Act.9

獅子角神社

 ある日曜日の『和心茶房ありす』。今日もバイトでなく客としてやってきた愛莉は、店の中を見回した。テーブル席に女性客がふたりと、カウンター席にも三人組グループがいる。

 キョロキョロする愛莉に、シロが先回りで伝えた。


「いらっしゃい、愛莉ちゃん。残念、チェシャくんならちょうど入れ違いになっちゃった」


「お出かけ? お仕事?」


「うん。今日は一日空いてるから、獅子角神社の下見に行くって。まだ正式に依頼されてないのに、意欲的だよね」


 休業明け一発目となりそうなこの案件に、チェシャ猫は強く興味を示している。彼の行き先を聞いて、愛莉は即行Uターンした。


「あたしも行きたい! 行ってくる!」


「あー、こら。レイシーいるの分かってるんだから、近づかない方がいいよ」


 シロが咎めるのも聞かず、愛莉は店を出ていってしまった。追いかけようとしてカウンターを出ると、また扉が開く。愛莉が戻ってきたのかと思いきや、深月だ。


「なんだなんだ。愛莉ちゃんが急いでたけど、なんかあったんか?」


「チェシャくん追いかけて行っちゃった。うーん、そこそこ遠出になるから、ちゃんと親御さんに連絡してくれればいいけど……」


 シロが深月に足止めされているうちに、愛莉の姿は見えなくなっている。他に客もいるし、シロは愛莉を追うのはやめた。深月も愛莉が消えた方向を振り向いてから、改めてシロに向き直った。


「んじゃ、チェシャ猫も留守か」


「残念。ちょうど入れ違いになっちゃった」


 シロは愛莉に言ったのと同じフレーズを繰り返した。深月が鞄から、クリアファイルに挟まった書類を取す。


「そうか。獅子角神社の件、救援要請来たから詳細持ってきたのに」


「えー! チェシャくん、そこへ行ったんだよ。ちょうど入れ違いに……」


 間の悪い事態が重なってしまった。項垂れるシロに、深月は書類を突き出した。


「あいつ、随分前のめりだな。まあ、逸る気持ちも分かるけど」


 クリアファイルの中には、事前に調べていた狩人による調査内容、神社の境内案内図や注意事項などが一式挟まっている。


「ひょっとしたら、かなりデッカイものを敵に回すかもしれねえんだもんな」


 *


 一方愛莉は、最寄り駅のホームでチェシャ猫を捕まえていた。


「神社で合流できればいいかなって思ってたけど、まだここにいたね。嬉しいなあ」


「なんでついてきた? あんた関係ねえだろ」


 チェシャ猫が鬱陶しげに愛莉を睨むも、愛莉は怯まないどころか腕にしがみついてくる。


「この神社の件は、あたしも気になってたの! だからチェシャくんがあたしを置いていっても、あたしだってひとりで行くもん」


 チェシャ猫は愛莉を数秒見下ろして、ため息をついた。愛莉は猪突猛進型ではあるが、聞き分けはいい。その愛莉がこう言うのだから、彼女なりに知りたいことがあるのだろう。

 いずれにせよ、振り払ったところで愛莉は単独でも神社まで来る。


「勝手にしろ」


「するー!」


 それからふたりは、電車で一時間ほどかけて、件の神社のある地域へ向かった。愛莉は電車内で神社のホームページを開き、境内の様子や、神社にまつわる縁結びの言い伝えなど、勉強していた。


「へえー、この神社、狛犬の代わりに獅子と角の生えた馬の石像があるんだって。あ、茶屋で売ってるスモモのパウンドケーキ、おいしそう! これ食べたい」


 チェシャ猫はというと、深月から話を聞いて、すでにそのホームページは見ていた。

 獅子角神社は、獅子角山の麓に位置している。三社の神社を抱えた総称が「獅子角神社」で、敷地の中には四つの境内社もある。広くて自然豊かな境内は、観光スポットにもなっている。


 三社ある本殿の中のひとつが縁結びの神社として名高いもので、祀られている女神の神話もホームページに記されている。

 愛し合っていた男女一対の神がともにスモモの木を我が子のように育てていたが、男神の浮気が発覚し、女神が激怒。実ったスモモに毒を仕込み、男神を殺した。女神は自分のような不幸が人々には起こらぬよう、愛し合う人々が手を取り合って生きていけるように縁を強く結びつける――というエピソードである。


