Act.6

少しでも傍にいたい

 ジャバウォックとポイソンの秘密、巡の体調、それともうひとつ、抱えているタスクがあった。飲み屋街の連続消失事件である。

 その週末、チェシャ猫は対象になるエリアの飲み屋街へ、調査へ訪れた。平日よりも多い人出を見ると、まさにどこかにレイシーが現れそうな晩だった。

 街はすっかり春めいている。桜の蕾が膨らんできて、気の早い花はいくつか、開きかけていた。日の沈みかけた街を歩いていると、後ろからトンと、背中を叩かれた。


「チェーシャくん!」


「あ!?」


 警戒心剥き出しに振り向くと、そこにはにっこり笑った愛莉が立っていた。チェシャ猫は青い顔で後退る。


「あんた……いつの間に俺の背後を取った?」


「きゃー、びっくりしてる! かわいい」


「かわいくない。なんであんた、こんな飲み屋街にいるんだよ。未成年には関係ねえ場所だろ」


 チェシャ猫がぐるぐると威嚇する。愛莉はチェシャ猫に詰め寄った。


「友達がバイトしてるカラオケが近くにあるんだよー。さっきまで絵里香と遠井くん兄弟と、あとクラスの子と、遠井くんたちの友達と、みんなで遊んでたんだ」


「だったらまだそいつらといろよ。なんでこっちに来た?」


「チェシャくんの後ろ姿が見えたから。どっちにしろもうお開きだったもん」


 えへへと笑う愛莉に、チェシャ猫は一瞥だけくれて、項垂れた。愛莉を放って歩き出すチェシャ猫に、愛莉は当然のようについてきた。


「レイシー探してるの? 自分がターゲットにならないと見つからないかもって言ってたのに」


「それはそうだけど、一回だけ、現行犯を目撃できた」


 昨日までに、チェシャ猫とシロはこの案件を地道に調べている。

 特にチェシャ猫は現場を調べ、シロは資料のチェックを中心に外堀を埋める形を取った。


 チェシャ猫はグループ飲み会の集団を見つけては、それに近づくレイシーの影がないか調べた。

 一度、五人組のグループからひとり、男がふらっと抜けて路地裏へと消えていくのを見かけた。チェシャ猫はそれを追いかけたが、角を曲がると忽然と消えており、消えた男もレイシーも、見つけられなかった。そして翌朝、やはり駅前のベンチで、泥酔した男が発見されている。

 愛莉がへえ、と感嘆する。


「レイシー見つけたんだ! どんな見た目だった?」


「レイシーの外見は見えてない。路地裏に引きずり込まれる人間しか見えなかった。……でも、その連れてかれた人、路地裏の方を振り返ったときの視線が低かった。レイシーは多分、背が低い」


「子供の姿してるとか?」


「かもな。飲み屋街に子供がひとりでいたら、気になって話しかける」


 そう推察し、チェシャ猫が虚空を仰ぐ。


「過去の事例にあった似たレイシーも、人の関心を引く見た目をしていた。旅行者を狙ってた方は、戦争孤児っぽい容姿。動物調査の方は、現地にはいないはずの種類のネズミの姿」


 店で資料を読み漁っていたシロから、共有された情報だ。

 今回の件も、ターゲットにされた人間が路地裏に引き込まれていったのなら、猫やネズミの姿をしたレイシーなのかもしれない。

 愛莉はチェシャ猫を見上げながら、小さな歩幅で彼を追いかける。


「被害者がなにか覚えててくれたらよかったんだけど……記憶がなくなってるんだよね」


「それでも、被害者の情報は多少は集まった。大体五、六人のグループから、店を出た頃にひとり消えるのがセオリー」


 シロは資料のチェック以外にも、店を早めに閉めて管轄の警察署に出入りして調べ事をしていた。狩人の身分証で、今回の件に関わる情報を共有してもらうのだ。

 一時的に消えた被害者たちは、捜索願こそ出されていなくても、ベンチで眠っているところを駅の交番の警察官に声をかけられて目を覚ましているケースが多い。彼らの記録によれば、昨日までに明け方駅前のベンチで発見された人は、確認できただけで六人。内ひとりは、チェシャ猫が途中まで追いかけて見失った人物である。

