつもいるわけじゃないかあ」
ぼやく愛莉に、シロが答える。
「そうだね、今週は日中は来ないよ。ポイソンの社員に紛れて社内を調査中だから……」
「えっ!? ポイソンの調査!? チェシャくん、ポイソンにいるの?」
愛莉がガタッと椅子を立つ。シロは、え、と目をぱちくりさせた。
「言ってなかったっけ。山根さんに高値で買われて、喜んで契約してたよ」
「聞いてないよー! そっか、だからスーツ着てたんだ」
聞かされていなかった衝撃で、愛莉が甲高い声を出す。シロはわざと隠していたわけではないが、言われてみれば、愛莉に説明していなかった。
「調査が始まったのは昨日からだよ。とりあえず今週の金曜日まで出社して、レイシーがいないか調べてる。いそうなのに特定できなければ、延長もするのかな」
「そっかあ、その間はチェシャくん、夕方以降しか来ないんだね」
「昼休憩の時間も、社員とコミュニケーションを取るチャンスだから、抜けてきたりはしないだろうし……」
途中まで言いかけて、シロは珍しく大声を出した。
「あ! チェシャくん、お弁当忘れてる!」
「お弁当? シロちゃんが作ったの?」
「ポイソンの社食がまずいって聞いたから、作ったんだ。出社前にこの店に寄るように言ったのに……いや、僕も今の今まで、ここにあるの忘れてたけども」
シロは寂しそうに項垂れて、厨房の冷蔵庫から小ぶりの手提げバッグを持ってきた。
「忘れてたのかな。急いでて寄れなかったのかな……。それとももしかして、わざと? 流石にからかいすぎたか。迷惑だったのかな」
シロが手提げバッグをカウンターに置き、微笑みの消えた無表情で呟く。なにやらどんどん暗い方へ流れていくシロの思考回路は、底抜けに明るい愛莉には難しかった。
「シロちゃんって、真顔もきれいだよねー」
愛莉の軽やかな声が、シロの思考を断つ。悶々としていたシロが愛莉に向き直ると、愛莉はシロの憂い顔をじっと観察していた。
「チェシャくん、単に忘れちゃっただけだと思うよ? シロちゃんの料理が嫌なわけないもん。このお店の軽食とか、食べてるじゃん」
「そっか……考えすぎかな」
ぽつりと言って、シロは再び、普段どおりの笑顔に戻った。
「ごめんね、つい思考を口に出してしまった。なるべくポジティブな言葉を使うように心がけてるんだけど、根が暗いからどうも……」
「んー、考えすぎちゃうのって、チェシャくんの気持ちを思いやろうとしてる証拠じゃない? シロちゃんのそういうとこ、あたしは好きだよ!」
反省するシロにも、愛莉は持ち前のポジティブで打ち返す。シロは眩しさのあまりに目を閉じた。愛莉は「ポジティブな言葉を心がけている」のではなく、率直に思ったことを口にして、これなのだ。根暗のシロには目が眩むほどの明るさだ。
「ありがとう、愛莉ちゃん。このお弁当は君に託そう」
シロは手提げバッグを両手で持ち、愛莉の前に置いた。愛莉はきょとんとし、しばしバッグを見て、シロを見上げた。
「いいの?」
「どうぞ。チェシャくんには渡せなかったからね、よければ愛莉ちゃんが……」
食べて、と、言おうとしたときだった。
愛莉はバッグを手に、椅子を飛び降りた。
「OK! 任せて! 届けてくるね!」
「えっ? 違う違う。届けなくていいよ、愛莉ちゃんが食べてくれれば……」
シロが戸惑うのも気にせず、愛莉はすでに扉の方へ向かっている。チェシャ猫への配達を任されたと勘違いして、しかもシロの訂正を聞いていない。
「あたし、足速いから大丈夫! お昼休み中に間に合うよ。行ってくるねー!」
愛莉は笑顔で敬礼し、店を飛び出して行った。シロはしばし口を半開きにして、閉まる扉を見届け、そして慌ててサンドイッチを包んで自分も店から転がり出る。
「待って愛莉ちゃん! 行くならこれ! 愛莉ちゃんの分のお昼!」
包んだサンドイッチを持って追いかけると、愛莉はやっと立ち止まって受け取ってくれた。
再び走り出す愛莉の背中を見送り、シロはぽつりとひとり言を呟いた。
「愛莉ちゃんの言うとおり、忘れただけならいいんだけど……本当に困ってたら、かわいそうなことしちゃったな」
春風が彼の袖口を撫でる。
「あのときもそうだった。僕がよかれと思ってしたことで、結果的にチェシャくんを警戒させちゃったんだよね」
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