「わあ。チェシャくん、この爆裂夫婦喧嘩のお話、読んだ? 神様って怖いね」


「神話なんて大抵、荒唐無稽だ。くだらねえ」


 休憩所の茶屋で売られているパウンドケーキには、境内に植わったスモモの実が使われており、縁結びのご利益があると謳われていた。神話の中で毒殺に使われたスモモだが、神々が愛情を注いで育てていたという意味では、愛の象徴なのである。


 駅名のアナウンスが流れる。チェシャ猫が立ち上がると、愛莉も携帯を鞄にしまって席を立った。

 慣れない駅に降り立った愛莉は、知らない風景にわくわくして、周囲を見渡していた。チェシャ猫は事前に頭に入れた地図どおり、すたすた歩いていく。置いていかれそうになる愛莉は、駆け足でチェシャ猫を追いかける。


「それにしても、チェシャくんがこの仕事をこんなに気にしてるの、ちょっと意外だったなあ。愛憎がこじれると大変って深月さんも言ってたけど、あんまり緊急って感じでもないし……」


 ずっと不思議に思っていたことを口にすると、チェシャ猫は進行方向だけ見つめて言った。


「問題は、場所だ」


「場所?」


「神社は神を祀る場所……いや、実際にいるかどうかはさておき、そういう、人の祈りが集まるところだろ。この手の場所は、本来なら結界があって、外からレイシーが侵入しない」


 悪いものが溜まりやすい場所があるように、寄せ付けない場所もある。神様がいる場所として信仰されてきた神社は、聖域のようなもので、レイシーが近づいてこないのである。


「今回の件は、その神社に巣食うレイシーだ。しかも、ご利益とされてきた縁結びの逆の現象を起こしている。要は何百年も蓄積されてきた人間の祈りを、ひっくり返すような力を持った相手。それが結界の内側にいる」


 片田舎の静かな景色の中、草木が揺れている。


「実際、調べていた狩人が途中で救援要請を出すくらいだ。まだ調査が中途半端な段階だから詳しくは分からないが、ひょっとしたら、この神社の縁結びの神そのものがご乱心なのかもしれない」


 それを聞いて初めて、愛莉はこの案件の大きさに気づいた。


「特大猫ジャラシだ!」


「猫ジャラシ? それはなんのことか知らんけど、ともかくこの件は獲物がデカい。神格的なものか、或いはそれを脅かせる力を持つもの」


 事の重さが分かれば分かるほど、愛莉はぞわっとすると同時にわくわくしてきた。


「すっごーい。チェシャくんなら、神様相手でも喧嘩買うんだ」


「まあ、神様いるとは思ってねえから、積もった情念のなれ果てと解釈しているが」


「あー、チェシャくんの好きなとこ、また増えた。相手が大きいって分かってても、自分の方が強いと思ってそうなとこ」


 愛莉がご機嫌に飛び跳ねるように歩く。


「あたしもレイシーより自分の方が強いと思ってるよ。チェシャくんと神社行っても、レイシーに邪魔されても、あたしの愛の方が強い!」


「なんだその根拠のない自信は。俺のは相手を正しく恐れて入念に準備してる故の自信だ。だから今日も事前に下見しに来てんだよ。あんたと一緒にすんな」


「なんであっても好き!」


 神社まであと少し。愛莉のモチベーションは、上がるばかりだった。


 やがて彼らの前に、幅の広い石段と朱塗りの門、その奥にどっしり構える鳥居が現れた。目的地の、獅子角神社の楼門である。


「着いた!」


 愛莉は大はしゃぎで、石段を駆け上がっていく。チェシャ猫は一旦立ち止まり、腕につけたレイシー探知機を操作した。羽鳥が新たに追加した起動し、特定の周波数の音波を拾って数値を表示するよう、設定しておく。

 調査していた狩人によると、境内になにやら妙な音波が響いていたという。レイシーのいる場所には、他とは違う違和感が生まれやすい。温度や湿度、ポイソンのレイシーのような電波。それから、音波も例外ではない。調査した狩人が発見した、人の耳には聞こえない超音波も、レイシーの発するものである可能性が高い。