 愛莉が唇を尖らせ、薄暗い空を仰いだ。


「これだけ怪しいポイントがあるのに、『地域安全課』さんってばまだ申請書受理してくれないの? お役所仕事だなー」


「根拠らしい根拠が足りないからな」


「やっぱり囮作戦で、自ら超常現象に巻き込まれてやるしかないのかなー」


 と、チェシャ猫が急に、愛莉を睨んだ。


「あんたはどこまでついてくる気だ? 早く帰れ。暗くなるぞ」


「そっちこそ、お喋りしてくれたのにー」


 愛莉は帰る素振りなど見せず、チェシャ猫のスプリングコートの袖を握った。それからぽつりと、思い出したように呟く。


「チェシャくん、合コン行かなくてよかった。この魅力が他の人にバレちゃったら、つまんないもん」


 チェシャ猫は愛莉を無視して周囲を見た。レイシーらしき影は、見当たらない。愛莉はぽてっと、チェシャ猫の腕に寄り添った。


「チェシャくんは、お金を返すまでは彼女いらないって言ってたね。そういえば、シロちゃんはお付き合いしてる人いるのかな? なーんかプライベートが謎なんだよね」


 チェシャ猫は興味がないようで、愛莉の方を見もしない。


「知らねえよ。シロさんとは仕事の付き合いでしかないから、プライベートは突っ込まない」


「しょっちゅうシロちゃんちにごはん食べにいってるくせに?」


「まあ、恋人らしき人の気配はない。シロさんも特に必要としてないんじゃねえの。あの人、身の回りの人がレイシーの餌食になりがちだから、大事な人ほど距離取りたいんだろ。知らねえけど」


 しれっと言われて、愛莉ははたと気がついた。

 そうだ、シロは自分のせいで周りが犠牲になるのを、恐れていた。

 チェシャ猫を食事に呼んだり泊めたりしているが、チェシャ猫も言うように、彼らの関係は「仕事の付き合いでしかない」。


 シロはもしかして、誰かと個人的に親しくなるのが怖いのではないか。


 そこまで考えてから、愛莉は以前、深月から聞いたら話を思い出した。チェシャ猫とシロが出会いたての頃、チェシャ猫は一時期、シロに寄り付かなくなったという。

 それはもしかして、シロと親しくなることで、チェシャ猫の身に危険が降りかかったから、なのか。

 

「えー……でも、シロちゃんを好きになる人は、絶対いるよね。深月さんも言ってたけど、顔がよくて所作がきれいで気が利いて、しかもお金もある」


「そう思うなら、なんであんたは俺の方に来るんだよ」


「顔がよくて所作がきれいで気が利いてお金があっても、喋った感じがおじいちゃんだから……」


「シロさんにチクッてやろ」


 チェシャ猫が呟く。愛莉はあははと笑い、続けた。


「それはさておき、シロちゃんって優しいからさ。好きになる人、いっぱいいると思うの」


「本人曰く、優しいんじゃなく、単に世話好きなだけだそうだ」


 チェシャ猫が微妙な違いを訂正する。愛莉は数秒考え、首を傾げた。


「世話好きな人って、優しいから世話をしたくなるんじゃないの?」


「それは知らない。けど、イコールではない。俺は最初、あの人がなんで優しいのか意味が分からなかった。でもただの世話好きだと知ってからは、扱い方を覚えた」


 なにか過去のことを思い出している彼に、愛莉はより、深く踏み込む。


「優しくされて、困ったの?」


 チェシャ猫はしばし黙り、ひとつ、まばたきをした。飲み屋街特有のざわめきが周囲を包む。日が高いせいで、店の前に集まる人はいても飲み終えて出てくる人はまだいない。待機しているレイシーらしき姿も、見受けられない。


「あんたがいるとレイシーが寄ってこない。とっとと家に帰れ」


「えへ! 一瞬でも話せてよかった」


 愛莉がチェシャ猫の腕を離す。そして、チェシャ猫の横顔に投げかけた。


「いつか聞かせてね。チェシャくんとシロちゃんの、出会ったばかりの頃の話」


「うぜえ。なんでだよ」


 チェシャ猫は悪態をついて愛莉を置いていこうとしたが、途中で立ち止まった。愛莉を振り向いて、尋ねる。


「あんた、明日か明後日、暇か?」


「ん? なになに、デートのお誘い?」


「巡に会ってやってほしい」


 巡が大好きな愛莉は、ぱあっと目を輝かせた。


「もちろん! 行く行く!」


 その眩しい笑顔に、チェシャ猫は少し、胸のつかえが下りた気がした。

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