 今日は単なる下見だが、羽鳥の発明した追加アプリケーションの具合を見るのにもいい機会だ。試しに使ってみることにしたのだ。

 先に門の前まで石段を上っている愛莉が、大声で叫ぶ。


「チェシャくん、早く早く!」


 チェシャ猫は愛莉をひと睨みし、無言で石段を上った。

 門をくぐった先は、しばらく石畳の道が続いた。道の両脇は植木が茂っており、石畳に木漏れ日の模様を浮かべている。地元から散歩コースとしても使われているのか、犬を連れている人や、ウォーキング中の年配など、それなりに人が出ている。不吉な噂のせいか、カップルは殆ど見当たらなかった。


 植木の緑が眩しい。チェシャ猫はスプリングコートのポケットに手を突っ込んで、静かな小路を歩いていく。愛莉も、スカートを靡かせて、彼の隣についていった。


 大拝殿や舞殿、さらに奥には本殿と、立派な建造物が待ち構えている。それら持つ意味などは知らない愛莉だったが、美しく威厳に満ちた佇まいに、何度も立ち止まっては見上げていた。

 観光に来たわけではないチェシャ猫は、音波の測定にばかり集中していて、折角の建造物もろくに見ていない。愛莉は建物を見てはチェシャ猫を見失い、すぐに見つけては追いかけた。


 レイシー探知機は、特になんの数値も示さない。やはり羽鳥が遊びで作った機械では、感度が低いのだろうか。と、チェシャ猫が諦めかけた途端、表示されていたデジタル数字が僅かに動いた。

 チェシャ猫はその数値を頼りに、先へ進んだ。反応のより大きい方へと、一歩ずつ探っていく。


 愛莉は相変わらず境内の景色を楽しみながら、時々振り向いてチェシャ猫がいるのを確認し、離れていきそうになったら追いかけていた。


 探知機に示される数値が、少しずつ大きくなっていく。だんだんとチェシャ猫にも、キンと耳鳴りがするようになってきた。

 石畳の通路は、手入れされた庭木で分断されて分かれ道になっている。音波の強い方へと進んでいくうちに、愛莉はふと、道に添えられた休憩用のベンチで寄り添う男女を見つけた。

 縁起の悪い噂のせいでカップルはあまり見なかったが、そんな噂を知らない人や、信じていない人もいる。本来のご利益は、縁結びだ。こういうカップルが、自分たちの絆を強めたくて、祈りに来る。

 しかし、このベンチのカップルは、浮かない顔で会話をしていた。やがて男が女を置いて立ち去り、ベンチに残った女は顔を覆って泣き出す。

 破局の瞬間を見てしまった愛莉は、そちらに釘付けになって棒立ちしていた。


 その頃チェシャ猫は、愛莉より数十メートル先に進んで、立ちはだかる門扉の前で足を止めていた。


 *


「チェシャくんはまだ下見に行っただけだから、深入りはしないと思う。調べてみて、自分の手に負える相手じゃないと判断したら、その救援要請も受け付けないかも」


『和心茶房ありす』では、シロが深月に黒糖コーヒーを差し出していた。仕事の合間に立ち寄っただけの深月だったが、そのままずるずると休憩している。


「それは承知してる。あいつ、あれでいてむやみやたらと噛みつくアホじゃあねえもんな」


 深月はそう言ってから、真顔で続けた。


「今回ばかりは、下見すら無駄足で引き上げてくるかもしんねえし」


「そんなに? やっぱり、相当危ない相手なんだね。そうだよね、調べていた狩人が手を引くくらいだもん」


 シロが神妙な顔で身構える。しかし深月は、それには首を横に振った。


「いや、狩人が手を引いた理由は、相手の規模に怯んだからじゃねえよ。その狩人の奥さんに妊娠が発覚して、今レイシーの攻撃に遭うとガチでまずいから、この件に深入りするのをやめただけだ。チェシャ猫が無駄足になるかもっていうのは……」


 深月はそこでコーヒーをひと口飲んで、改めてシロを見上げた。


「あの神社、カップルじゃないと入れないエリアがあるんだよ。音波はその先から飛んできてる」

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